自覚のある人間集団は、自分の経験に普遍的な意義を与えようとする人間自然の傾向を持っているのでしょう。型は事件そのものに内在するのでなく、歴史家の意識と経験とによって、事件に与えられるのです。(E・H・カー)
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2018年1月26日 - 16:07
「驚異はあらゆる哲学の土台であり、研究はその過程であり、無知はその究極である。たしかに、名誉においても勇気においても知識に少しもひけを取らないある種の強くて気高い無知がある。この無知をいだくには知識をいだくにも劣らぬほどの知識が要る。」(モンテーニュ)
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2018年1月26日 - 08:14
そういう事態(第二次朝鮮戦争)が発生したら、米軍は、日本本土の基地を使えば良いのだその結果、日本が戦争に巻き込まれても仕方がない。 佐藤栄作(1969.2.28 沖縄返還に関するハリー・F・カーンとの会談)
— リアリズムと防衛のBOT (@ria_bou_bot) 2018年1月26日 - 16:03
神があると考えて、充実したよろこびを感じるのならば、自分は存在しないのだと知っても、同じ充実感を味わうべきであろう。これらのことは、同じ考えなのだから。そして、この知識は、ただ苦しみと死を通じて感覚にまで拡大されて行くのだ。
— Simone Weil (@simoneweil_bot) 2018年1月26日 - 14:03
事を遂げるものは、愚直でなければ。才ばかり走つてはイカヌ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2018年1月26日 - 01:00
友よ、何ものをも信じるな。証拠なしには何ものをも受容れるな。殉教者たちの流した血も、何ものをも証拠立てはしなかった。どんな下らない宗教にも必ず殉教者はあり、必ず深くこれに帰依した者はあったのだ。信仰の名において人は死に、信仰の名において人は殺すのだ。『新しき糧』
— ジッドbot (@Gide_bot) 2018年1月26日 - 08:16
空間の点とは何であるか。誰でも知っていると信じているが、それは幻覚である。我々が空間の一点を表象しようと試みるとき、我々の見るのは白い紙の上の黒い斑点や黒板の上の白墨の斑点であるが、これはいつでも、ある物体である 。-ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年1月26日 - 22:10
経験はどういう選択が我々の身体の性質に最もよく適応するかを示して我々を導いてくれた。しかし経験の役割はそれ以上には出ない。-ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年1月26日 - 22:15
絶対的空間も絶対的時間も存在しない。そして相対的運動だけしか考えられない。そればかりか相異なる場面に生じる二個の事象の同時性の直観すら有しない。或る慣性系で流れる時間を別の慣性系から見ると進んだり遅れたりして見える。我々が同じ空間や同じ時間を生きていると思うのは幻覚なのである。
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年1月26日 - 22:27
近頃、所有者不明の土地が社会問題になってる様だが、土地の様な生産手段の私的所有そのものが間違っているのではなかろうか。抑々、我々は土地を所有してなかった。土地は封建領主のものだったのである。それを私人に所有させ税金(固定資産税)を取って遣ろうという資本主義的発想がせこいのである。
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年1月26日 - 22:43