駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

正のチカラと負のチカラ

2006年02月16日 | ライブレポ
(WATTSで正のチカラを振り撒いているところ)
昨日は「音楽のチカラ」というテーマで日記を書いた。
今日は、その続編というわけでもなく、いろいろと思い巡らした事を書こうと思う。
昨日の日記のように「ラジオから流れる音楽で元気が出た」という事って、誰でもあると思うけどどうよ?とみんなに聞いてみたいところだが、その場合のチカラというのは、紛れもなく正のチカラだ。
オレ達音楽家というのは、何がやりたいかといえば究極のところ、誰かのチカラになりたいという事だと思う。
オレ達がステージで歌う。それを初見のお客さんが聞いてくれて、何かしらのチカラを得てくれて喜んでくれる。これは最高の勲章である。また、オレ達の知らないところで、CDなりFMなりのメディアを通じて、オレ達の歌を聴いてチカラを得てくれると、いうのは今でも夢である。
この年になると、演奏活動をして金を稼ごうとか、儲けようなどという夢はもう見ない。
人間というのは、誰でもまず最低限の生理的な食欲性欲睡眠欲などがあり、それが満たされると、その次に金銭欲や購買欲など贅沢したい欲が生まれ、次に賢くなりたい勉強したいとか、出世欲など自分自身を認めて貰いたいという欲、最後に世間に対して奉仕欲というのが生まれるそうだ。
いきなり自分で反論するわけではないが、オレは昔から睡眠欲すら満たされなくって、当然金もなければ出世もしていない。だが、音楽を通して奉仕したいという気持ちだけは持ち続けている。若い頃、いろいろと挑戦はしてみたが、世間の役に立ったことは一度もないと思う。手弁当で遠路はるばる演奏しに行っても、はたして喜んでくれたのかなあ~?ということばかりだ。
すごく昔のことだ、オレ達がまだ20歳ぐらいの頃、山奥の公民館に楽器を積んでトコトコ演奏しに行ったことがあった。相手は子供たちだった。勿論ノーギャラだったが、帰りに子供たちに囲まれて、握手攻め、サイン攻めにあった。サインといっても広告の裏に名前を書けということだった。オレ達は真面目に署名してきた。
お土産に松ぼっくりやどんぐりやら手書きのお面だったかを子供たちに貰い、親御さんにミカンだったかリンゴだったかカキだったか、山ほど貰って帰ったことがあった。メンバー帰りは笑顔だった。
子供や地元のおじいちゃんおばあちゃん達の正のチカラに逆に励まされた。

当然、負のチカラもあり、侮れない。このチカラはうっかりすると知らないうちに飲み込まれて、気付かないうちに他人を侵食しようとしていることがある。
オレはアル中ではないと思っている。タバコのようにいつでも止められると思っているが、甘いかもしれない。
以前、アル中で専門の病院に入退院を繰り返している人がいて、仕事上やり取りがあった。その人が酒を飲みたくなると、ものすごいパワーで100円、200円をねだるのだが、分かりきった嘘を延々とつくのだ。そんな縁もゆかりもない人なのに、そのパワーにほとほと参って小銭を渡してしまいそうになる。まさしく負のチカラの恐ろしさだ。
オレは少し前、昔なじみの同級生に嘘をつかれて数万円騙し取られ、逃げられた。
正確に言うと、きれいごとを言っていても嘘は薄々分かっていたし、金は多分戻ってこないとも思った。金に困っているのは事実だったので、相当覚悟して手渡した。そのときのヤツのパワーも凄かった。負のチカラに負けてしまった。
オレは、ある事情で本当に余分な金はなくって、その数万円ですっからかんになってしまい暫く本当に苦労した。それが分かっていても、負のパワーには勝てなかった。
つい封印してたことを思い出してしまった。
音楽で、正のパワーを振り撒こうぜ!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする