老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

782;最期は何処で死を迎えるか

2018-06-17 21:43:48 | 老いの光影 第2章
最期は何処で死を迎えるか

「我家の畳の上で死にたい」と
病床に臥した老人は呟く

最近妻と長男夫婦に見守られ
自宅で亡くなった爺様がいた
安堵の表情
「起きて」と言葉をかけると
いまにも目を覚ましそうな感じだった

いま飲み込みができなくなった老いた父親
「胃瘻はしない」と
医師をしている息子は延命を拒んだ
病院を退院し
数日家で過ごすことを考えたが
母親は介護による疲労困憊で
身体が動かなくなった
長女は残業で帰りは21時半過ぎ
ヘルパーや訪問看護師が支援に入っても
看取りの体制は難しく
家で死を迎えることは
諦めた
入院中
外出許可により
1日だけ家に帰ることを選択し
最期は病院のベッド上で自然死を迎える

老いは病を抱え死を迎える
問題は何処で
どのような形で
誰と
死を迎えるか
死ぬ前に考えておかねばならない
家族ではなく
自分のことである





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