老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

もう少し生きてみようか

2020-06-24 05:53:50 | 老いびとの聲
1576 もう少し生きてみようか

銚子岬から朝陽が昇る光影は、
生きる力と希望を漲らせ、
「もう少し生きてみようか」、 とその気にさせてくれた。

オレンジ色の空は、寂しい老いびとの後姿が思い浮ぶ。

潮風に 濡れた砂時計をひっくり返した。
砂時計は老いびとの人生を映し、残り少なくなってきた
砂は、もう少しで死が訪れることを暗示している。
砂が堕ちる風景を眺めているだけの時
空間は、ただ「死を待つ」自分が其処に居るだけでしかない。

老いびとの死とは関係なく
朝陽は昇り、夕暮れには沈む。

遥か水平線から朝陽が昇る光影に向かうもうひとりの自分
が存することも、また隠された事象である。

輝く波の音を聴き、乾いた心は潮風で濡らし
昇る朝陽に病んだ躰を晒しながら、
小さな希望が叶うよう掌を合わせ
「あと一年生きてみよう」、と呟く。

ほずれた一本の糸から綻び躓き、
凡てを棄て辺境ノ地に棲みついた老いびと。
老いびとは不自由な四肢を抱え、
自分が何者であるかを忘れてみたり、考えてみたりする。