駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

真のロックンローラーって、やっぱりジョニー大倉のことだと思う

2015年04月14日 | 駄日記
高校生の時、キャロルにハマって朝から晩までキャロルのこと思ってました。
ていうか、ドラマーだけにユウ岡崎さんのロックンロールドラムに憧れて、エイトビートのかっちょいい叩き方ばっかり追いかけていました。
キャロルはやっぱりライブがカッコよかった。

ジョニー大倉さんの音楽葬が行われたというニュースを見た。
ラストライブから、何ともう40年ということで、その日に合わせて、こういうイベントが行われたといいます。
若き頃のジョニーさん、かっこよかった。
年を重ねて太ってしまってイマイチな感じもしたり、栄ちゃんとの軋轢とかあったりして一見パッとしませんでしたが、ジョニーさんは突っ張っていました。
晩年は病気になって、抗がん剤で頭髪も抜けたりしましたが、ジョニーはジョニーです。
ロックンローラーってかっちょいいだけじゃなくて、よくない時も含めて突っ張り通す男気が、ロックンローラーなんですよ。
ジョニーさんありがとう。

「リブヤング」のライブレコードは擦り切れるほど聞いたし、コピーした。
もちろん、ラストライブのアルバムは、そのまんまコピーしまくったので、いまでもあのドラムソロはそのまんま演奏できる。はず。。。
高校生の時、豊橋体育館で行われたキャロルのライブには、オレ、静岡県だった当時の自宅からど寒い中ホンダのモンキーに乗って多米峠を越えて行ったんだ。
あの頃は道路事情も悪くって、多米峠越えが近道だったし、何と言っても有料道路だった。
確か春先だったと思うんだけどとにかくど寒い。
でも、オレあんまり着るものがなかったんで、ウインドブレイカ―にフルフェイスという真昼の格好で出掛けてしまって、日が暮れて寒くて奥歯ガチガチ言わせて豊橋に着いた。
ところが、遅れてしまってライブはすでに始まっていたんだ。
寒さに震えつつ、チケットを渡して中に入ると、何と騒然としてる。
オレが着いて落ち着いた途端、演奏がストップしてしまった。
何かと思ったら、客がシンナー吸って騒ぎだして、警察沙汰になってしまって演奏中止。
当然、その後はアンコールも何もなく、その場でお開きだった。
オレ、グッドオールドロックンロールかなんか、1曲聴いただけだった気がしていますが、それすら危うい。
印象に残っているのは、パトカーの赤いランプと、体育館に入る時に、ホンダのモンキーでのこのこと入るオレを、警官が「待て」と免許証を提示させたことだけ。
とにかく寒くって、手がかじかんで免許証が出せなくてよけいに不審がられたような気がする。

それから2年ぐらい後に、オレは社会人となっていたんです。
キャロルが解散して、ジョニー大倉はソロ活動をしてアルバムを出しました。
もちろん当時のアルバムは全作買っていました。
そして、豊橋の公会堂でソロライブがありました。
何かの縁で、オレはそのコンサートのスタッフとして手伝いをしました。
そのライブのドラマーが、なんとアイ高野さん。ビックリしました。
ボーカリストとして超一流のアイ高野さんが、バッキングドラマーとして仕事していました。
ドラムセットはTAMAのインペリアルスターでした。
ジョニーさんは全然ロックンローラーな格好じゃなくて、オレとしては「オジサンじゃん」みたいなカルチャーショックを覚えたことを思い出します。。。
でも、ライブ自体は大成功。
すごく良かった。
今にして思うとあの時の「ロックンロール・ドドンパ」っていうのが今一つ好きじゃなかったんですけれど(笑)

ジョニーさんが残してくれた足跡は、オレ的には永ちゃんよりも多かった。
矢沢さんはビッグなスターですが、泥臭いロックンローラーではなかったと思うんです。
真のロックンローラーって、「夢半ばで倒れてしまった」というイメージが強すぎて、裕福になってしまうと卒業しちゃうんですよね。
ジョニーさん、安らかに。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする