駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

浜松ルンバと美夜ちゃん

2005年11月14日 | オールドミュージック
(浜松ルンバのレコーディング風景)
先日書いた、メジャーデビューしたもののB面だった「和歌山ルンバ」は、もとは静岡ルンバで、その前が浜松ルンバだったと書いたが、浜松ルンバは、もともとは豊橋ルンバだった。
ワケが分からないと思うが、経緯を書こうと思う。

10数年前、豊橋の繁華街はずれにある、怪しい地下の店で毎週金曜日に演奏していた頃、音楽性に悩んでおり、あれこれいろんなジャンルの音楽を聴いていた。
そんな時に、ポッと浮かんだメロディと歌詞が豊橋ルンバである。
オレは、殆ど曲を書く時は詩とメロディが同時進行だ。豊橋ルンバも歌詞とメロディがいきなり沸いて出た。
これはいけると膝を打ち、その頃のバンドで演奏しようと思い、録音しカセットを配ってみたものの、メンバーには不評だった。
無理もない、ご当地ソングでムード歌謡っぽいコミカルソングだ。当時二枚目が売りのバンドだったのだ。(まじだに)

それから数年後、浜松でPOWDERに出会い、オレはパーカッションで参加することとなった。
演歌や物まねの上手いJUNJIに、女性ボーカルに美夜が参加することになって幅が広がった。JUNJIの横幅は既に広がっていたが。
ビヤガーデンでの仕事があったので、POWDERでもオールディーズをやることになった。
だが、何となく物足りない気がした。
今度は、か細い体のクセに凄い声量で歌う、見た目儚げな美夜のイメージと、どこまでもコミカルなJUNJIのミスマッチが面白く、コミックソングOKという雰囲気だった。
そこでオリジナルでデュエット曲をやろうよとオレが言い出し、「浜松ルンバ」が出てきたわけだ。

とりあえずカセットを作ろうということで、いつものスタジオでセルフレコーディングした。
JUNJIも美夜も歌が上手く、レコーディングは1発OKであった。
美夜の歌は申し分なかった。文句をつけるところがなかった。
あ、少しは注文があったが、あまりの可愛さに文句はなかった。
JUNJIの歌もバツイチもとい、ピカイチであった。
ビヤガーデンでも評判がよかった。
CDできたら買います。とたくさんのお客さんに言ってもらって嬉しかった。

あの時、CDを作っていれば記念になったのだが、実現しなかった。
実は金がなかった。オレは今でも金がないが、当時は輪をかけて金がなかった。
酒代と○代がエンゲル係数をやたら高めていた。酒と○が支出のかなりの部分を占めていたのだ。
あの当時、CDを100枚作るのに数10万円かかり、どうひっくり返しても小銭も出せなかったのだ。
そのうち、美夜はプロになるといって東京へ行っちっち、だった。
CD化は消えてしまった。

美夜がプロデビューした後、浜松で凱旋ライブをするというとき、デビュー曲と浜松ルンバを歌うと言う。
「そりゃよかった、見に行くでね」なんて言っていたら、JUNJIの都合がつかないから、オレに歌えと言う。
そんなん無理だよ~といいつつ、スーツを着て出来たばかりのザザに行った。
緊張がちがちで何を歌ったか覚えていない。
きっと、みっともなく声が裏返って、お客さんの笑いを取ったんだろうと思う。

浜松ルンバ

1、もしも此処が 雪国なら タンクトップは 似合わない
海に沈む 夕陽にいだかれる もち肌の彼方が好きよ

まるで熟れた 果実のような 君に出会ったあの日
打ち寄せる 波にさらわれた スイカのように揺らめいて

夜の帳が心も濡らす 
これから二人 何処へ行くの
帰らない 帰さない
一人じゃ心に からっ風
はなれない はなさない
浜松の夜は 眠らない

2、もしも生まれ変わるのなら も一度私を 見つけてね
赤電の走るこの町で あなたと二人暮らしたい

二人の恋は 砂丘の風に 舞い上がる 大凧のようさ
ピアノ弾きみたいな指先に 触れたらいつも夢心地

のぞみは通り過ぎる街だけど
とめどなく 重ねる心

帰らない 帰さない
うなぎの心じゃ つかめない
はなれない はなさない
浜松の夜は 眠らない

帰らない 帰さない
二人に嘘なんて 中田島
はなれない はなさない
浜松の夜は 眠らない

コメント (9)
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