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私も同感 (ぴーちく)
2006-08-06 04:02:55
ご意見にほぼ同感です。もう一点追加するとすれば、松平宮司と昭和天皇との間に大きな溝ができていたのではないかということ。ですから参拝中止の直接的な原因が、松平宮司のやり方にあったと見る方が、A級戦犯合祀に不快感を持ったという解釈よりもっと合理的な気がします。



松平宮司は戦前は海軍少佐、戦後は自衛隊一等陸佐という軍人畑を歩いてきた人です。義父はオランダ軍事法廷で先般とされ銃殺された醍醐忠重海軍中将でした。醍醐中将は信望厚く、高潔な人物であったようで、ろくな裁判も受けずに処刑された。そのことが松平宮司が合祀にこだわるとともに、東京裁判史観の否定という政治的な動機を持つに至った背景になっていると思われます。



戦後一貫して平和と国際協調に心を砕いてきた昭和天皇にとって、松平宮司の思想、歴史観は相容れないものであったのかもしれません。その松平氏が宮司を勤める靖国に参拝するということは、彼の歴史観を天皇として認めることになります。また、松平宮司は皇太子(今の今上天皇)に対し参拝させるよう宮内庁に進言するなど、宮内庁や皇室との関係も険悪でした。



ところで、八木秀次氏は新潮記事の中で「親の心子知らず、などと非常に強い言い方は天皇にはそぐわず、むしろ松平が徳川家の家来みたいなものだったと考えると、徳川侍従長の方がそういう言い方をしてもおかしくありません」と述べていますが、おそらく八木氏は生前の徳川侍従長とお会いした経験はないのだろうと思いますね。



松平宮司の父親は式部長官や宮内大臣を歴任した、徳川侍従長にとっては大先輩にあたる方。その息子を家来同然にみなすというのは考えづらいことで、まして親(徳川)の心子(松平)知らずなどいう解釈がいかに馬鹿げているか。歴史については素人同然だということがよくわかります。
Unknown (heywa)
2006-08-07 11:15:09
松平宮司の思想的背景についてご教示下さり、ありがとうございます。昭和天皇は松平宮司に思想に相いれないものをお感じになっていたことは確実だと思われます。そのような人物が宮司でも、A級戦犯の合祀がなされていなければ、参拝を取りやめるというところまでは行かなかったと思われます。