玖島大町地区から砂谷鹿道地区に行く途中県道461号線沿いにある馬魂碑で、昭和53年(1978)砂谷愛馬会によって建立されたようである。
碑文によるとこの付近は血とり原といわれているようで、獣医によって牛馬の健康観察をするとともに過労のための悪血とりや蹄の手入れや焼き鏝で膝頭の外側を焼くなど牛馬の治療をするところであったのであろうか。
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情報ありがとうございます。私も行ってみます。昔は瀉血といって悪い血を抜くといった荒療治がありました。ほんとうにはどれだけ効果があったのか分かりません。
血とり場がどこにあったのかは90歳くらいの高齢の人でないとしらないと思います。碑文に残すと往時の生活が分かりますね。
大野町の浜毛保漁協の貝塚もぜひこのブログに載せてください。
文献などでも見たことが無く血とり原などあったことを今回初めて知りました。
浜毛保漁協の貝塚を是非訪れてみたいと思います。