老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

何処で生きる

2022-02-20 14:40:08 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1815 にんげんの聲が聴こえる

木枯らし吹く寒い日は、両膝の関節は疼き
歩くこともままならぬ。

あれから十年が経ち、先に夫は逝き
独り身となった私。
いまは床に臥す日が続き、寝返りはままならないけれど
床ずれが出来ては大変、と思い柵につかまり左右に身をまかせる。

部屋に入ると、尿便で滲み着いた紙おむつ
自分で取り替えることもできず
為すが儘に他人に身を委ねるだけ。

こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら生きる位なら
町外れにある特別養護老人ホームに入った方が幸せなのではないか、と
周囲の他人(ひと)は聞こえよがしに言う。

私は汚れきった家であっても
北側の襖の上に夫の遺影があり
夫と生きてきた家で死にたい

自分は生きていく価値があるだろうか
このまま生きていても意味がない
生きたところで、この先何があるというのか
なるようにしかならない。
私は此処で最期を迎える・・・・

死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく、悶々としている。

老臭と尿便臭が混じった酸っぱい臭いが漂う部屋に
毎日、朝と夕方 ヘルパーが訪れ
おむつ替えと食事づくりをする。
ヘルパーは老いた彼女に言葉をかける。
にんげんの聲が聴こえる

命を張るデイサービス介護員

2022-02-15 03:57:27 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


夜明け前の雪景色

1807 ひとり暮らしとコロナウイルス

ヘルパーと小規模デイサービス、介護用ベッドのサービスを使い
ひとりで暮らすばあ様(要介護5)がいる。

息子は遠く大都会で暮らしている。

今日は朝から37.0℃台の熱があり
デイサービスに来ても熱は下がる気配はなく
37.8℃まで上昇した。

コロナウイルス感染の危惧もあり
二つの病院に電話をかけても診てくれない

ばあ様は病院嫌いのため、かかりつけ医が定まらないから
今日のような熱発のときは、ほどほどに困る

県ホームページを調べ、コロナウイルス感染の検査を行う医療機関の一覧表から
近くのクリニックに電話をしコロナウイルス検査をお願いし、診てくれることになった

遠くの家族は来れず
近くの他人であるデイサービスの介護員に通院付き添いをお願いした
クリニックの看護師もビックリされていた。

抗原検査では陰性だったが
医師は心配だから、ということで、pcr検査も行った
結果は24時間後
陽性でないことを祈るが
付き添った介護員は命がけの付き添い

老い重ねるほど 健康状態が不安定な人ほど
かかりつけ医との太いつながりが欲しい

遠く離れても親子の絆は切れない
老い病み不自由な躰でいる母親
介護サービスだけでは見きれない

どうしたらいいのか悩みは尽きない


老い逝く

2022-02-11 05:16:10 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1803 逆らえない老い



朝からテレビは
「2月10日から11日にかけて大雪が降る」、と報じられていた。
鉛色の空から雪が降り続く。
どのくらい積もるのか気がかり
というのは、腰椎圧迫骨折後遺症のため
水分を含んだ雪ならば雪かけできない。
wifeが雪かきをする。
wifeは「自分が雪かきをするとは思わなかった」、と雪かきのたびにこぼす。


夕方になってもまだ雪が降っている。
夕暮れ時は、老いの刻であろうか。


老い始め
老い逝くまで
その老いの時間は
楽よりも苦の方が多く待ち受けているのか。

老いは喪失の時とも言われる。

仕事を失い
年金もそう多くはなく
病いも抱え
躰や手足も衰え
昨日出来ていたことが
今日は出来なくなったりする
明日も昨日のこともわからなくなる

老い逝くは自然の摂理
時には過去の記憶を偲び
いまは家なき故郷を想い
亡くなった老親の路を
いま老いた自分はその路を歩く
路の先は誰もが辿る
未知のあの世


銀の紬

2022-02-10 07:36:00 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1801 銀の紬

昔は、くず繭(まゆ)を紡いだ糸で織った絹織物を「紬」と呼び
江戸時代までは庶民の普段着であった。

くず繭であっても、出来上がり上品で素晴らしい着物になった。
紬は、太さがバラバラで均一でない紬糸を複雑に絡めて織っていくことで丈夫な着物が出来上がる。

デイサービスに集う老人たちも紬と同様に
生活歴や躰の状態や性格は、それぞれに違い個性派の集まりである。
90歳を越えた老人は、人生の達人であり、マイペースであり、くよくよしない。。

