或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

安井曾太郎(2)

2008-02-22 06:29:40 | 300 絵画
安井を記事にするにあたり、勉強のためにヤフオクでいろいろと過去の企画展の図録等を購入していて、その中で特に嬉しかったのが彼自身唯一の著書「画家の眼」(1956年)を入手したこと。絵に対する考え方がダイレクトに伝わってきて、彼の人となりが見えてくるから。この本にはサプライズがあって、それはまた別の機会に。

この本の表題のすぐ後ろに載っているのが上の写真の「自画像」(1905年)。明治38年で当時まだ弱冠17才。かなり上を向いた顔の表情からは、落ち着きと共に強い意志が感じられる。これを最初に載せるというのは、本人も気に入っていたと勝手に想像している。というのもスーツ姿とかこの後に描いた自画像が何枚かあるのだけど、この作品に一番雰囲気を感じるから。

彼は京都の生まれで、後に良きライバルとなる梅原龍三郎と同年同郷。生家は大きな木綿問屋だった反面、暮らし振りは地味だったらしい。明治36年(1903)に画家を目指すため京都市立商業学校を中退。その後個人指導を受けながら勉強していた時に、たまたま知り合った学生を通して聖護院洋画研究所へ入所。ここで最初の恩師である浅井忠の指導を受けることに。

とにかく真面目な性格で、絵を描くことと飯を食べること以外にしたいことがなかったと友人にからかわれることも。でもさぞかし毎日が楽しかっただろうなあ、好きなことに一日中没頭できて。持ち前の才能もあって技量はメキメキと上達したらしく、すぐに展覧会に出品するようになって。関西美術院へと発展した研究所の生徒の中でも際立って目立った存在だったらしい。

下の写真は研究所に入る前の少年時代に描かれたデッサン。なるほどね、やはり名だたる一流の画家ともなると、まだ子供でもこのレベルに到達しているか。まあ”デッサンの安井”として有名な彼の画業の原点と思えば、それも納得がいくけど。


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2 コメント

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安井曾太郎さんて… (とど)
2008-02-22 21:10:58
実は殆ど知らないのです(恥)。
今回取り上げてくださった絵は、前回とはまた違った表情で…。淡い色彩とやさしい筆遣いが素晴らしいですね。
続きが楽しみです。
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僕もそんなには知らないけど・・・。 (ハンコック)
2008-02-23 14:06:09
小さい頃からデッサンの才能はずば抜けていたらしいよ。いわゆる”上手いなあ”って奴。でもアカデミックで写実的な雰囲気は若い頃だけで、すぐに自分のスタイルを模索し始めている。その辺りの過程に興味が湧くよね。
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