癒(IYASHI)

徒然なるままに古しえに内外のニュースなどの種を拾い・我が病の不治の後遺症の体と心の癒し求めて綴ります      

●電車転覆事故の1分30秒の作為を誰がしたの?

2005年04月29日 11時25分08秒 | ニュース
死者106人の犠牲者を数えたが、なお、不明情報が30人余りあると言う大惨事になつてしまつた。
犠牲となった本人と家族の心境を思うと察するに余りあるものある。
 被害者の形態は、たまたま遅れて来たためこれ幸いと乗り合わせた・到着が早いため・たまたま買い物にため・通学のためと悲喜交々である。 オーバーランしたため、いつもと違う場所に乗らざる終えなかった人、あの惨状の先頭車に乗ったが傷一つ受けず無事だったと言う人、その実態は三者三様、感・運命と言ってしまえばお終いだが、不思議と言うより神秘とさえ思える。
 生死の運命を分岐させた1分30秒は誰が作為したのか、不思議でならない。飛行機に乗ろうとしたが何となく乗りたくなくなったため中止し助かったと言う話も聞いた事がある。俺だけはならないと鷹をくくっていた難病になり苦しむ人。考えれば考えるほど不思議である。親の看病に一生懸命だった人の命までも容赦なく奪う皮肉な現象に怒りさえ覚える。生死の分別を誰が決めるのだと言いたくなる。
 「元の姿に返して」と幾ら叫んでも、物理的に無理である事は知っているが、言いたくなる気持ちも十分理解できる。
 しかし、その人に与えられた天命・運かと諦めるしか無いのも現実であり、知つて置かなければならない事も現実である。
 原因を作った者及び関係者は出来るだけの誠意を示し、誠実に向き合う事だけが、この種事故を解決する手段であり、この事故を今後の教訓として永久に生かすのが天の使命だからである。
 亡くなった方々のご冥福を祈る。合掌・・・・ 
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★1年未満の運転経験者に500人余の命を授けられるか?

2005年04月26日 10時09分14秒 | ニュース
マンションの角にアルミ板が直角に張り付いている電車の大惨事の状態の映像に目を疑がった。1両目の電車は1階駐車場にめり込んで居て見えないと言う。映像では捉えられない。どうすればこんな大惨状になるのだろうと想像もつかない。
JR西日本が社長が被害者を見舞いに悔やみをして歩くが、「本人を元の姿で帰してくれ」と捻じ込まれている姿が痛々しい。これがトップの責任と言うものだろう。部下の責任であろうと管理上の責任であろと、今は唯、誠実に頭下げる以外に方法が無い事の胸中が手にとるように分る。
運転士は23歳で経験11ヶ月余りとか、果たして経験1年以下の一人の者に何千人の命を預けて運転させる技量と精神力が充実して居ると判断し運転させているのだろうか。
「そろそろ運転にもなれ、何の不安も無くなり俺は一人前」と思いがちになる一番注意すべき時期が1年ぐらい経った頃の筈だ。
 自動車運転免許を例に取つても、半年から1年した頃の事故が一番多い事である。怖いと思って運転しているときは基本を忠実に守り安全意識も高い為に事故は少ない。
 まして、電車の運転は極端かも知れないがレール上を目を瞑っていても、黙って走ってくれる。障害物は何も無いに等しいし、脱線するなどめったに無い。1分余の時間短縮をするたにはこのぐらいのスピードを上げれば挽回すると言う経験と構造は十分承知している筈である。「これぐらいのスピードは大丈夫」と高をくくり、甘い判断で暴走運転した結末が大惨事に繋がったように思えてならない。
事故を起こしてから、ベテランの添乗指導の指示では何もならない。「人の命を預かっているんだと言う自覚」を適時適切と言うより、その都度、点呼等時を問わず指導しているのだろうか。人を運ぶと言う崇高な仕事を業にしている以上「安全」という事を何時なりとも忘れてならないはずである。遅れて発車する時点で、唯「そうか、気をつけろ」だけで、なんら具体的指導がなされていないとすれば「現場の長その者の指導者の責任が」問われても仕方が無いだろう。
車掌は42歳と聞くが、運転手のコミニュケーションはどうなっているのだろう。車掌の歯切れの悪い状況説明も気になる。
 命の預かる重さはバスの運転士の比ではない。500余の人の命を預けるには11ヶ月の運転経験と23歳の一人に託すには、早過ぎる配置では無いだろうか。若者の指導体制はどうなつているのだろうか。脱線等のメカは知らないがヒューマンエラーとしか私には思えない。
 運転しているときは、「安全意識を忘れた時」に事故が発生すると言う事を心に持ち続ける事が事故防止の基本中の基本である筈である。多忙のときこそ、きめ細かな指導が必須であると言う事を忘れず、マンネリ化にならず事故を防止するしかない。
 亡くなられた被害者の冥福と怪我された人達の早期回復を願わずにはいられない
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敗戦国の戦利品は繁栄!

2005年04月23日 10時25分36秒 | ニュース
週末になると反日デモの到来と在中国日本人の不安な様子が映し出される。「愛国無罪」を盾に、中国の祭典であるかのように、石やレンガを日本領事館・民間を問わず投石し、事前に準備されたと思われる、卵、ボトルまでをも投げ付けられている映像に腹がたった。唯面白半分に笑いながら、抗議というより遊びとし参加している者もいた。
 何故今日本なのか。戦後60年、戦いに参加した当時の人間は殆んど数える程になって来ている今!
当時子供だった頃、戦争の思い出話の中に「殺人・戦利品と称して盗みなど暴虐無人にやりたい放題」だった事を自慢げに話していた元軍人がいた事が記憶のどこかに残っている。これが「敗戦になつた国の宿命」なんだなと子供心に思ったものである。
 米軍に降伏した時、米軍に何をされるか分らないとおののき、敗戦と言う、かつて味わったことの無い結末に、米軍に占領されたと知り「あたかも国の為に死を選んだ」かのように語りながらも「日本がしたように中国・朝鮮と同様な行為がされる。それよりは死んだほうが増だ。」と思い込みながら屈辱・怒りながら散って行った人達も多かったのではないだろうか。
 60年経った現在の奇跡とも言われる繁栄は「米国による占領・敗戦」によるものであると言っても過言ではない。この平和を導いてくれたアメリカに感謝すら覚える。
 中国国民の植民地時代の屈辱も半世紀が過ぎ、わが国が味わった屈辱同様、丁度過度期を迎えたのかもしれない。将来、日本もきっと感謝される日が到来する事を信じ暖かく見守ってやりたいものである。
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何故社長が首を垂れなければならいか?

2005年04月21日 12時27分06秒 | ニュース
三菱・JAL・JRを初めとして、「遮断機事故」「安全管理の不備」「リコール隠し」等々で報道陣を前に社長・重役等の経営陣が頭を垂れ「平誤り」に記者会見をしている姿が見られる。「現場のの末端の責任者は何をしているのか」と憤りを感じる事さえある。
 社長が責任を追求されると言う事は、安全担当者・管理者の進退に関わる問題だと言うを認識していないのだろうかと疑いたくなる。現場上がりの社長は別として一担当者の業務まで把握出来ないと言うより、知らないと言うのが現実ではないだろうか。それをいかにバツクアプし会社の名誉と繁栄を死守するかを創意工夫し考え仕事を担当するのが中間管理者のはずである。年度・日々の教育と訓練がそれなりの予算を持ち「危機意識」を持つて運営されているのが大手企業と思っていたが認識が間違っていたようだ。
 以前勤めた中小企業の運輸業者では、四苦八苦経営の中でも、法令違反事故は「会社の存亡に関わる」と課業の終わる夜10時頃からの教育・日曜日の出勤手当て・弁当までも支給しドライバー教育をしている。
 それまで徹底しても不可効力的に事故は発生する。しかし、社長が前面に出て頭を下げると言う事態はなかつた。社員が全員一致協力・社長の意図が末端まで届いていれば社長に頭を下げさせると言う事が無いはずだ。マンネリを打破し「法令を忠実に守らせる」(コンプライアンス)と言う事が「安全管理」「危機管理」の基本の筈である。大手企業は模範となって然るべきである。
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★「タメ一割」?

