ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

七ヶ浜菖蒲田海岸・津波から5ヶ月が過ぎて

2011年08月28日 22時03分02秒 | 東日本大震災
七ヶ浜の外周を回るルートは通行可能になってから時間が取れず行けずにいました。

やっと今日親戚が住んでいた菖蒲田海岸に行くことが出来ました。



震災の爪痕を見るたびに、唖然・愕然・ボーっとたたずむしかありません。

親戚の家があった場所は基礎を残し何も無くなっていました。

震災直後「流れだわ~、何もねぇわ~」と言っていた言葉を思い出しました。

人間を生んだ海は何故人間を苦しめるのでしょう。

人が過ちを犯しているからでしょうか? いえ、これが自然界なのかも知れません。

恵を与える海も、生活を壊した海も、ただ「海」だけのことなのかも知れません。

どのように捉えるかは、自分自身なのですね。

ここに着いた時、ボランティアの方々の移動に使われたバスが空き地に停められていました。



 


ボランティアの方々は、いたるところで活動をしています。

頭がさがります。 偉いな・・・・いつも思います。「ありがとうございます」

堤防に上がるとそこにあった町並みが消えています。

残っていたのはコンクリートでできた公衆トイレだけです。





波が、以前より迫って来たようです。

大きく長かったここの海水浴場は、ネコの額ほどになってしまいました。





人がまばらに見えますが、ただじっと海を眺めているだけです。

どんな思いで見つめているのでしょう。 ここには風の音と波がぶつかる音しか聞こえません。

少し行くと、決壊した堤防がありました。ここから先は立ち入り禁止です。







かつて無かったところに沼が出来ています。

道路側も寸断され回り道になっていました。





まだ、コンテナは撤去されていませんでした。


こちらは、2010年11月2日に撮影したものです。






何故かアメリカ国旗も・・・・




だいぶ片付きましたが、今後どうなるのか??

ここに住んで居た人々の想い出は、脳に刻まれたメモリーだけになってしまいましたね。


また、一年後ににでも訪れましょう。

そうそう、明日はクレペリン検査です。 チョコット緊張します。と言うか試験中眠くなるんですよね。

クレペリンって?  ただの足し算のテストですが、いろいろ性格とか能力をチェックされてしまうのです。

2年に一回・・・疲れますww

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お晩です (あーさん)
2011-08-28 23:10:18
Ah  この堤防を乗り越えてTSUNAMIが町を襲ったんですねぇ 


さすがに海水浴を楽しむ気分にはなれないのでせうか

来年の夏は海水浴客で賑わってほしいものですね
あーさんへ (ひー)
2011-08-29 07:18:00
今更になってしまいましたが、半年でまだ瓦礫撤去の最中です。
こりゃ~しばらく掛かりますね。
五月以来の風景 (酔漢です)
2011-08-29 08:56:50
自身が七ヶ浜を徒歩で歩いたのが、5月2日。
それ以来の現場です。
ご紹介ありがとうございました。
菖蒲田浜の松林では、その時「愛知県警」が行方不明者の捜索中で、立ち入り禁止でした。
ですから、菖蒲田海岸の様子を見ることはできませんでした。
小豆浜のコンテナは手つかずの状態なのですね。「まだなのかよーー」って言ってしまいます。大きな事情があるのでしょう。
昨年の夏。朝早く菖蒲田浜へ車で出かけました。海岸に一番近い家の方が表に出てきて、「駐車場へ止めさいん!」と注意されました。
そのご自宅はもちろん、影の形もございません。その方は(お名前も存じませんが)どうなったのでしょう。そんなことも思い出されます。9月10日過ぎに、また、そちらへ向かいます。また、自分の目で確かめて来たいと思っております。

