老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

山ではなく「海」の仙人

2020-06-09 04:30:52 | 読む 聞く 見る
1555;絲山秋子『海の仙人』新潮文庫

仙人というと、人間界を離れ、白い髭を垂らし山奥に棲む人をイメージしてしまう。

『海の仙人』は、敦賀の海で
遊び眺めることが好きな無職の男 河野勝男の物語である(齢は若く29歳)

彼は宝くじが当たり、真新しい通帳に3億円の数字が打刻されてあった。
他にアパート2軒を所有しており、その家賃収入は貧しい地域の子どもたちを支援目的で寄付していた。
お金に固執することなく、のんびりと過ごすことにした。

東京から敦賀の海が見える古い家を買い、ひとり暮らしを始めた。
けったいなことにファンタジーという名の神様が現れ、ファンタジーは河野の家に居候をする。
(この神は、見える人間と見えない人間がいて、河野は見えた)

河野の部屋は、テレビや新聞はなく、
ラジオとパソコン(インターネット)で音楽とニュースを得ていたのみ。

河野は「世の中を避けて生きている」から海の仙人と呼ばれていた。(51頁)

人間「誰もが孤独なのだ」
「結婚していようが、子供がいようが、孫がいようが、孤独はずっと付きまとう」
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて
 自分のあり方だよ。背負っていかくなちゃいけない最低限の荷物だよ。例えば
 あたしだ。あたしは一人だ、それに気がついているだけマシだ」(96頁)

月1回彼の家に訪れる中村かりん。 
河野も想いを寄せ、お互いに静かな愛の関係にあった。

かりんは左乳癌を発病し乳房切除の手術を受けることになった。
癌は無情にも二ヶ月後の検診で脊髄と肺に転移し、余命は半年から一年。

かりんが療養しているホスピスに河野は訪れ、泊まった。
彼女は「もっと、一緒にいたかったね」
「でも、私はあなたのこと、好きになれてよかった。
 今だけでも、あなたと、あなたのことを好きな自分が
 ここにいることがとてもありがたいって思う」(136頁)

その言葉を残し彼女は息を引き取った。
「生きている限り人間は進んで行く。死んだ人間は置いて行くしかないのだ」(144頁)
死んだ人間を置いて行っても、そう簡単にあなたを忘れることはできない。

人間、「誰もが孤独なのだ」という言葉が頭の片隅によぎるけれども
死が近づいてくるほど、心の平安を欲する。
「あなた」と「あなたのことが好きな自分」が
いまこうして、時間を共有していることが幸せに感じながら息を引き取った彼女。



自分も「海の見える家」で最後の時間を過ごしたい、と思っているが
どこで最後の風景を見るかは
ファンタジーという面白い神様が知っているのかもしれない。