南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

1銭錫貨

2011年08月15日 09時15分34秒 | 投資
終戦記念日。

この1銭錫貨のアップのタイミングとしてこの日が相応しかろう。
戦局が末期的になるにつれて政府が発行した悪貨の一つである。

材質は錫。額面は1銭。小さく、Φ15mm。
生産開始は昭和19年。もうこのころすでに金属物資不足は深刻化し、それまでのアルミ貨も廃貨、代わって登場したのが錫貨である。錫は南方から相当量確保できていた。

このころ、わが国の貨幣の質はほぼ底辺に凋落していた。私にはこの矮小なコインの一つ一つがなぜだかあの頃の国民の一人一人にイメージされてならない。

全体と個。あの時代、いかに人命が軽視されたか。
このコインは恰も全体の逆らいえぬ流れに押し流され鬼籍に入った人々のようなのだ。

仰々しい書き方になってしまったが、このコインは欲しければ20円位から買える。私は地元のコイン店で他のコインと買ったらオマケして
くれた。錫と亜鉛の半々の作りのせいで黒ずんでいないものはおそらくほとんどなかろう。なかには表面がざらざらしたものも多い。
敗色濃厚なこのコインも大日本と菊の紋章は入っている。しかし同じ小さいコインでも1厘銅貨のような活気はない。負の産物なのだ。


さて、先週、結局フランス格下げネタおよびソシエテゼネラルのネタがガセだったことを木曜朝ネットで見たのでその日のうちに
スエズ・エンバイロメントをN村に発注しておいて木曜夜の欧州時間に買った。長期投資を目指す。ユーロはまだずっとこの先荒れる場面もありそうだ。ユーロは欠陥のある通貨だとソロスも発言していた。そうだと思う。

もし途方もない事態が起きそうならばCFDで欧州の指数CFDをヘッジすればよい。スエズエンバイロメント自体が突然消滅することも考えにくい。水事業をひたすらやってもらえば良い。この会社はウォータービジネス期待である。買い値はリーマン後の09年前半の水準だと思う。タイミングとしては悪くないと思っているが。

あと、先週FXもごくわずかだがドルロングした。S&P格下げの大騒動でも結局最高値更新はなかった。
この一点は重要と思われたのでストップロスを76.25に置きロング。少しの数なのでそのままにするつもりだ。
引き続き円高トレンドの終着点として3月の震災は相応しいトリガーイベントだったと考えている。





竜10銭銀貨

2011年08月15日 00時10分12秒 | 投資
今年、平成23年5月23日、筑豊の元炭鉱夫・山本作兵衛の炭鉱記録画が、わが国として初めてユネスコより「世界の記憶」・世界記録遺産として登録された。

大快挙である。

世界記録遺産には他にアンネの日記とかフランス人権宣言、グーテンベルグ聖書、ベートーヴェン第9自筆譜、トルデシリャス条約などがありそれと同列なのである。
日本初。平家物語や源氏物語より先にである。もちろん、とりかえばや物語よりも先にである。

山本作兵衛の炭鉱画も昔は出版やテレビなどで取り上げられ福岡県有形民俗文化財にもなり、60年代から70年代には有名になったようだが、その後地元や一部のファンを除き、全国的には忘れられていたのではないか。
もちろん美術館などはない。田川市石炭歴史博物館や田川市美術館に所蔵されている。田川市石炭歴史博物館は
訪れたことがあるが古びた複製のパネルが炭鉱コーナーの片隅に展示しているだけであった。
ところが突然の脚光である。地元有志が登録活動をしていたようだ。いつの間に…だいたい世界記録遺産なんて知らんかった。
NHKのクローズアップ現代にも取り上げられていた。

福岡県田川市は炭鉱メモリーを味わいたくて2008年11月に行った。
山本作兵衛は以前から知っていたがその時に田川石炭歴史資料館で買った画集に瞠目したものである。

山本作兵衛はアウトサイダーアートだと思う。
美術教育とは無縁、同じイメージと構図を何度も反復する、ディテールへの執着などである。そしてなによりも、自分のためだけに描くということだ。
山本作兵衛の絵には記憶への執着がある。60を過ぎてから書き始めたから忘却の川に流されつつある己の過去のイメージ・記憶への執着心があったのだろう。それを残したいという執念を感じる。しかも古い事物・事象・生活・営為への記憶力。一つ一つの画を見て行くと驚愕するばかりである。

画そのものの密度と山本作兵衛の執念・記憶力もさることながら当時の人々の労働・生活・事件など描かれている内容そのものにも驚くほかはない。これぞ人間の労働・大地という感じだ。セバスチャン・サルガド顔負けである。
日本人もかっては気性が随分荒々しかったのである。(今も時折そうした面を見せるが)
労働環境・生活環境が荒々しい世界では人は気性も激しくなり生命の燃焼を露わにする。人間同士の魂の火花が散るのだ。
作兵衛の画はネットでも見れると思う。とにかくご覧いただきたい。

作兵衛は子供のころから坑内に降りて炭車押しの手伝いをしていた。そして明治39年(1906)、15歳の時に山内抗に後山(石炭運び)として採用され以後50年に及ぶ筑豊での抗夫生活を始める。炭鉱画を描き始めたのは抗夫を退職後宿直の警備員を始めてから。齢60を過ぎていた。

作兵衛の作画への執念の根底には何があったか。勝手な想像であるが、それは己自身と己の古い記憶が終焉し無化してゆく運命への悲哀と不安ではないかと思う。
それはすべての人に訪れる厳粛な現実であり運命だ。だから人はその運命が重く首をもたげてくるとき、過去の追憶を反復するのだ。

今夜のコインは竜10銭銀貨。年号は明治39年。作兵衛が筑豊炭田で抗夫になった年である。

ちなみにこのころの抗夫の日給は明治40年に発行された『世界各国人民一日所得一覧表』によると鉱山上等抗夫で一日95銭。作兵衛は下っ端の見習い程度なので40~50銭くらいか?下等抗夫については記載がない。
また、この一覧表によれば内閣総理大臣日給計算すると21円93銭、三井家理事は一日の所得80円54銭となっている。
逆に安い方を見ると日雇い、農家作男、駅夫は日給30銭。
炭鉱労働は命がけであり専門技術を要するが熟練抗夫などになれば当時としてかなり稼げる仕事でもあったことが分かる。
ただし、作兵衛少年は終日真っ黒になって闇黒の地底で働いてこの小さな銀貨4,5枚位であった筈だ。というとこのコインは小さいながらも当時は結構高価なものであったことが分かるだろう。