青葉神社
この青葉神社のある北山は、伊達政宗公が城下町を作った時、
城下北端の丘陵地である、北山に臨済宗5ヶ寺「北山五山」と曹洞宗の輪王寺を置いて北の守りとしました。
北山五山は、東昌寺・覚範寺・光明寺・資福寺・満勝寺からなり
其々が伊達家ゆかりの菩提寺となっています。
この五大山についてはいずれご紹介します。
現在は満勝寺が移転し、輪王寺を含めて北山五山と呼ぶこともあるそうです。
丘陵の南側は門前町として賑わい、足軽の町である堤町へと続いています。
然もない階段と高を括ったら、そこそこキツかった~
まずは狛犬君・・・昭和18年生まれの若手!
特にオーソドックスでもなくて、いい顔してますね。
月と太陽・・・陰陽を現しているのでしょうか。
初めて見たタイプの狛犬です。 分かりますか?
吽形子取り
顔の横に花が彫られていますね。 花飾りのある狛犬は初めてです。
阿形玉取り 台座には、伊達家の家紋三引両があります。
なかなかいい表情・・・牙といい威嚇しているのが分かりますね。
龍の手水・・・残念ながら水は止めてありました。
この鷹のは、仙台の工芸品埋れ木細工の鷹のような姿ですが・・・・埋れ木では無いでしょう。
青葉神社は、仙台藩祖 伊達政宗を祀る
祭神 【伊達政宗】神号を武振彦命(たけふるひこのみこと)
明治7年に竣工し大正11年に社殿の大改築に着手し昭和2年現在の規模になった。
春の例祭は政宗公の命日である5月24日
秋の例祭は権中納言に任ぜられたのを記念し新暦の10月9日
(寛永3年8月19日)
扉には、伊達家家紋竹に雀
千木は外削ぎで堅魚木には家紋の三引両が・・・
後ろの神殿は写真に撮ることが出来ませんでした。
青葉神社と青葉祭り
江戸時代・仙台藩最大の祭りといえば、仙台祭であった。
この祭りは承応4年(1655)年に始まり、毎年9月17日に行われた東照宮の祭りで、藩をあげて行われ最大70基の山鉾が城下を練り歩いた(山鉾がでるのは藩主が仙台にいる年のみ)。
明治時代になると、これにかわって伊達政宗を 祀って明治7年にできた青葉神社の礼祭(政宗の命日である5月24日に行われ、青葉祭りとも呼ばれた。)が盛んとなった。
境内社
伊達政宗公に仕えた家臣達を祀る祖霊社です。
政宗の正室・愛姫(めごひめ)を祀る愛姫神社がありましたが、現在は本殿に合祀されています。確か青葉場内の池にもあったはず。
元々は青葉神社は仙台城にあったとも??
祖霊社
カミさんは、私に振り回され疲れたようです。
今回も長々と読んでいただきありがとうございました。
いつも神社・仏閣では、皆さんの御健康とご多幸を祈念してお参りしております。
幸多かれと祈ります。
動画は、昔と今の青葉祭りです。
青葉祭り 芭蕉の辻から
現在の青葉祭りの様子
2007年宮城県仙台市の青葉まつり・・・すずめ踊りも華やか
最後に、伊達政宗公を見守る宮司さんは、勿論片倉小十郎の子孫である片倉重信氏です。
この青葉神社のある北山は、伊達政宗公が城下町を作った時、
城下北端の丘陵地である、北山に臨済宗5ヶ寺「北山五山」と曹洞宗の輪王寺を置いて北の守りとしました。
北山五山は、東昌寺・覚範寺・光明寺・資福寺・満勝寺からなり
其々が伊達家ゆかりの菩提寺となっています。
この五大山についてはいずれご紹介します。
現在は満勝寺が移転し、輪王寺を含めて北山五山と呼ぶこともあるそうです。
丘陵の南側は門前町として賑わい、足軽の町である堤町へと続いています。
然もない階段と高を括ったら、そこそこキツかった~
まずは狛犬君・・・昭和18年生まれの若手!
特にオーソドックスでもなくて、いい顔してますね。
月と太陽・・・陰陽を現しているのでしょうか。
初めて見たタイプの狛犬です。 分かりますか?
吽形子取り
顔の横に花が彫られていますね。 花飾りのある狛犬は初めてです。
阿形玉取り 台座には、伊達家の家紋三引両があります。
なかなかいい表情・・・牙といい威嚇しているのが分かりますね。
龍の手水・・・残念ながら水は止めてありました。
この鷹のは、仙台の工芸品埋れ木細工の鷹のような姿ですが・・・・埋れ木では無いでしょう。
青葉神社は、仙台藩祖 伊達政宗を祀る
祭神 【伊達政宗】神号を武振彦命(たけふるひこのみこと)
明治7年に竣工し大正11年に社殿の大改築に着手し昭和2年現在の規模になった。
春の例祭は政宗公の命日である5月24日
秋の例祭は権中納言に任ぜられたのを記念し新暦の10月9日
(寛永3年8月19日)
扉には、伊達家家紋竹に雀
千木は外削ぎで堅魚木には家紋の三引両が・・・
後ろの神殿は写真に撮ることが出来ませんでした。
青葉神社と青葉祭り
江戸時代・仙台藩最大の祭りといえば、仙台祭であった。
この祭りは承応4年(1655)年に始まり、毎年9月17日に行われた東照宮の祭りで、藩をあげて行われ最大70基の山鉾が城下を練り歩いた(山鉾がでるのは藩主が仙台にいる年のみ)。
明治時代になると、これにかわって伊達政宗を 祀って明治7年にできた青葉神社の礼祭(政宗の命日である5月24日に行われ、青葉祭りとも呼ばれた。)が盛んとなった。
境内社
伊達政宗公に仕えた家臣達を祀る祖霊社です。
政宗の正室・愛姫(めごひめ)を祀る愛姫神社がありましたが、現在は本殿に合祀されています。確か青葉場内の池にもあったはず。
元々は青葉神社は仙台城にあったとも??
