歴史上の人物はTV番組でよく放映されます。現在においても政治、経済そのほかの分野で名を成している人は、どんな命式なのか大変興味がありますが、歴史上の人物の生れ日を調べるには明治5年以前は、太陰暦(旧暦)でしたので新暦に換算する必要があります。
大河ドラマでもおなじみの家康は、天文12年、寅の刻(朝3時~5時)の生まれ、ナレーターの説明を覚えており、図書館で生年月日を調べました。家康の生涯の出来ごと 歳運、後天運などを参照しておどろいたのは関が原の合戦当日です。
年月日時刻の干支、貴人星がまるで計算されたように家康にとって大へん有利に働いたことです。幼い頃に生母と離別、永禄3年今川義元が桶狭間で織田信長に滅ぼされてようやく人質から解放された後も、苦難の歳月の中で、おそらく自分の将来を予知するために 十干十二支を学び、晩年にならないと運が開かないことを自覚していたに違いありません・・・
家康は壬寅日 天文11年12月の生まれ となっていますが、これは旧暦ですから新暦に直すと12年の2月、年柱は「癸卯」月柱「甲寅」日時が同一干支の「壬寅」地支に寅3つの命式です。自分と同じ志の人物、そして敵対者が多く、子女、妻妾縁の厚さを表しています。
壬日(水)生まれの穏やかな性格の反面、偏官(七殺ともいう)の特徴、気性の激しい面もありますが、月柱(甲)食神で制化されています。華美を好まず質素倹約を旨として「戦さは武力でなく、頭、戦わずして勝つ・・」
慶長5年(庚子)関が原の戦いで東軍勝利、慶長8年(癸卯)家康征夷大将軍となる(満60歳)元和2年(丙辰)6月、73歳にて没、この時後天運は夏運にまわり、壬(水)を生じる金気なく、水は枯れて消滅する・・「四柱推命看法」そのままの生涯が見えてきます。
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