ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

自然災害TVを見て思うこと&防災啓発ドキュメンタリー映画 『 いつか君の花明かりには 』

2018年09月17日 21時26分55秒 | 東日本大震災
近年から最近にかけて、熊本の地震から始まり、豪雨・強風・がけ崩れ・地震・・・・・
TVを見ていると、あの時と同じことを被災者は言っている。 水・電気・食料・・・・
あれだけうんざりするほど東日本大震災の時に放送を見ていたはずである。 
しかし、結局同じことを繰り返している。
つまり、あの時は「大変だね」と人ごとのように見ていたのでしょう。
自分が被災してどれだけ大変かわかったかも知れませんね。  
喉元過ぎれば熱さを忘れる!ですかね?
あの時、TV/ラジオで放送していたと思いますが、実際、被災者はリアルタイムで見ていないのです。
だって、電気が来ていないのですから・・・

あの時の放送では、荒浜付近に200人から300人の遺体があります。と言っていました。

まるで地獄です。  
人の命の重さは一人でも百人でも同じですが、行方不明を入れると2万人もの人が亡くなっているのです。
  
ライフラインが閉ざされるということは、どれだけ大変な事なのかもう少し個人個人が考えるべきではないのでしょうか?

TVを見ていたら、「うちにはボランティアの人が来なくて困っています。」とおばさんが話してました。
なに様になったつもりなんでしょ。

人任せですか?  見ていてチョットイラッときました。

最近、私の動画を映画で使わせてください。とメールがきました。 喜んで無償で提供しました。
ほんの数秒でしょうけど。

その映画は、防災啓発ドキュメンタリー映画
 『いつか君の花明かりには』 itsuhana.ifdef.jp/

【予告篇】 防災啓発ドキュメンタリー映画 『 いつか君の花明かりには 』
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6 コメント

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東日本大震災 (きんごろう)
2018-09-18 01:37:01
東日本大震災にて埼玉では一部地域で液状化現象が発生した程度で大きな被害はありませんでした。それなのにガソリンスタンドでは行列ができ、水道が出ているのに水をケース買いする人が多く、東北の被災者の人達に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

震災数日後、仙台の友人からメールの返信が届きました。
「家は壊れましたが私達は幸せです。家族が全員生きていました」
多くの人が一瞬にして命を奪われたのですが、たまたま自分の家族は無事が確認され安心して抱き合ったようです。テレビの客観的情報と違い、生の声を初めて肌で感じました。

多くの人が苦しんでいるのに、私は義援金を送る程度の事しかできなかったので、被災された方々には本当に申し訳なかったと思っています。

その年の9月に「定禅寺ジャズフェス」に参加させていただいたのですが、三井アーバンホテルがヒビ割れしていて立入禁止のテープが張ってあったのもショックでした。

今後、いつ関東大震災が起こるか解りません。
この映画も機会があれば是非見たいと思います。



きんごろうさんへ (ひー)
2018-09-18 10:03:38
荒っぽい記事になりましたが、TVを見ていて腹がたったので、自分も家を建て替えました。でっかいローンを抱えあと3年もすれば年金でローンを返しますよ。

あの時は、断水でトイレも電気も・・・
特に私の街は二つのダムから水道を利用しています。
我が家は、大きな配管が壊れた方のダムを使用していたため、相当遅れました。
水が出ても下水が壊れて処理できないのでトイレは使用しないようにとのお達しもきました。
まぁ、書くと止まらないので・・・・

供えあれば憂いなし・・・
一瞬につぶされればどうにもなりませんがね。
そこに家があったのも、ご先祖様がそこに家を建てたのも、宮城県北部で大きな山崩れがあって今回の北海道のようになりましたが、この地区は大丈夫なのかと検査をしなかった行政にも責任はないとは言えない。
しかし、誰しも山が崩れるとは思わなかった。
そして、あの時も地上三階建てのビルを呑み込む津波が来るとは思わなかった。

日本はどこでもあり得ると考えた方がいいのかも知れませんね。
あの時。 (綱永井寵生)
2018-09-18 19:21:34
あの時は宮城県沖地震がまた来た。今回は更に強かった。建物は大丈夫か。憂鬱だとしか考えていませんでした。

「津波が来た」とガソリンスタンドで聞いても「防波堤を1メートル程度超えたのだろ」としか思えず。

その夜、荒浜で200人の遺体が打ち上げられている、牡鹿半島では1000人の遺体だと聞いても、信じられませんでしたね。

電気が繋がってテレビを見て愕然でした。仙台限定の震災だと思っていましたから。
お盆に故郷のいわき市へ帰りましたが、大熊町、富岡町は信号機だけが動いているだけ。震災から全然変わってない。それをもっと考えるべきだと思います。ショックを受けますから。

私も生活が変わりました。地震保険入っていたらとか悔やみました。亡くなった人に比べれば些細な悩みかも知れませんが。

2万人が亡くなったのを忘れている。
日本人は忘れるのが早いから戦後復興した部分が有りますけど、東日本大震災を自分の身に起こった事とシミュレーションしていたら、その後の災害で死ぬ人も少なかったと思います。マスコミも忘れちゃった感が有りますし。

2万人の死は無駄にして欲しくないですね。
綱永井寵生さんへ (ひー)
2018-09-19 20:46:12
あの頃、長い期間CMが無くなり、「ACジャパン」が流れていましたね。
どんどん忘れていくのかも知れませんね。
先日、日航機123便の墜落事件の話をしていると30歳をとうに過ぎた職員が、何お話ですか??
と聞くのでYouTubeでボイスレコーダーを聞かせてやりました。 このころは小さかったのでわかりませんでした!

そうなんだ・・・・

あの震災もそうなるのかも知れませんね。

そうそう、あの頃は10年以内にかなりの確率で起きるとほぼ断定されていました。
揺れが長くなって、とうとう来たな!と思いましたよ。
俺は、ここで死ぬんだな・・・と本気で思いました。
黙っていたのでは・・・。 (綱永井寵生)
2018-09-23 22:33:40
宮城県沖地震を体験してたので、近々に来るとは考えていましたが、津波まで来るとは考えが及びませんでした。

後々調べて分ったのですが、伊達政宗の時代にも同規模の津波が来ていた。松島も地震と津波で陥没して出来た事を多くの人に知らしめていたら、犠牲者は間違いなく少なくすんだし、原発の事後も無かったのではないかと思います。

知っていた人はいたと思うのですが、土地が売れなくなるとかで行政が黙っていたのではないかと思えます。

弟の友人が地下鉄が来ると言うので頑張って荒浜に二世帯住宅を建てたのですが、津波で新築したばかりの家は流され、両親も亡くしています。親孝行が仇になりました。

400年前のことが殆どの人が知らなかったなんて異常です。悪質さを感じます。
綱永井寵生さんへ (ひー)
2018-09-26 17:53:40
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/60251e79a15dc60b0358a136bd1a9bf1
前記の記事にあるように田老町では、どでかい防波堤を持っていました。山肌には昭和8年ここまで津波が来ました。と書いてあるのに、防波堤の海側にホテルを作っていたのです。 泊まったことがありますが、なんで?と思いましたよ。 それに過去に来た津波より防波堤の方が低いんですよ。
やはり、忘れるのですね。
あの津波の後に貞観地震の時に被害に遭ってますとか・・・データがあるのに行政は危機管理がなっていませんでしたね。
特に田老町には、多くの街から視察に来ていたのです。自慢の堤防でした。簡単に壊れましたよ。

しかし、その弟さんの友人は肩を降ろしたでしょうね。
相当のショックですよ。 
義理の弟の実家は原発のせいで改築したばかりで立ち入り禁止です。 あの原発も高いところにあればよかったのに低く削ったのですからね。甘い考えで・・・当初の設計は高かったはずです。
女川で心配なのは、原発までのルートは2本です。コバルトラインを入れれば3本ですが、がけ崩れで道がふさがったらOUTです。 どうするんだろ?
原発が造れるところは後ろが岩盤であること、近くに大量の水があること・・・もう一つは・・忘れた。
今でも相当の放射線が出ているのですが東電も国も触れないようにしています。
マスコミもほとんど敵ですからね。
信じられません。

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