酔漢さんへ (ひー )
2011-08-29 16:20:46
瓦礫やゴミはかなり片付いているようで見事に何も無くなりました。
海に遊びに行くと、菖蒲田のおばちゃんが風呂を沸かしてくれていたものです。
庭先にあった松林は見事に消えました。
昨年あたりこの辺を写真に収めたのですが、昨日いくら探してもありませんでした 、たぶん絵にならないから消してしまったのでしょう 。
これからは使えない写真も保存しようと思います。
本当に愕然としました「あ~」しか言葉が出ませんでしたよ。
Unknown (桃源児)
2011-08-29 16:50:08
あの恐ろしい地震と津波からもう五ヶ月。
まだその爪あとは刻まれたままなんですね。
人間の営みが自然の前には無力でしかない。そう感じる人も多いかもしれません。
それでも生きている限りは前を向かねばならない。
これが (維真尽)
2011-08-29 16:52:43
現実なんですね

がれきの撤去もままならないと
聞いています
粘り強くやるしかないのですね
政治との乖離が心配です
桃源児さんへ (ひー )
2011-08-29 17:38:11
この地球に住んでるいじょう避けられない問題ですね。

大昔から経験してきたのに、そのメッセージを受け止めていなかったから 災害は大きくなったのでしょう。

海を埋めてそこに家を建てた人類は科学の力に自惚れていたのかも 知れませんね。

維真尽さんへ (ひー )
2011-08-29 17:45:05
個人の力ではどうにもなりませんからね。
また、ここに住めるのかわかりませんが、家も土地も無くなったら途方にくれますね 。

特に原発付近は、汚染された場所で暮らすのは不可能に近いのでは?
菖蒲田浜から花淵浜へ (伝八郎)
2011-08-30 00:20:55
私も先月、菖蒲田浜、花淵浜へバイクで行って来ました。
住んでいた方々には恐縮ですが、私もバイクの免許を取ってから、菖蒲田浜・花淵浜は海釣りのホームグランドだったので、気になって仕方がありませんでした。

どちらの浜も割りと新しい、しっかりとした家が建っている町並みが印象的でしたが、その家々があそこまで崩壊するとは・・・・。
真新しい家の瓦礫で、よりショックを受けまた。
特に花淵浜漁港は堤防までの洞窟が無くなっており、崖も崩れ、テトラポットも流され、釣り場だった防波堤には行けません。
「ここまでかぁ」としか言えませんでした。

実は以前から行きたいと思っていた鼻節神社も場所が判らず断念していたのですが、皮肉にも家並みで隠されていた道が判り、参拝することが出来ました。

そして鳥居からの表参道。驚きました。殆ど獣道ですね。結構、神社まで距離があるし。
道並みに添っていったら岸壁に出ました。ブロックの足止めが無かったら落ちていたところです。道を引き返し、急な階段を登り神社に参拝。帰りの裏参道は直ぐに入り口に通じている。不思議でした。
これは海側に本来の表参道があったのではと思いました。

後のニュースで地震と神社の関係が取り上げられ、鼻節神社の前の海に大根神社があったこと。そして松島は以前の大地震によって地面が沈下して出来たと伝えていたのはビックリしました。
考えてみたら松島全体が沈下したとしたら、当時、本当に大災害ですね。十三湊沈没以上の被害だったと思います。
今回の地震でも砂浜が沈下しているようです。ここまで来ると、人間はどうしようもないでしょうね。

ではでは。
伝八郎さんへ (ひー)
2011-08-30 16:02:43
行かれましたか、私のブログでも鼻節神社をUPしていました。表参道はわざわざ悪路を下に降り百数段の階段を昇りますね。下のあの海のところが本来の入り口なのでしょう。
大根神社・・写真をUPしていますが、あれは過去の津波で破壊された神社だったのですね。
あの朱色の拝殿や神殿は、風格を感じます。
また、不思議な聖域の空気です。当時はアニメと引っ掛けてUPしてしまいました。
自分の中でもう一つの不思議として、三角の扁額があります。
ただのデザインなのか?何か意味があるのか?
自分のHPの中で三角の扁額の神社にマークしています。共通点は宮城県内の海側に多いです。
これは今後も収集したい扁額です。

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