今日は朝から雨降りで、しかも出かけていましたので、写真撮る間がありませんでした。
それで、昨日の絶好快晴の中のwalkingで拾った写真を・・・・。
もう秋も終わって“もみじ”も僅かにしか見られないようになりました。今年は桜や“はなみずき”などの木の葉の方が早くから色付き綺麗でした。それももう散って、各枝に1枚、2枚を僅かに残すような風景になってしまいました。
学生の頃、英語の時間に習ったアメリカの小説家オーヘンリーさんの“最後の一葉(Last Leaf)”というのを思い出しました。最後の1枚になった木の葉を見てこれが散るとき自分も死ぬんだという病床の友人のために、風雨の夜、この葉っぱが散らないように針金でシッカリと留めてあげた本人が、そのために風邪を引きそれが原因で亡くなってしまったというような話だったと思います。電子辞書のような便利なものなんか無かった時代です。辞書で調べるのが面倒なため?I 文庫の訳本を買ってきて、先生に当てられた時、それを英語の本と重ねて読んだら違った場所だったなんてこともありました。そのときの先生の顔、楽し懐かしい思い出話です。
歳を取って、昨日、一昨日のことはよく忘れ、何も覚えていないことも多いのに、こんな古い話はシッカリと覚えています。これ、喜んでいいにやら?(hero)
それで、昨日の絶好快晴の中のwalkingで拾った写真を・・・・。
もう秋も終わって“もみじ”も僅かにしか見られないようになりました。今年は桜や“はなみずき”などの木の葉の方が早くから色付き綺麗でした。それももう散って、各枝に1枚、2枚を僅かに残すような風景になってしまいました。
学生の頃、英語の時間に習ったアメリカの小説家オーヘンリーさんの“最後の一葉(Last Leaf)”というのを思い出しました。最後の1枚になった木の葉を見てこれが散るとき自分も死ぬんだという病床の友人のために、風雨の夜、この葉っぱが散らないように針金でシッカリと留めてあげた本人が、そのために風邪を引きそれが原因で亡くなってしまったというような話だったと思います。電子辞書のような便利なものなんか無かった時代です。辞書で調べるのが面倒なため?I 文庫の訳本を買ってきて、先生に当てられた時、それを英語の本と重ねて読んだら違った場所だったなんてこともありました。そのときの先生の顔、楽し懐かしい思い出話です。
歳を取って、昨日、一昨日のことはよく忘れ、何も覚えていないことも多いのに、こんな古い話はシッカリと覚えています。これ、喜んでいいにやら?(hero)