荒雄川神社
鎮 座:宮城県大崎市岩出山池月字上宮字宮下10
御祭神:須佐雄命(すさのおのみこと)・ 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
境内社:天神社(菅原道真)・山神社(木花咲姫)
延喜式神名帳(延喜七年に編集した代表的神社台帳)にのっている玉造三座の一つで、鬼首の荒雄岳上の社を奥宮と称したのに対して里宮と称され、神宮寺も併置されて、この地方の信仰の中心となっていた。
祭神は、須佐雄尊と瀬織津媛尊で、応徳三年(1086)ころに、源義家が征東の際、戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。
また、嘉応二年(1170)に、藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に、奥州一の宮とし、室町時代には、奥州探題の大崎義隆が大崎五郡の一の宮として、崇敬し、江戸時代に至っては、岩出山伊達家の氏神となった。
寛保三年(1743)に、幕命によって江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので、三十六社様とも称されている。
ー案内板によるー
ここでも出てきましたね! 源義家!今度は黄金の剣を奉納のようです。
一の鳥居をくぐると右側にこんな石像があった。 産婆の像です。
産婆さんが赤子を抱いていますね。境内には山神社の安産&縁結びの神が祀られているようですね。
今調べている平家落人の里にも山神講があって、小牛田にある山神様の掛軸に赤飯を供えて女だけで安産祈る習慣がある。
狛犬さんは三対いました。
向かって左吽形 右・阿形
今度は左が阿形 右・吽形
正面拝殿ですが、控え目に小さな狛犬が・・・・・・
これが、今までに無い形の狛犬でした。顔立ちもですが、体の巻き毛の模様も変わってました。また朱塗りのような色を残しています。
向かって右側、阿形
向かって左側・吽形
左の柄が小さいですね。? 普通神殿から見て左側が格が上とされています。
だから向かって右側が派手なのでしょうか?
この獅子頭・・・目に色が入っています。
延喜式内社の文字が・・・
石の祠が沢山
立派ではありませんが、舞台のようですね。 能舞台でしょうか?
なんと五千年前の遺跡とあります。 御神木だったのでしょうか? 大きな木の根元のようです。
なんと、お手水が最後になってしまいました。この失礼を水に流して下さい。
鎮 座:宮城県大崎市岩出山池月字上宮字宮下10
御祭神:須佐雄命(すさのおのみこと)・ 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
境内社:天神社(菅原道真)・山神社(木花咲姫)
延喜式神名帳(延喜七年に編集した代表的神社台帳)にのっている玉造三座の一つで、鬼首の荒雄岳上の社を奥宮と称したのに対して里宮と称され、神宮寺も併置されて、この地方の信仰の中心となっていた。
祭神は、須佐雄尊と瀬織津媛尊で、応徳三年(1086)ころに、源義家が征東の際、戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。
また、嘉応二年(1170)に、藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に、奥州一の宮とし、室町時代には、奥州探題の大崎義隆が大崎五郡の一の宮として、崇敬し、江戸時代に至っては、岩出山伊達家の氏神となった。
寛保三年(1743)に、幕命によって江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので、三十六社様とも称されている。
ー案内板によるー
ここでも出てきましたね! 源義家!今度は黄金の剣を奉納のようです。
一の鳥居をくぐると右側にこんな石像があった。 産婆の像です。
産婆さんが赤子を抱いていますね。境内には山神社の安産&縁結びの神が祀られているようですね。
今調べている平家落人の里にも山神講があって、小牛田にある山神様の掛軸に赤飯を供えて女だけで安産祈る習慣がある。
狛犬さんは三対いました。
向かって左吽形 右・阿形
今度は左が阿形 右・吽形
正面拝殿ですが、控え目に小さな狛犬が・・・・・・
これが、今までに無い形の狛犬でした。顔立ちもですが、体の巻き毛の模様も変わってました。また朱塗りのような色を残しています。
向かって右側、阿形
向かって左側・吽形
左の柄が小さいですね。? 普通神殿から見て左側が格が上とされています。
だから向かって右側が派手なのでしょうか?
この獅子頭・・・目に色が入っています。
延喜式内社の文字が・・・
石の祠が沢山
立派ではありませんが、舞台のようですね。 能舞台でしょうか?
なんと五千年前の遺跡とあります。 御神木だったのでしょうか? 大きな木の根元のようです。
なんと、お手水が最後になってしまいました。この失礼を水に流して下さい。
さすが
式内社です
外しますが
裸電球が印象的です
最初のペアはお猿さんみたいです
お手水…蛇口ですか?
これはこれで、味があっていいかも
東北本部長ですね ♪
ここの狛犬様はどれも、ちょっと変わっていますね。
縄文時代から、ココは神が宿る場所として祀られていたのでしょうね。
すぐ調子に乗りますから。
本当は「あらはばき神社」を探しに行ったのですが、あまり調べずに行ったので…
この手前でした。道路から見えましたので次の機会に行きます。
平安時代以前または、縄文から弥生時代の神様だと思いますので気になるところです。
怪しいです。
ありますね。
狛ちゃんが風化しているのから見ると
歴史が感じずには居られません。
しし頭が笑ったような顔が憎めないですね。
にしてもあまりにも簡単な保護柵ですね^^;
5000年前の歴史・・本当かな?