琴浦町の海岸線沿いにある広大な花見潟墓地で自然発生墓地では西日本最大規模のようで2万余基の墓碑が建立されているようである。墓地内の「赤碕殿塚」には正慶2年(1333)の出来事が刻されているようで墓地の管理は中世以降継続して行われてきたとみられている。墓地内には鎌倉末期の地域性のある形状の「赤碕塔」(鳥取県重文)があるようであったが遠望のため見ることは出来なかった。 (赤碕塔画像-琴浦町HPより)
琴浦町の海岸線沿いにある広大な花見潟墓地で自然発生墓地では西日本最大規模のようで2万余基の墓碑が建立されているようである。墓地内の「赤碕殿塚」には正慶2年(1333)の出来事が刻されているようで墓地の管理は中世以降継続して行われてきたとみられている。墓地内には鎌倉末期の地域性のある形状の「赤碕塔」(鳥取県重文)があるようであったが遠望のため見ることは出来なかった。 (赤碕塔画像-琴浦町HPより)