駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

嬉しい言葉

2009年02月24日 | 駄日記
2月24日(火)
友人や先輩後輩から、このコメントやメールなどを通じあたたかい声をいただき、じつに励まされます。本当に嬉しく思います。
ばたばたしているだけで、実はそれほど悲しみに耽ってなんかいられないのですが、これら励ましの言葉を読むうちにほっこりと、じんわりと来ます。
これでどれだけ自分が元気付けられたか判りません。感謝します。
言葉ってすごいな。
「はじめに言葉ありき」と聖書にもありますもんね、人間だけが持つことを許された最大の力だなと改めて思います。
喜ばせたり笑わせたり泣かせたり、逆に自分などはどれだけ誤った言葉で人を傷付けたか、こんなへんなときに思い知らされて反省してみたりしています。
これからも、こんなたわいのないくだらない日記とはいえ、公表している以上は言葉を間違えて使わないように、細心の注意を払って書いていこうと思うのであります。
なので読んでくださった皆さんが思うことがありましたら、どんどんご指摘をいただければ幸いであります。(エロ広告、訳のわからない誹謗中傷は勝手に処分しますけど・・)

母が亡くなってからというもの、我が家は喪主だけに音楽活動は停止状態で、音楽的要素が全くありません。
でもなぜか、このところ自分はコニー・フランシスの歌声にいつも包まれています。
先日購入した、コニーさんの全集2枚組みCDと日本語バージョンCDが変わりばんこで車で流れているので、あちこち走り回る際にあの優しく可愛らしい歌声に癒やされているのです。
母もオールディースが好きだったので、コニーさんの古き良きヒットソングを一緒に聴いているように感じます。
去年の三ケ日WATTSで行った「真昼のOldies・Party」に体調がよかった母がきて、ライブを楽しそうに観ていたのを思い出します。
後に母から「今度はいつやるの?」なんて聞かれ、次回を楽しみにしていたことを思うと残念です。
でも、逆に不自由な体ではなく今では自由な魂なんだから、浜松でも豊橋でも次のライブには空を飛んで聴きに来いやと言ってやるかな。

母は今、お骨と遺影と位牌という姿にはなってしまったけれど、やっと我が家にやってきて一緒に住むことができました。
実家の取り壊しのあと、うちに来るように勧めたにもかかわらず頑なに拒んで一人暮らしをした母なので、体調が悪くなってからも我が家の敷居が高く感じたのでしょう。うちに寝泊りした日はほんの数えるだけで、あとは施設と病院が殆んどでした。
そんな母と、やっと一緒に住むことができた。
毎朝、お茶を入れて祭壇(50日祭までの間の仮の祭壇ですが)に手を合わせると、なんだかホッとします。
「おはよう」なんて言葉をかけることができる、それが嬉しいのです。
たった、「おはよう」だけでも嬉しい言葉なんです。
コメント
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