2005年04月20日 10時43分54秒 | 癒  し
ラジオで付き合いには「タメ一割」でと言うような話していた。意味が分らず、聞くともなしに聞いてた。
 他人の心配ごと、世話ごとなどしてやっても、相手は「1割ぐらいしか聞いていないし、1割ぐらいしか心配して貰ったとしか思わない。」ものである。会社ののタメ・誰々のタメ「・・の為=タメ」には1割程度と考えてよいと言うように聞き取れた。善意も入り過ぎると最後は「余計なことをするな」としっこがられる場合がある。何事も程度問題である。災害時等ののボランティア活動も、参加時期、引き上げの時期のタイミングにより支援を受けた人の感情が相違する。「家族・孫には1割返し・1割の世話」が十分であると言う意味のようである。上手い事を言う。
 「団塊の世代の定年後の生活への対応と社会はどう変わるか」の議論が毎日のように報道されているが、今まで溜め込んだ財産は我が身の定年後の為につぎ込み、楽しく優雅に過ごす。
 後生に残すのは有価財産は必要なく、家族の絆と信頼等の「心の財産」を残す事が最良策ではと考えるのは無い者の僻みか。「若い者の夢・希望を絶やしているのは使い切れない親の財産」が自立心を喪失させている。親の責任に思える事も頷けるるような気がする。
 若者の定職も持たず暇に任せ、親の金で遊興三昧・詫びる事の無い凶悪犯罪が増加している要因となっている事にも影響を与えているようにさえ思える。
 我が家の皆は、残せる財産は無い事を良く知っている。帰り際ソット灰皿の下に札を挟んで帰っていく息子。財産の無い僻みでは無いが、感謝は素直に、返礼は「タメ1割」で質素に生活する。
 自分の定年後の平和な生活に消費できる楽しみを残す預金だけで良く、余生を後悔なく過ごす工夫だけを頭に置くこと。
 長生きするると言う事も大変な世の中になつたものだとツクヅク思うのは私だけだろうか。
早くから、多くの趣味娯楽を工夫・準備して置けば良かったと後悔している。しかし、今からでは遅すぎる・・・その日だけの生活だけに明け暮れ、将来を考える余裕を失っていた付けか゛今か・・・・

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酒酔い運転は逃げるが勝ち!?

2005年04月04日 14時52分20秒 | ニュース
車両事故の報道を見ると追突・死亡事故等を起こし、次の日に警察に出頭あるいは、自首すると言うケースが多い。この種の事故は酒酔い運転と見て間違いない場合が殆んどであるような気がする。 

以前、停止中に追突された事がある。降りて相手に近づき免許証の提示を求めながら110番をした。相は、即座に免許証を見せ「急いでいるので処理は電話でお願いします。」と話して来た。そのとき、酒の臭いがしたので「酔っ払い運転だろう」と言った途端に、記録する間もなく免許証を即座に取り上げ、無理やり車で立ち去ってしまった。

10分ぐらいして警察官がバイクで到着したので、今までの状況・経緯を説明し「酒酔いに当て逃げされたから、探してほしい。」旨進言した。警察官曰く「免許証を提示したのであれば、当て逃げにはなりまん。」「酒酔いは現行犯ですので、確認できなければどうにもなりません。」「では探して捕まえてください。」と登録番号と名前・電話までは確認していたので申し出た。

警察官は、即電話で確認していたが、その車の名義は違う場所の女性である。記録違いではないかと言われる始末。運転している運転手は実在しているが不在との事であった。警察に出頭させ調査すると言う事で後日警察から電話があった。 

出頭させ確認したが、知合いの車で、酒は飲んでいなかったと言っている。事故証明書は取れたものの、これ以上どうする事も出来なかつた。 
教訓その1 酔っ払い運転で捕まると思ったなら、その場を立ち去り酒気が無くなってから帰宅する。   その2 当て逃げと言われないよう免許証を見せ無理やりでもその場を逃げる。 酒酔いとの申し出があったなら、検問してでも検挙する体制が出来ないものかと腹立たしかった。 警察にはそんな余裕は無く救命処置第一優先である事も承知しながら・・・・
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誰もが危ない!明日は我が身

2005年04月03日 12時57分59秒 | ニュース
仙台市で4トントラックがアーケード街を次々と暴走し6人を跳ね3人を死亡させたと言う。
それも、自分の死に場を求めてさ迷った挙句の行為だったとか。アーケードをトラックが暴走するなどと誰が考え行動しているだろうか。千葉県でも猛スピードで酒酔い運転で突っ込みひき逃げ死亡事故が何件か続いた事があった。こんな所で何故・・考えられない事故である。今回の事故は酒は飲んでいないようだが行為は変わらない。人の命を何と考えているのだろうか。
 反対に、知らない同士の集団自殺が後を絶たないが、自分の命をどう思っての事だろうか。
何でも「人のせいにする。」「社会のせいにする。」「制度のせいにする。」「自分の思うがままに行動する」余りにも勝手過ぎる物騒な社会になったものである。
 これらの犯罪の原因は、他人のせいかのように主張し自分の非を認めず改めようとしない者まで居る。一時「自己責任」と言う言葉が流行った時があったが、自分のあらゆる行動には責任が発生すると言う事を考えながら生活するという基本を教える親・学校での戦後教育の歪が現れて来たとしか言いようが無いように思える。戦後の「食べる事で精一杯だった頃の親の苦労を見て育つた時代」と違い、働かなくても親が食べさせてくれる。得に何の苦労も無く育った世代の常軌を失した事故・事犯が余りにも多いような気がするのは小生だけだろうか。育てた親の責任は重大である。
 他人事ではない、明日は我が身、お互い自己防衛しながら、危機意識を持って毎日を過ごすしか手段は無い。
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