平和のつくりかた

「戦争のつくりかた」という絵本を読み(今の平和を守るためには、何かをしなければ!)とこのブログを始めることにした。 

「平和のつくりかた」(ダビード・ジェルビ:著) ー夢を実現させたユダヤ人の真実の物語ー

2017年05月29日 20時34分37秒 | 平和のための勉強資料

  「戦争のつくりかた」(リンクしておいたので、クリックするとウェブでもこの本は読むことができます)を読んで、それでは「平和のつくりかた」というサイトがないかと探してみましたが、見つかりませんでした。
  でも、「平和のつくりかた」(ダビード・ジェルビ:著)というタイトルの翻訳本があるのに気づきました。

  注文しておいた本が届いたので、すぐに読んでみました。

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  これは、現在イタリアで心理学者として講演や著述業などをしているダビード・ジェルビ氏が、自身の半生を書いた本です。

  2000年以上もの間、イスラム教のアラブ人とユダヤ人が共存していたリビアのトリポリに生まれ、ユダヤ人としての習慣を保ちながら、幼稚園などではイスラム教の方が多いので、他の宗教の習慣も受け入れる一方少数派のキリスト教徒の友達とともに違いを感じながら生きてきた。

  でも、3つの宗教の習慣が、平和に共存していた、という。
  それが、ある日突然、ユダヤ人は自分がユダヤ人であるという、ただそれだけの理由でリビアを追われることになる。
  ユダヤ人の大虐殺も起きた。
  トリポリの1等地で宝石商を営み、アラブ人の従業員やお手伝いさんを雇っていた裕福な暮らしが、1967年5月26日、筆者が12歳の時に突然失われたのだ。

  船で脱出。ローマへ家族で逃げる。リビアはイタリアの元植民地なので違和感はあまりなく、イタリア語も話されていたようで、さらにイタリア系の小学校にいたという筆者。だんだんとイタリアの生活になじんでいく。 ただ、持ってきたわずかなお金も無くなり、ゼロからのスタートを強いられた中で、家族の中で兄や姉に先がけて、手伝いを必要としていないか店を訪ね歩いてアレヌラ・カフェの手伝いの仕事を見つけて働き始めたという。一生懸命働いて、12歳にして家族のパンの稼ぎ手となり、給仕としても信頼を得ていく。

  この時、「必要なときに必要な場所で必要な人にであうことを何かが導いてくれると感じることができた」という。

  やがて、兄や姉も彼に続いて働きだして家計を支えた。
  その姉の働くお菓子屋へやがてパートで果物屋も手伝い、生地店、皮製品店・・・と様々な仕事を経験し、ある日、雇われるのでなく独立することを決めて、露天商から始める。売る場所を教えてくれたり、売るものについて意見をしてくれたり、製品の作り方を秘密で教えてくれるものもいて商売を広げていって、同時に当時のリビアからの難民のイタリアにいたユダヤ人は、リビアに戻れるのをイタリアで待つか、イスラエルに行くものもでてきた。

  ロシア系のユダヤ人もいたが、彼らはアメリカやカナダ、イスラエルに送られると考えていた。海外からものを持ち込んだりしての商売もはじめ、ビデオゲームなどの商売も成功した。

  ところが、ある時、祖父、親友、父、姉の義父、甥、6人も続けて大切な人を失い、筆者は鬱になってしまう。
  その鬱の中で、夢をみて、アウシュビッツを訪ねてみることにした。

  そして、ユダヤ人をただユダヤ人というだけで殺す。そのひどい人も同じ人間。
  と考え進むうちに、自分自身の中に被害者の部分だけでない、迫害する人間の部分もあると気づいた。

  それから、夢の中にあるメッセージを受け取るようになり、夢の研究を進めるために、2001年 家族のために自分を犠牲にして働いてきたことから自由になって、エサレン研究所でワークショップに参加。

  (ユダヤ人でさえなかったならば~と思ってきたことが、ユダヤ人だから今ここにこうしていると過去に感謝できるようになった)という。

  そして、不可能と思われたリビアへの再入国を多くの有名な人たちの力も得て実現。
  昔の自分の家や店を訪ねる。

  「店を取り戻したいと思っていたが、相手の人もやっぱり同じ人間。ここまで人生を作ってきたと思えて、過去に生きるのをやめた。今を生きる、夢を生きる、そっちの方が大事だと思った。そうすると、不思議と心の中がすごく平和になったんだよ」

  「私たちは、一度も転ばずに強くなることはできない。転んでも立ち上がって強くなる。決してあきらめない精神を覚える必要がある。でも、それでも状況を変えられない時は、それを受け入れることも必要。今は、頑張る時なのか、流れに身を任せる時なのか、見分ける知恵をつけることが必要。決してあきらめたり自ら死を選んだりしてはいけない」

   現実があまりにもひどくても、夢を合わせると奇跡が起きる。敗戦のゼロから今を気づきあげた世界唯一の被爆国日本。
   その世界の平和に果たす役割は大きい。
   一人でも多くの日本の方と一緒に平和というものを作り出せたら、そして「夢」を現実にできたらと願っています。

