孫武の名言:兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり。fesh.jp/user/action/Y2…
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2017年7月7日 - 09:48
真の貴族のいないところでは、真のデモクラシー運動は起こらない。疑似デモクラシーで社会が満足しているから・・・ちょうど真の経営者がいないところでは、労働組合が強力にならないのと同様だ。(日記)丸山真男bot
— 丸山眞男bot (@masamaru_bot) 2017年7月6日 - 22:37
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように(ダンマパダ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2017年7月6日 - 23:04
「魂の偉大さは、偉大さの中ではなく、平凡さの中に発揮される。」(モンテーニュ)
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2017年7月7日 - 08:16
自然はもともと正直者だが、嘘つきには嘘をつくだけの狡猾さを失っていない正直者だ (Xへの手紙)
— 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot) 2017年7月7日 - 08:05
ポスト安倍?「岸田外相は講演で、安倍首相の看板アベノミクスを修正する必要性を強調。東京都議選の自民党惨敗を受けて党内各派閥がうごめく中、来秋の総裁選をにらみ、憲法9条改正への異論に続いて経済政策でも、首相と距離を置き始めた格好」(朝日)。様々なうごめき、聞こえ始めた。
— 孫崎 享 (@magosaki_ukeru) 2017年7月6日 - 11:53
「ソ連という国は事実上二つの国から成立している。一方では官僚とか共産党の役員とか技術者によって構成される、一握りの特権を持った上流階級という国がある。他方、曽祖父母に比べても殆ど生活水準が改善されない、巨大な一般大衆によって構成される国がある。」(フリードマン)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2017年7月7日 - 09:18
人は論じすぎて、真実を見失う。プブリリウス・シュルス『金言集』
— 古代ローマ名言集 (@RomensWord) 2017年7月7日 - 08:06
信仰の強さは,山を動かすことにではなく,動かす山を見ないことに現れる。(ベルグソン
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2017年7月6日 - 12:08
)
もしもこれらの質問の一つ一つの意義を知り、理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。これらの教えは彼岸に達せしめるものであるから、それ故にこの法門は「彼岸に至る道」と名づけられている(スッタニパータ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2017年7月6日 - 13:04
何故、戦争が18世紀においてあとにも先にも無かった程恐ろしいものでなかったかという根本的理由は、その時それは宗教的狂信の武器ではなくなり、しかも未だ民族主義的狂信の道具にもなっていなかったことであった。(トインビー『歴史の研究』)
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2017年7月7日 - 08:08
人がありのままの姿で語る時、 その本音とは遥か遠いところにいる。 仮面を与えよ。その人は真実を語るであろう。
— オスカー・ワイルド (@OscarWildeBotjp) 2017年7月7日 - 07:13
もしも、もっとも有力なパリサイ人が、イエスを教会に連れていき律法博士と呼び、うやうやしくその言葉に耳を傾けたならば、イエス自身も新しい福音を伝道するなどということはなかっただろう。(E・ホッファー)
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2017年7月6日 - 18:08
神への信仰に命をかける人は、その信仰を失うことがあるかもしれない。だが、神そのものに命をかける人は、決してその命を失うことはないであろう。全然触れることのできないものに命をかけること。それは不可能である。それは死である。が、それが必要なのだ。
— Simone Weil (@simoneweil_bot) 2017年7月7日 - 02:06
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