「紬」は、繭を紡ぐことから、「紡ぐ」という言葉を考えてみた。
言葉を紡ぐ 思いを紡ぐ 幸せを紡ぐ 命を紡ぐ 人生を紡ぐ などなど
どの「紡ぐ」を見ても 大切なことであり、それは眼に見えないものである

介護相談や介護、教育も保育も同じ
老人や子どもの思いや言葉に傾け、どう紡いでいるのだろうか。

言葉(思い)や命の「紡ぐ」が欠落すると
安易に人の命を弄ぶ輩(やから)が増え嘆かわしい社会になった昨今。

「紡ぐ」という言葉から、ふと立ち止まってしまった。

平凡こそが幸せ

2022-02-08 08:39:40 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


那須高原 遠くからでもペニーレインのパンを買い求めに訪れる。

1799 平凡こそが幸せ

92歳の海原光代婆さんが自分の家具調ベッドで永い眠りに着いて、ひと月が経った。
(合掌)
いつも家を訪れると
庭が見える南向きの居間で
陽射しを浴びながら
横になりウトウトされていた。

昔、女がてらにもっこを担いだ(土砂を担いだ)
腰も脚も疲れ過ぎ、脚を伸ばし寝るのが何よりだった。
いまは、何もやる事もなく、毎日ただ、こうして寝ている。

「この先短い、何かやりたいことはないのかい」、と野暮なことを尋ねる自分がいた。
その言葉はこだまの如く自分に返ってくる。
何が楽しみで生きているのだろうか、と思ってみたりもした。

日々、何もせず、息子がいれてくれたお茶を飲み
傍らに老いた三毛猫も負けじと寝そべっていた。
こうして平凡な日々を過ごしながら、ジッと死を待つ。
老い行きても、人間生きている限り、悩みは尽きない。

死は、もう夢を見ることもなく、眠りから眼を覚ますこともない
両膝や腰の痛みも悩みも泡のように消えていく
もうそこにはあなたは存在しない

安らかに眠りにつかれた光代さんの顔を拝んだ
最後まで這いながらトイレに行かれた頑張りに
「お疲れ様、ありがとう」と呟いた。

お互いポックリ死にたい

2022-02-07 15:51:00 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」



犬を形どった壁 那須高原

1798 お互いポックリ死にたいものだ

85歳の脳梗塞後遺症の爺様
軽くすみ、歩行器で室内外を歩いている

妻は83歳、物忘れが始まった、というけれど
「何を忘れたか 数分後に思い出す。まだ呆けてはいない」、と笑いながら話す婆様

病気する前は酒飲んべで、その上煙草も吸ってた
脳梗塞になってからは 酒煙草はやめた

昔は見合い結婚ならまだしも
親の知り合いの口利きで
いまの爺様と一緒になった

爺様と結婚して「当たり」「外れ」、どっちか、と尋ねると
婆様は躊躇することなく「外れた~」と答える
傍に居た爺様は「俺は当たりだった」

婆様は こんな山奥
狸か猪しか棲まないところに
嫁ぎたくなかった
親が決めた結婚だから
反対もできない、親の考えに従うしかなった

携帯電話のアンテナが立たず 黒電話しか通じない
陽があたらない山里に棲む

爺様 婆様 今年で結婚60年を迎えた
「おめでとう」、と祝福する

婆様 煮魚の骨を1本1本 箸でとり除き
骨抜きの魚を爺様にあげている
「魚だけでなく爺様も骨抜きだ」、と婆様は笑う

お互いポックリ死にたいものだ
婆様は爺様に話しかける

食べたそばから下痢

2022-02-05 09:21:32 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1795 下痢便



まだ65歳の「若さ」なのに
頭から肛門へ命令する信号が弱いのか
それとも肛門の括約筋が緩いのか
便意を感じないのか

ご飯を食べ終えてまもなく
便を漏らしてしまう
便だけでなく尿も漏らしてしまう

自宅のベッドは糞尿の臭いが充満
トイレまでもたない、と彼女は話す
紙パンツのなかにオシッコをする「ずるさ」なのか、「ズボラ」なのか
紙パンツ代も馬鹿にならず月に一万円を越え
その支払いも滞っている。

