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「試験の不正行為など他人の過ちには強く問題を提起する。自分が損をしていると思うから…」(ソウル中浪区A中学1年担任教師)
「自分に過ちがあれば最後まで言い訳をする。事実でないのは明らかなのに、何ともなく嘘をつく。絶対に認めない」(ソウル江南区B中学3年担任教師)
他人の不正には強い抵抗感を見せる。一方、自分の過ちは大したことではないと考える。
親や教師、友人に平気で嘘をついたりもする。一瞬矛盾した姿と思われるこうした現実は、中学生が持つ道徳性の断面だ。
人に厳しく自分には寛大な一部の大人の二重基準が子どもにそのまま投影されている姿だ。
取材チームがソウル・京畿道の中学生・教師・保護者119人に深層インタビューをした結果だ。
これは客観的な数値にも表れている。慶煕大・中央日報の人格指数調査(中学生2171人調査)で正直(61.7点)は10の指標のうち最も低かった。一方、正義(81.3点)は最も高かった。
人格を形成する3つ(道徳性・社会性・情緒)の領域のうち、唯一道徳性に属する2つの指標でこういう相反する結果が出た理由は何か。
「正直は自分に対する基準であり、正義は他人に対する基準。自分は正直でないのに、他人の過ちは許せないということだろう」。
慶煕大のキム・ビョンチャン教授(教育学)は「全般的に道徳性の指標が低いにもかかわらず正義だけが高いというのは、他人の不正で自分が被害を受けるかもしれないという利己的な動機のため」と説明した。
深層インタビューで会った82人の中学生も似た考えだった。
「正直になれば友達に利用され、馬鹿者扱いされる」(ソウル東大門区C中学3年男子生徒)、「テレビに出てくる長官や国会議員を見れば、みんな嘘をついている。正直者は成功できないと思う」(ソウル蘆原区D中学3年女子生徒)。
教師も生徒が正直でない点を最も大きな問題だと指摘した。
京畿道水原E中学3年の担任教師は「たばこの吸い殻がポケットから出てきても、現場を目撃しなければ吸っていないと言い張る」とし「嘘が習慣化している」と述べた。
人格指数調査で中学生の32.5%は「友達や親をだましている」と答えた。
中学1年の子どもがいるパクさん(45、女性、京畿道高陽市)は「家でゲームを禁止したところ、インターネットカフェに行こうとずっと嘘をつく」とし「嘘が増え、日常的な会話もしにくくなった」と話した。
「路上でお金を拾えば持ち主を探すか」という質問には、41.8%が「探さない」と答えた。D中学のカン君(15、3年)は「持ち主を探す人は一人もいないはず」とし「落とした人が悪い」と話した。
深層インタビューに参加した慶煕大フマニタスカレッジのイ・ムンジェ教授は「とにかく勉強ができればいいという行き過ぎた結果中心教育方式が、子どもたちをだめにしている」とし「大人から変わらなければいけない」と述べた。ソウル中浪区のA中校も「子どもに問題であるのは、正しく教えていない大人の責任」と話した。
実際、成人対象の調査で大人の人格指数は高いほうではなかった。教師は83.5点だったが、親(73.6点)は生徒(69.8点)とほとんど差がなかった。
韓国人は 「息を吸うように嘘をつく」
韓国人がうそが上手だという記録は、旧大韓帝国末期に朝鮮を訪れた外国人宣教師の見聞録に度々登場する。
1920年代に、小説家李光洙(イ・グァンス)が民族改造論を掲げ、朝鮮人の短所をいくつか挙げた。そのうちの一つがうそだった。
今日も「うそ共和国」という言葉を耳にするほどうそがまん延していることを、否定することはできないが、その背景を韓国の民族性のせいにする見解には賛成できない。
◆「うそが上手な民族」という表現は、西洋人宣教師が韓国人を見下して、自分達が教化すべき対象であることを強調する「オリエンタリズム」的発想から生まれた側面が大きい。
昔の農村の素朴で寛大な人情、大義名分と道徳性のために命まで投げ出した昔のソンビ(学者)たちの気概を覚えている人々は、このような主張に同意しないだろう。
李光洙の民族改造論も、結果的に日本の植民地支配を正当化する一助となった。
◆人間が完璧な存在でない以上、古今東西を問わず、何人もうそから自由にはなれない。
道徳的に優っていると威張る米国も然りである。最近の米国発経済不安の発端となった米国企業の会計不正も、うその心理によるものであり、クリントン前大統領やニクソン元大統領が、ルウィンスキースキャンダルやウォーターゲートから免れるためにうそも辞さなかったことは記憶に新しい。
もちろん国家や地域によって程度の差はあるが、うその出発点は、基本的に人間の心に内在するどん欲と利己心である。
◆韓国の法廷でうその証言をする偽証が大いに増えたという。
法廷は「うそ競演場」とも呼ばれる。罪を論じる場で、窮地に追い込まれた被告がうそという「悪魔の誘惑」に簡単に傾くことは、理解できないわけではない。
さらなる「うそ競演場」になり下がった聴聞会とともに、恥さらしの自画像である。問題は、どうすれば韓国民族に対する自虐に陥らず、正直の力が湧き出んばかりに溢れる社会を作ることができるかということだ。
世界的に清く正しい国家の共通点は、節約と清貧が価値観として根づき、家族や親戚など血縁に縛られないことだ。
カネと権力が社会構成員の至上の課題となる限り、貧しくとも堂々たる人生はお笑い草になるしかなく、うそは決して減りはしない。
「うそを勧める社会」から脱する方法は、意外に近いところにある。
洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 東亜日報
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