駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

「豊橋ルンバ」から「浜松ルンバ」へ、そして「和歌山ルンバ」

2022年07月14日 | 駄日記

7月14日(木) 本日のJOG=30分
ルンバといえば、今ではお掃除ロボットのことだと思うのでしょうけれども、もともとは、ルンバはラテンのいかしたリズムであって、西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」は昭和の大ヒット曲だったりします。
その昔、オレはずっとオールディーズバンドで演奏をしていて、ドラムとコーラスをやっていた。20代の頃に豊橋のバークレイ・インのマスターの疋田さんのバックで始めたのがきっかけで、バークレーが移転した後も10年以上続けることになった。
そんな頃にオレは男女のデュエット曲を書いた。「ヘイ・ポーラ」みたいなステキなバラードが書きたくて、思い付いたのが「豊橋ルンバ」だった。ご当地ソングにしたいわけでもなかったが、思いついた歌詞が「豊橋の夜は眠らない」、「市電の走るこの街で」、「一人じゃ、心はちくわの穴よ」というコミカルぽいご当地な歌詞になった。曲はバラードというより昭和ムード歌謡っぽくなった。
ただ、人前で演奏することはなかった。いつもボーカルはかっこいい男女のボーカリストで、「アキラ」「カズミ」、のちの「ツリ」という二枚目な彼らに雰囲気が合わなかった。

豊橋のバークレイはバブル崩壊後、移転を繰り返すことになり、ハコバン的活動は終わった。その後オレは浜松での演奏が主になった。浜松の「松菱」という老舗の百貨店の屋上ビアガーデンで毎週演奏する仕事に、パーカスで参加することになった。
そのバンド「パウダー」では面白いキャラの「ジュンジ」と清楚な感じだけどプロ志向の「ツシマちゃん」がボーカルだった。
そこで思い出したのが「豊橋ルンバ」で、歌詞を書き換えて「浜松ルンバ」にした。ご当地ソングなので、今度は浜松の中田島砂丘の凧祭り、遠州のからっ風や、名物のウナギやピアノを混ぜ込んで、「のぞみは通り過ぎる街」だとか「市電」を遠鉄の「赤電」に変えてみた。
人気の老舗ビアガーデンなので、週末にはお客さんが400人以上入って、毎週演奏していたら「浜松ルンバ」がちょっとしたヒット曲になってしまった。お客さんから、その曲のCDはどこで買えるのかと聞かれ、レコーディングした曲をカセットテープに落として無料で配ったりした。当時はまだ今のようにパソコンでCDが焼ける時代ではなかったし、頼んだら金額も相当高かった。

ある年の冬に「松菱」は突如倒産してしまった。オレたちはシーズンオフだったが、夏のビアガーデンシーズンを楽しみにしていたのでショックだった。
そうこうするうちに、プロ志向の強い「ツシマちゃん」は念願のプロデビューが叶い、本名をもじって「美夜」として東京へ行くことになった。
その時に「浜松ルンバ」も持ち歌として持って行くことになったが、デビュー曲は違う曲になった。清楚なイメージが合わないのと、デュエット曲なので相手方を探すのが難しいという事だった。

結局、別のパンチのある声で強いキャラの女性がデビューするのに合わせて、そちらで歌ってもらうということになり、事務所からオレに依頼が来た。
その子は「真魚(MAO)」さんといって、和歌山県出身の女性なので「浜松ルンバ」を「和歌山ルンバ」に歌詞を変えてほしいという。
もちろん引き受けたが、実は和歌山の事はあまり知らない。当時はスマホなんてなく、ネットも今ほど充実していなかったので、旅行ガイドを買ってきたりして情報を得て歌詞を書き換えて東京に送った。
そして「和歌山ルンバ」は完成した。シングル盤なので「ポイ捨てブギ」のカップリング曲というB面扱いだったが、日本コロムビアからの全国発売というのが嬉しくて、CDの発売される前に豊橋駅前の精文館のレコード売り場で10枚ほど予約注文して買ったのを思い出す。

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