駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

アキラと30年

2019年10月07日 | ソウル・フィンガー
10月7日(月)本日のJOG=30分
先週の金曜日に、ソウルフィンガーでライブをした時のこと。
ライブ前、すでにお客さまがけっこういらっしゃいました。衣装に着替えなくてはならないのだけど、場所が足りないのでいったん外に出て少し離れた所で着替えることにしました。
着替え終わって、アキラ君と二人で一緒にお店に戻る道中、ふと彼が行った。
「へいさん、今年で僕たちがオールディーズやりだしてから30周年ですよ。」
そうだった。アキラと出会って30年だ。


写真は去年のライブ時のもの

あれは、バークレイがまだときわ通の地下にあったころ、マスターの疋田さんと「The Aldies」というストレート過ぎる名前のオールディーズバンドをやっていた。
新しいボーカルとして、まだ大学生だったアキラ君がやってきた。その日は、特にオーディションというふうでもなく、もう普通に練習として参加してきたような気がするが、30年前なので記憶もおぼろげなのだが、それだけ違和感がなかったという事なのだろうと思う。
彼はオールディーズやロカビリーが大好きといい、それだけによく聞いているようだし、それっぽいファッションもとても好感が持てた。

特筆すべきは彼の強いハート。どんなコンディションの悪いステージでも、物怖じせずにやり過ごすことができる新人だった。それはオレだけじゃなく、当時のメンバーが皆認めていた。
ただし当然ながら、当時は歌はまだまだ不器用で発展途上だった。
それからのアキラはライブを重ねていき、めきめきと上達して、やがて金沢ケントスでのプロデビューを果たした。
アキラは金沢で7年歌い続け、それは多くのファンを獲得したようだ。今でも年に何度か呼ばれて第2の故郷へ「帰郷」しているようだが、それだけではなく、ケントス関連のイベントには引っ張りだこのレジェンド扱いである。

アキラの抜けたあとも、「The Oldies」はラッキーなことに才能あるボーカリストが見つかり、バンドは継続していた。
アキラは、金沢から帰ってしばらくは歌の世界と離れて公務員として働いていたが、たまに名古屋からの帰りの電車で偶然会ったりして、そこから再び動き始めた。(笑)

アキラ君とオレが、再び本格的に一緒に演奏することになるのは、金沢に行ってから10数年経ってからだ。
バリバリのプロとして7年間苦労してきた彼の歌は、新人の頃のアキラとは全く違っていて、上達しているのは当然のこと、洗練されて格段に耳が肥えていることに驚いたもんだった。

アキラ君とオレの関わる新しいユニットとして始まったのは、ソウルフィンガーの前身のJ&Rだった。
活動は短かったが、ジャズっぽい演奏をした後で、アキラ君がエルビスを歌うというとんでもなく変わったコンセプトだった。
結局、ジャズよりもロックが聞きたいというお客さんが大多数だったので、ロカビリーやR&Rの曲を多くするうちに、女性ボーカルを加えて、それがソウルフィンガーとなったわけである。

続く
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