デイサービスの介護員は
狭いトイレのなかで
彼女の便失禁の「世話」に悪戦苦闘している
介護とはいえ本当に頭が下がる

大下痢をした彼女の顔はスッキリ
お粥などお腹に優しい食べ物を摂れば良いのだが
「食べたくない」、とわがままな言葉を吐く

彼女は「便」がでたからもう食べれる、と思い
ラーメンや揚げ物などを食べてしまう
案の定、翌日は下痢をしたまま、デイサービスの迎えを待っている

どうしたらよいか
65歳の年齢で特別養護老人ホームの入所申請するのもためらう

紙パンツを購入するお金はあるのだが
年金が入ると
怪しい光色の誘惑に負け
2、3日でスロットに「呑まれて」しまい
「年金」はスッカラカンになってしまう

なんとかなる、と呟く彼女
誰かがだしてくれる
明日のことはわからない
いまが楽しければそれでよい

この気持ちはわからないでもない
人生は一度きり
好きなように生きる

ケ・セラ・セラ、といきたいけれど
生きているといろんな柵(しがらみ)があり
縺れた糸を鋏でバサリと切るわけにもいかない




凄く美味しい

2022-01-30 09:21:37 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1789 凄く美味しい



家族のために食事を作っている
85歳の婆様のお名前は、渡辺香菜婆さん
要介護1の認定を受け、週に2回小規模デイに通っている

彼女の右足は交通事故の後遺症により「く」の字に曲がり
両足はごぼうのように細い
長い時間立ち調理をするのは大変
両手の指はリウマチで反っている

デイに通う日もいつもの朝と同じく起き、朝食を作る
デイから帰ってもひと息つく暇もなく夕食をつくる
普通ならば「おばあちゃん夕ご飯ができたよ」の言葉を聞き、食卓に向かう
香菜婆さんは愚痴ひとつこぼさない

気分転換と足(脚)の筋力を維持も兼ねてデイに行ってみないか、と話す
彼女は「家を空けることはできない。やることもあるし」、と行けない理由を答える
「試しに一回だけでも行ってみないか」、と執拗に声かけする
隣にいた娘は「ばあちゃん、一度行ってみたら、行って嫌だったら行かなくていいし」

四日後、小規模デイ「青空の家」のスタッフは迎えに来た
「青空の家」についたら、手を消毒し、トイレに行く
用を足したあと洗面所で手を洗いうがいをする
テーブルにつくと、彼女の好きなコーヒーが出される
目を細めながら「美味しい」と、一言

昼食は手作りの熱々のハンバーグがだされ
一口食べたとき「こんな美味しいもの食べたことがない、凄く美味しい」、の言葉を連発

いつも家では作っている彼女
人に作ってもらい食べることがこんなにも美味しく、嬉しい
そんな彼女の気持ちが伝わってきたような感じがした

いまも香菜婆さんは「青空の家」を楽しみにしている
平日、婆さん4人をお供にして
駅前の美味しい珈琲屋さんに行った
淹れたてのコーヒーを味わえた香菜婆さんは至極満足な顔をしていた






悩めるコロナウイルス感染の波

2022-01-29 19:02:49 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1788 悩めるコロナウイルス感染の波



コロナウイルス感染は他人事ではない
一日の感染者が100,000人を超えるのは目前である

医療機関や介護事業所に
コロナウイルス感染者が出ると大変な状況になり

要介護老人が感染すると
家族(介護者)はどう対応していけばよいのか
不安と混乱に陥り

介護事業所との間において
こじれてしまう

或る家族(長男)は
「事業所でコロナウイルス感染者を出したのだから、(感染した)老母を治るまで事業所で面倒みるべきだ」、と
苦情の電話をかけてくる
腕時計を見ると30分を超えていた

コロナウイルス感染者は誰なのか特定できないところに
悩ましき問題がある

そこのところが家族によっては
なかなか理解できない

認知症老人が感染すると
入院を拒否された

行き先がない
家で介護をすることはできない

どうしたらいいのか

「齢(とし)には勝てない」、そんなことは言ってられない

2022-01-29 08:21:27 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1787 齢(とし)には勝てない、そんなことは、言ってられない


とちおとめ

老い齢を嵩ねてくると
行動が遅くなり反応も鈍くなる
そんな様子を見てwifeは「齢(年、とし)には勝てない」、と
運転をしながら何気ない言葉に
認めざるを得ないながらも
抵抗したくなる

知っている婆さんのなかに
齢に負けず
家族のために家事をしている

脊柱管狭窄症、リウマチを患いながら
朝五時に起き
米とぎ、朝食の準備、洗濯、掃除をしている
婆さんの年齢は85歳

手指を見たらアカギレで痛痛そうだった
絆創膏を貼っていた
絆創膏より、クリームを塗った方がいい、と話す

歩くこともやっとにもかかわらず
仕事に出かける娘、保育園に行くひ孫のために
家事をこなす
10時頃ひと息をつき
好きなコーヒーを飲み新聞を読むときが
幸せのとき

齢には勝てない
そんな言葉に負けず
婆さんに見倣い
年齢のせいにはできない

動くことから
なにかが変わる


52で逝った母の最期の言葉

2022-01-27 21:32:22 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1785 人生は短い



