南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

竜1銭銅貨

2011年07月03日 01時13分39秒 | 投資
引き続いて竜一銭銅貨。今夜は時間が取れるので出来るだけ紹介させていただきたい。

いつぞやまとめ買いした物の一枚。
ありふれたコインだが、明治4年の新貨条例によって登場した立派なエポックメーキングな補助通貨なのである。
デザインは当然他の1円、50銭銀貨等と同じく竜図。かなり立派な、意地悪にいえばやや居丈高なコインである。
菊面の上部には以百枚換一圓とある。
これは新貨条例以前の貨幣制度においては1両=4分、1分=4朱という1部4進法を歴史的にもきわめて長い間日本は使用しており、
新たな通貨制度発足のもと補助通貨の交換率、10進法を知らしめるための配慮であった。ガラリと変わったわけである。
これは現在の貨幣制度に慣れ切ってまるで水空気のように日常使用している私たちにはちょっと想像できない変化であろう。
といっても高齢者の方々には戦後の混乱によるインフレとデノミを経験されているのである年代以下の話であるが。

しかし、江戸期200年以上続いた貨幣制度を明治3年だかくらいでいきなり完全断絶は到底不可能なことであり、まず通貨そのものの絶対量が
足りよう筈もなく、政府もそれまでの文銭、天保通宝などの使用を認めておりそれらの新補助貨幣との交換比率までも決定していた。
天保通宝1枚は8厘と交換とかいった具合である。(天保通宝のほうが1厘銅貨8枚より重くて価値があると思われるが??)

しかし2銭、1銭、半銭銅貨は、他の高額面金貨、銀貨と比べて旭日竜バージョンがない。
これは金銀貨の発行から3年ほど遅れての発行による。銅貨の発行は明治6年暮れに造幣局にようやく銅貨製造所が完成し、銅貨製造が
スタートしたためで、その時点ですでに金銀貨も旭日竜のデザインは変更されていた。
そのために明治6年は特年で発行枚数も少ない。

写真のものは明治7年。いよいよ大量発行が始まった年であるが、時代的にも明治という時代が確たるものになっていく過程の年。
この年には東京警視庁開設、屯田兵制度創設。朝野新聞、讀賣新聞発行開始、郵便貯金開始、医制発布。お茶の水師範学校、立志社設立。
また、台湾出兵、佐賀の乱、江藤新平斬死などもあっている。しかし明治初期の大反乱でもあり日本最後の内戦である西南戦争はまだこれから3年後である…



一時期、銅への投資を真剣に考えていた時期があった。だいぶ前だが、中国が銅需要が今後莫大になると思われて、また銅資源が枯渇するだろうと考えたからである。結局少し買って、その後売り、小遣い程度の売買で終わったが今の価格を考えると長期ホールドしていてもパフォーマンスはどうだったかと疑問だ。QE2たけなわの頃は自分も金属バブルが来ると思っていたが、それもQE2終了接近とともにだれも金属バブルなど言わなくなり、結局ブームだったことに気がついた。
自分は金属では結構儲けたほうだと思っているが、5月のゴールデンウィーク中の急激な下落で銀先物で財産を無くしたりした人々がいると読んだ。最後にババ抜きしてしまったというわけだ。
ブームが来ていると思ったら、最後の方から乗らないように十分注意したい。一番最後にブームに乗ったとおもったらすぐ降りるべきだろう。
それに気がつくことができなかった人がババを引く羽目になる。これはバブルが発生したローマ時代以来人類史にわたって時折、しかしずっと、繰り返されてきた。
その教訓に気がつかないだけの話である。

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