南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

アルゼンチン・1レアル銅貨(ブエノスアイレス)

2015年10月13日 01時48分55秒 | 投資
もう書くこともなく長い日数が経過したが、見ている人も細々と存するようではあり、
特にこれと言った事もなく、わざわざ書くこともない日常であり、なおかつコインの買い集めもしてはいないものの、記述していないコインも結構手元にあり、一旦始めた以上はこの瑣末な文の集まりでさえも、遺棄するのも惜しい気もして、ようやく書くこととした。




一昨年、私の地元の町にあった某古銭店が閉店した。Kと言う屋号であった。


そのKなる店は所在は私の地元の市の市街地の中心地の片隅にあった。開店時期は4年ほど前だったと思う。よく覚えてはいない。
都合3年程度の営業期間であった。高齢の店主が一人、店をやっていた。

開店当時、その老店主が一人で準備を行い開店したのだが、什器も看板もアクリル製の外装用の看板もすべて古くさい使い回しであった。
もとは関東で古銭とチケットのショップを営んでいたらしい老店主は、元の店は子息に譲り単身、私の地元のこの町へ来、
古銭店を開業したとのことであった。

店舗在庫も什器もどうも全て関東にあった元の古銭店から送り届けて使った模様であった。
そのため店舗内は洒落たものではなく、什器も寄せ集めで中は何もかも雑然としており奥は薄暗く、長い時間過ごしたいとか、何度も行ってみたいと思う
店内の様子ではなかった。
それでも少しづつ時間の経過とともに買い取り品などが雑然と集まってくるようになってはいた模様である。それとても若干といった具合であったと思う。


他県からはるばる来て、何を思ってのことであったのか、その事業の動機は一体何だったのか。親族との不和か、引退後に一つだけ好きな冒険的な振る舞いをしてみたかったのか。
そうした内々の事情を詳しく語り聞くほどになるには私が足繁くその古銭店に通い、交流を深める必要があっただろうが、
私は最初のうち2、3回行ってみただけで、結局その後全く行かなかった。当然交流など皮相的に極微に有った程度である。

その2、3回行ってみた時に話を少々聞いたので、老店主がこの町にわざわざ一人で移住して、一人でなにもかも手配して開店し、営業し、一人でマンションに暮らしていることなどを知ったのである。

そうした話は簡単な世間話程度に行われたのだが、老店主との会話は正直なところそう盛り上がるものでもなく、
小売店の接客には不向きな晦渋な性格の持ち主の老店主が何度も繰り返す同じ話は聞きとりづらく、店にいる時間とともに疲れを覚えた。


しかし店舗の賃貸料は、いくら斜陽のわが町とは言えど、中心地にほど近いところであったので月々の支払いは結構な金額であったと思う。
その店舗の賃貸料や自分の住処のマンションの賃貸料など合わせると、ちょっとやそっと古銭が売れたところで
十分賄えるほどの売り上げがあったとは思えず、むしろ開店当初から閉店までほとんどの期間赤字だったのではないかとも
勝手に想像するのだが、結局不明である。


老店主の話によると以前は古銭の収集家としてその方面にはそれなりに名を知られた富裕な人物がこの町におり、
そうした得意先がこの町にいくつかあり商売で以前数回関東から来ていたことがありそれで開業を決断したとのことであった。

たしかに今から3、4年ほど前は金銀プラチナは2、30年に一度の大相場の後だったし、巷ではコインブームもそれに引き吊られて起きていたような時期であったから、コインの収集がまたブームになり古銭店も軌道に乗るのではないかという期待もあったのだろうが、
今になって、過去の昭和の時代にいたような古銭の大収集家が今もなお何人もこの斜陽の町にいるのかどうかは、
どうもそうではないほうが蓋然性が高いようにも思われ、以前記述したようなわずかの期間少しだけ光芒を放ったかのように見える
金銀貨幣のブームは今はもうどうも霧消したように見えるし、結局商売としては、好事の域であったのではないだろうか。
ちなみにその方面にはつとに有名だったと言う大収集家はずっと以前、他界しているとのことであった。


そもそもそれであったのかもしれない。
貯蓄した資産を使って引退後に一人で見知らぬ遠方に住みついてみたかったのかもしれない。
出奔のようなことをしてみたかったのかもしれない。


老店主は古銭研究会を希望者を募り立ち上げ公民館で勉強会など開きたいと語っていた。また市の内外に出かけ史実を調査したいと語っていた。
どれほどそうした試み・目的が達成されたのか、閉店後も今も続けられているのかは知らない。
もしかすると古銭研究会も立ち上げられたかもしれないが、解散しているのではないかと思う。
老店主ももうわが町を立ち去っていると思う。


古銭店の在庫はコインホルダーに入れられた1円銀貨などが目立つようにガラスケースに陳列され、紙幣の類もあった。
しかし1円銀貨などはすべて薬品で洗いがかけられており、未洗いの物はなく、いずれも化学的な光沢を放っていた。
コインホルダーにはスタンプで金額と種類が記されており、それらの商品の数々は、どうも以前のコインショップ時代の
売れ残りをそのまま陳列しているような、時代遅れの感があった。
だから開店していても次々と来客があり商品が売れていく様子はなく冷やかし客が物珍しさに一人位入ってくるだけであった。
少なくとも私が訪れている機会の最中にはそうであり、他に誰かが何かを買っている場面はなかった。

しかも晦渋な老店主には冷やかし客に対しても物腰柔らかい初対面でも好感のもてる接客態度などと言うものは全くなく、むしろ居心地の悪い雰囲気を醸し出していたために、客がまた入りたくなるような、また来てみたくなるような後味はなかったと思う。むしろ老人の気難しさを
感じて立ち去る人々がほとんどだったと思われる。


私も訪問時に多少物色してみたもののあまり欲しいコインはなかった。洗いのかかった古い銀貨類は見た目だけ綺麗にしたものであり
そうしたものは昭和のコインブームの時には喜ばれたであろうが、大衆がコインにほとんど見向きもしない現今では、
過去のブームの痕跡を引きずっているような商品に見えたのである。こうした昭和のコインブームの面影が残滓のように什器の影に感じられるような
店内であった。

外国コインも少量あったが、これもまた洗いがかけられている物が多く欲しい物は少なかった。
それでもなにがしかは買っておかないとどうも立ち去り難く、このアルゼンチンの19世紀の銅貨を買ったのである。


アルゼンチン、ブエノスアイレスが発行した1レアル銅貨である。未洗いの、当時よりそのままのどす黒くなった銅貨である。
コインホルダーに入れられパックされたものの、いつから在庫になったものかはわからない。

発行は1840年。この年のみである。Φ26、4g。
表面の絵や文字の彫りは浅く頼りなく、流通すればたちまち摩耗しそうなコインである。
特段欲しいと思って買ったわけではない。アルゼンチンの19世紀のコインに格別興味が湧いたというわけでもない。

あの老店主の、ごく短い間だけ続いた古銭店もなき今、このコインを手にとって眺めても格別の情趣もない。
むしろ手にとって眺めるあいだずっと、あの店の薄暗い情景が思い出される。
会話が弾んだとか、コインと歴史に関する妙味が深まったとかではない、独特の暗さのある店の雰囲気に。

このアルゼンチンのコインも、私が買わなければどうなっていたのだろうかと思う。おそらくどこかほかのコイン商に引き取られたのではないだろうか。












最新の画像もっと見る

コメントを投稿