資本主義経済はやがて限界をきたすということは、ケインズ、マルクス、シュンペーターといった名著を残した経済学者がいずれも予見をしていた。
マルクスは資本主義の高度化につれて、利潤率が低下し、資本蓄積が鈍化し、生産性の低下をもたらすと考えた。日本経済は今まさにそうなっている。
シュンペーターは、資本主義の原動力である企業が、新技術により市場を拡大していくと、企業は大組織となり拡大意欲を失い、経済停滞を生み、技術革新がなくなり、大企業化が官僚化していくと考えた。これもまた、日本経済はあてはまる。携帯電話の普及やハイビジョン放送テレビなどの新技術がみられるが、これらはいずれも、今までの技術に改良を加えたものであり、未開拓な産業ではない。
ケインズは、資本主義で豊かになると、消費が停滞することで、貯蓄に滞留し、企業の投資活動も冷えるため、政府の景気刺激策が必要だと説いたが、現代日本経済では、政府の景気刺激策すら効果がなくなった。
資本主義経済が立ち行かなくなることは、日本国内でも随所に現れてきている。価格破壊によるデフレ経済もその一つだ。これは経済循環上の不況ではなく、慢性的不況となるであろう。
貨幣が、ゼロ金利、あるいはマイナス金利としての正当化がなされる時代がくるであろうと予言したのは、シルヴィオ・ゲゼル(Silvio Gesell 1862~1930)というドイツ(父はドイツ人、母はフランス人でルクセンブルグ国境近くにて出生)の「異端」経済学者である。
平和党は、マイナス金利という方法が今後の経済にとって重要な位置を占めるであろうと考えていたが、そのような経済政策の基礎となる理論経済学は存在しないと思っていた。ところが、J・Mケインズは、第二次世界大戦後のブレトン・ウッズ体制で、もう二度と世界大戦を起こさせないための経済政策とはこれだということで、マイナス利子論に基づくものを提案していた。そしてそれは採用されなかったが、その論拠となるものが『一般理論』(塩野谷祐一訳)の中でゲゼル理論が紹介されているのを見て、先人の中にも、マイナス金利の正当性を主張していた経済学者が存在していたことを知った。
ケインズはS・ゲゼルを「風変わりな、不当に無視された予言者」として紹介している。ケインズはゲゼルに対して、以前は「彼のきわめて独創的な労作を変人の議論にすぎないものとみなしていた」が、「彼の著作の意義は、私が私自身の方法で結論に到達した後に初めて明らかとなった」としている。
さらにケインズは、「それは自由放任主義に対する一つの反動ではあるが、そのよって立つ理論的基礎が、古典派の仮説ではなくてその非認の上に立ち、競争の廃止ではなくてその開放の上に立っている点において、マルクスの基礎とは全く異なっている。将来の人々はマルクスの精神よりもゲゼルの精神からより多くのものを学ぶであろうと私は信ずる。」と記述している。
マルクスの思想は政府による資本主義であるが、ゲゼルの場合は、土地を国有化するものの、それは国家が収奪するのではなく、買い上げることにより、また徹底した自由な市場が保障され、官僚がいなくても成り立つ国家を目指している。貨幣の発行も自由であるところから、資本主義にあらず、共産主義にあらずという、新時代の常識となるであろうと思う。
平和党とゲゼル経済が違うところは、細部を除けば、民間で貨幣を発行するか、政府が発行するかの違いだけである。
ケインズは、後世の人々はマルクスよりもゲゼルから学ぶと予言したが、マルクス主義国家は誕生したが、ゲゼルについてはその著書に日本語訳も存在しないほど、今のところは開花していない。しかし、そろそろケインズの予言が実現される時代に突入したと思う。それは、ケインズ自身が示した経済理論が効用をなくすほど現代経済が、進歩したからであり、絶えず膨張しなければならない資本主義経済の限界が刻一刻と近づいてきているからである。
ケインズがゲゼル理論の欠陥を指摘するのは、貨幣というものは「大きな流動性」を持つからこそ利子があるのだと言う。要するに、お金というものは自分では使わないリスクを負う代償として、利子という利益を生み出すことができるというのである(流動性選好説)。
しかしながら、流動性を持つ貨幣がなぜ価値を持つのかと言えば、流動性を持つ貨幣が価値を持つという制度にしているからに過ぎない。つまり、消費しないリスクを利子によって弁償するという制度にしているからである。
経済制度とは、自然現象とは違って、人間がこうしようとするからそうなるのである。それをもし、阻止するものがあるとしたら人間の論理がそれを阻止しようとしているからである。
ソビエト連邦をはじめとする社会主義が倒れたのは、資本主義にしようとしたからである。現に、「社会主義でいこう」としている国は、その善し悪しは別として、いまだに存在している。北朝鮮のように行き詰っている国もあれば、ソ連の援助がなくなったにもかかわらず、キューバのようにうまくいっている国もあり、中国やベトナムのように資本主義を部分的にとりいれて成り立っている国もある。旧ソ連と国境を接するモンゴルを除けば、アジアにおいては、東側の崩壊に関わりなく、社会主義はいまだに残っているのも意思があるからである。
つまりは、「自然とこうなる仕組み」になっているのが自然の摂理であり、多くの人が、「人工的にこうしようとする仕組み」になるのが資本主義経済であり、社会主義経済である。
これに比べれば、自然主義経済は自然の摂理にのっとっているため、財との真のバランスをとりやすい。金融上の富という現代の富は幻想の富、バーチャルの富であることに気づくべきだ。
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