老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

470;生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅱ

2017-10-13 03:55:08 | 介護の深淵
 生理的欲求と介護 ④ 「食べる」ⅱ

いま田畑や木々は実りの秋にあり、
野山に棲む熊、猪、鹿、野猿、烏な達は、
人里に出没し農民を悩ませている。
野生の動物達は、熟した頃に訪れ、
食べごろの物を選び、喰い散らかし去って行く。
野生の動物達でさえ、秋の味覚を味わっている。

病を抱えた老人は
いつ、突然死に遭遇するかわからない。
いま元気であっても
”夜明け前に亡くなりました”と家族から訃報の電話が入る
だから秋桜デイサービス(定員10人)では
今日が最後の食事になるかもしれない、という想いで
昼食を作り一緒に食べる。

だから旬の物や本人が食べたい物を出す。
ときには(一口だけでもいいから)塩鮭や筋子を食卓に出したりする。

いつも作ってもらい食べるだけでは、申し訳ないと思う老人。
たまには、餃子やコロッケ、カレーライス、お好み焼きなどを最初から作ってもらう。
自分たちが作った料理は、更に美味しく感じる。

また車に乗り、蕎麦屋、ラーメン食堂、ファミレス、道の駅等に入り
外食を楽しむ
家族の人とは外食に来ることはない。
何故なら不自由な自分が行くと足手まといになるから、
本人は行かずに我慢し、家で留守番をしている。
でもこうして同じ仲間で行くと
時間や人前を気にせずに
外食を楽しむことができることは、
嬉しい。

自由に旅に出かけることも容易でなくなってきた老人にとって、
残された唯一の楽しみは「食べる」こと。
家族ではないが家族のような仲間(疑似家族)と「食べる」。
食べること、それは単なる生理的欲求にとどまらず、
その人の食生活や心までをゆたかにしてくれる。
食べることは、最下層の欲求ではあるが
生きる力(あるいは希望)をもたらしてくれる。


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