髪が抜け地肌が見えてきた婆様は
自分に昔の話をしてくれた

農家をしたことがなかった母は
農家に嫁いだ。

朝露で葉が濡れている刻から
陽が沈み手元が暗くなるまで田畑で
身を粉にして働いた

無理がたたり病弱になった母は
52歳の若さであの世に逝った
枕元で母は「 人生は短い」、と
その言葉だけをか細く話し
息を引き取った。

人生は長いようで短い
浦島太郎のように
気がついたときには
白髪の老いになっていた




聴く

2022-01-26 08:04:21 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1784 聴く

毎月1回以上
要介護老人のお宅を訪問する
本人の状態が悪化したり不安定な時は
月に3、4回訪問することもある

看取りの時は頻繁に訪問
初めて居宅サービス計画表(ケアプラン)を作成するときは
最低4回は訪れる

1回訪れても4回訪れても介護報酬(介護給付費)は変わらない


さて、在宅訪問のとき
介護者の愚痴を1時間位、時間をとり
聴くことにしている

また、認知症とうつ病の婆様は
繰り返し繰り返し話す同じ話を聴く

どちらも気持ちが軽くなった、と話す

認知症が進んでいることはわかりながらも
思うように動いてくれず、いつもどうしてこうなんだろう、と苛々し
ストレスが溜まってくる

認知症老人だけでなく
人間は不可解な生き物である

幼児も老人も職場の人も
自分が思っているようには行動してくれない

まず、相手を認めることが大切だと
頭ではわかりながらも
つい、どうしてこんなことが出来ないのか、と思ってしまう

人間は悩める生き物である


老いてわかる「老い」

2022-01-22 09:20:40 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1780 老いは誰もが通る路

老いも死も
誰もが通る路

老いてはじめてわかった
老いそして惚けてしまった母のことを
思い出した

老いた母に
愚痴と怒りをぶつけたことがあった

老いてくると
思うように躰や足の動きは鈍くなり
飲み込むのにも時間がかかり
むせてしまう

老いになってはじめて
おふくろの気持ちがわかったとき
なぜ、あのときやさしくしてやれなかったのか、と

おふくろにやさしくできなかった分
これから老いの時間を
どう過ごしていくのか

死んだらおしまいだ
老い、そして老いをおえるまで
老い楽に過ごしていこうか











紙パンツにオシッコはしたくない

2022-01-20 18:12:03 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1778 トイレで用を足したい



犬も歩けば元気になる

人間何の拍子で怪我をするかわからない
北舟婆さん(95歳)は立ち上がるときに
左足をグニャと挫き足首を骨折してしまった

ひと月ほど入院し自宅復帰となった
介護用ベッドの脇に
ポータブルトイレを置いた。
彼女は「ポータブルトイレではしたくない」と、頑として拒否した。

息子が作ってくれた手すりを伝いながら
トイレに行く、と話す。
退院した、その日から

躰を「く」の字に曲げ必死に歩く姿というより
生きる姿に脱帽です

普通ならば「足首が痛い」「無理して歩いて同じところを骨折したら困る」、ということで
紙パンツ或いは紙オムツに甘えてしまう
夜中に2、3回起きトイレに行く
息子はベッドの脇で寝ていて
その都度起き、トイレまで老母を見守りをしている

本人が嫌なものはさせたくない、と息子は話す。

自分の足で歩き、トイレに行く
自分のことは自分でする

トイレで用を足したい

2022-01-19 19:44:16 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1777 用を足してくる

「お手洗いに行く」ことを
明治、大正、戦前の昭和に生まれた老人は
「用を足して来る」と言う。

「用を足す」は
含蓄の深い言葉である。

昔の人は「(役場に行き)用を足して来る」と言って玄関を出る。
用を足すとは、役所に大事な書類を提出したり、相談してきたりする。
その書類の提出は、誰にでも出来るものではなく
大切な用事であった。


では、何故、昔の人(老人)は
トイレにいくことを「用を足して来る」と言うのか

「オシッコがしたい」「オシッコが出る」という生理的な欲求は
その人にとり切実であり大切なことである。
他の人に自分のオシッコをお願いすることはできない。

役所の用事と同じく、トイレでオシッコをして来ることも
大切な行為であるから
「用を足して来る」、と言うのかもしれない。