祖霊社
カミさんは、私に振り回され疲れたようです。
今回も長々と読んでいただきありがとうございました。
いつも神社・仏閣では、皆さんの御健康とご多幸を祈念してお参りしております。
幸多かれと祈ります。
動画は、昔と今の青葉祭りです。
青葉祭り 芭蕉の辻から
現在の青葉祭りの様子
2007年宮城県仙台市の青葉まつり・・・すずめ踊りも華やか
最後に、伊達政宗公を見守る宮司さんは、勿論片倉小十郎の子孫である片倉重信氏です。
これから派手な狛犬は伊達狛にしましょうか?
さすが
伊達狛ちゃんとでも
なずけましょ~か (^_-)~☆
町の中に住んでたのですよね。
まぁ、それはそれは可愛いお嬢さんだったのでしょう。
あれ! 過去形はまずい?
アップ遅れました。
シンデレラボーイは寝ます。
8分過ぎました。
普段は、中が見れないんですよ。
やはり東照宮は家康ですから、地元の祭りとして変化したのでしょうね。
明日か明後日・・雨が降らなければ矢本に行きたいと考えてます。
父に肩車して貰って、見に行ったものです。
なんだか懐かしくて、涙が出てきました。
懐かしい映像をありがとう。
明治時代になると~青葉祭り
時代が変ると祭りも変る~
興味津々で~す (^^)v
仙台東照宮は その後
寂れてしまったのでしょうか?
狛ちゃんかわいらしくお花をつけてるのに、おっかない顔してますね
まぁ、そんな狛犬も愛嬌と言うことで・・・
最近の石屋さんにある新しい狛犬を見るとどれも同じような形でがっかりします。
多分岡崎型と言われるものです。
手作りしてみたい。
昔、「パンチDEデート」で三枝ときよしが言っていたような・・・
あ~・・・ミー太郎さんは知らないか?
下の交番所があるクランクをいつも通過でした。
しかし、青葉祭りなどの話をするときに欠かせない神社ですので、行かない訳には行きませんからね。
東照宮もですね・・・
政宗の街づくりには風水学的にもかなり考えられているようです。
鬼門は間違いなく意識して建てていると思います。
芭蕉の辻は仙台の一番の繁華街だったことでしょう。大町通りと奥州街道が混じったところですね。あの十字路に豪商の店が構えられ何とも言えない光景です。
何度も自分のブログで写真やジオラマをUPしていますが、大好きな場所です。
増上寺に行ったことがありますが、コンクリートのお寺はなんとなくありがたみがないですよね。
ちょっと感動的な造形ですね。
先日近所の神社に
狛さんを見にいったら
四角な原石から
素直に削った感ありありで
ちょっとガッカリしていたので
余計、青葉の警備担当の貫禄に
圧倒されました。m(_w_)m
沢山の画像、見ているだけでそこへ行ったような気分になりました。ご利益ありそうな~♪
見学には予備知識を持っていくと見方がかわりますね。
よく観光の時、お客様が「なんだただの寺か…」とか言いながら見ている人がいます。
その時は瑞巌寺でしたが、お金をかけて来たのにもったいないなぁっておもいましたよ。
お隣の東昌寺には母の実家の墓所があり、一年に三回は行っているのですが。
不思議なものですね。
政宗が仙台に入部して城下町を建設した際、一番最初に作ったのが名掛丁から大町に到る現在の中央通と国分町の通りだったそうです。
難でもその交差点が「芭蕉の辻」だったとか。
城下町を南北に貫く通りの北の端に、政宗を祭神にする神社。
確かに意味のあることですね。
しかも青葉神社は、仙台城から見れば北東すなわち艮(うしとら)。鬼門の方角ですから。
東昌寺は城下町仙台の鬼門の守りとしての意味があると聞いたことがあります。
青葉神社も同様なのではないでしょうか。
茂ヶ崎の大年寺は、仙台城の南西、すなわち坤(ひつじさる)で裏鬼門。
これは江戸城から見た上野の寛永寺と芝の増上寺の位置に相当します。
城下町のお寺や神社の配置には意味があることと、
改めて思わされます。
それにしてもすぐに行ける所にありながら行ってない所の、
何と多いことでしょうか。
杜甫甫・・・
実は数年前にUPされたお寺や神社は
全部廻わりましたが、ひーさんの説明を
聴きながら、じっくり見させていただいています。
その頃は狛ちゃんには関心がなく、今思えば
残念でしたが、その内に時間ができたら
お花飾りの狛ちゃんに合いに行きます。
桜田淳子…懐かしいですね。 高校の友人と秋田に行ったついでに出身の新屋駅で写真を撮りましたよ。
謙さんは武者行列の政宗役を演じたんでしたっけ?
でも、実は、上京後に復活したため、1度しか見たことがありません。
光のページェントは1度も見てませんし。トホホ・・・
奥様、夏バテでしょうか?あまりに「ガックシ」しておりますね。
早く手を打たないと、爆発?しそうですね。
あの時社務所で訊いてみればよかったですね。
石の文字は読めない状態でした。
追跡調査します。
珍しいのではと思います。
狛様も精悍そのものですね♪
恐ろしげな牙と、花飾り う~ん、興味深いっ!!!
この関係、もう少し突っ込んでくださいませんか?
花を飾った狛犬様、流石は伊達者の神社です。
龍に鷹、どれも素晴らしいです。