  最後は日本へのそんなメッセージで結ばれていました。

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   実は、私はブラジルに6年滞在した経験を持っています。そこで、一番最初に友人になったブラジル人がユダヤ系の女性でした。
   この本を読んで、彼女がいつも私をやさしく受け入れてくれ、手作りのお菓子を食べさせてくれ、ユダヤ教の習慣や、日々の暮らしのヒントを教えてくれたことを突然思い出しました。ロシア系のユダヤ人でした。

   そして、さらに一昨日、ブラジルで同じピアノの先生に習った日本人の友人のピアノコンサートに行って、不思議な偶然?でしょうか、コンサートで友人が、ユダヤ人についてコメントしながらピアノの演奏するのを聴きました。

   「メンデルスゾーンが1番好き」と紹介しながら、(メンデルスゾーンが、裕福な家に生まれながらユダヤ人であることで言われない苦しみを小さい時から味わってきたこと。ナチの時代に、彼の作品が過小評価されたり、消されたりしたこと)などを彼女は曲の紹介とともに伝えてくれたのでした。

   友人の奏でる美しいメンデルスゾーンの曲を聴きながら、祖国を失ったユダヤの人々のこと、そのユダヤ人が故郷をイスラエルの建国で取り戻したことで、今度は故郷を奪われてしまったパレスチナの人々のことを考えさせられました。

   店を取り戻したいという過去の思いを捨てたことで、平和になったという作者。
   オウムに妻を奪われ、自分に疑いをかけられた松本サリンの河野さんが、加害者の謝罪訪問を受け入れ、これ以上自分の人生を恨みで終わらせて台無しにしたくないと「許し」の道を歩んだこと。

   この本も、「平和のつくりかた」について私にいろいろなことを思い起こさせるヒントを与えてくれるように思いました。
「許し」が、人が争いから脱して平和の心を手に入れるのに重要だということには、これまでも気づかされては来ていたように思います。
   でも、「許し」というのは、人間にとっては本当に難しい。

   「右の頬を打たれたら、左の頬をだせ」と教えるキリスト教の信者でも、9.11の後に報復攻撃をして、誤爆で罪のない人の命を奪い恨みをかった。「目には目を、歯には歯を」のイスラム教も、「報復」といいながら無実の人々を結局自爆テロで死に追いやっている。そして、さらに人々の憎しみを生んでいる。報復の連鎖。憎しみの連鎖。「許し」は、人間には本当に難しいことなのだと思う。

   そして、「許し」が難しいとなって、それとは違うメッセージを受け取るとしたら、次の言葉がそれ以上に私には大事なメッセージだと感じられた。

   「ユダヤ人をただユダヤ人というだけで殺す。そのひどい人も同じ人間。
  と考え進むうちに、自分自身の中に被害者の部分だけでない、迫害する人間の部分があるのではと気づいた」

   この文章である。

   迫害されたユダヤ人。仲の良かった友人を思い出し、私はなぜ人種で人を差別しあったりするのかと憤慨する。
   でも、立ち止まって考えると、ブラジルの友人も材木の会社を経営する社長夫人、裕福な家庭だと思う。
            (まあ、ブラジルは多民族国家だから、そんなにユダヤ人であるからと差別は受けてこなかったと思うが・・・)

   そして、この著者のリビアでの生活は、まさに大きな家に住む宝石商であった。

   著者のゼロから近所のレストランの給仕をスタートした成功の人生に、ユダヤ人の才覚も感じた。
   「ベニスの商人」に出てくるように、才覚を妬まれ嫌われたユダヤ人。
   世界に散らばったユダヤ人たちは、その知恵と努力で成功を手にした人も多かったのだろう。

   振り返って、今の日本で多くなってきた在日外国人の中で、商売上手で自分たちより成功していって、大きな家に住み、日本人を雇って裕福に暮らす人が出てきたら自分はどう思うだろう・・・・
   自分たちの国なのに、日本人ではなく後からきた外国人ばかりが成功して裕福な暮らしをして、日本人を雇用する人が多くなったら・・・
   自分は民族主義やトランプのような自国主義に走ったりしないと言い切れるだろうか。

   ナチスの行為は人間としてあまりにひどい。信じられないと自分に引き付けて考えることをせず、「非道」というだけですませて簡単に考えてきたが、果たしてそれでは問題の解決の糸口を失っていたのではないだろうか。

   彼らも私と同じ人間だった。その彼らがどうして非人間的な行為に走ったのか・・・それを考えなければならないだろう。
   すると、私の中にも彼らのような迫害につながる部分が全くないとは言い切れなくなってきた。

   裕福になった例でなくても、たとえば来日して日本語が下手で職がなかなか見つからず就職が難しく、生活保護を受けて子だくさんで仲良く暮らしている外国人を見たら、どう感じるだろう・・・自分は長く働き税金を払い、年金もちゃんと納めたのに年金額が少なくつつましい生活をしているのに、彼らが自分より多いお金を生活保護をもらっているともし知ったら・・・・「外国人の彼らの人権が、日本人より守られている。これは、不当だ!」と感じる将来がやってこないだろうか。

   外国に住んだことがあり、外国人と今でも接触が多い私ですら、やや自分に自信がなくなってきた。


   現在、社会保険なしで働いている外国人は多い。社会保険を払っていても、将来を支えるほどの給料を現在すらも得ることができずにその日の生活で精一杯の暮らしをしている外国人も多い。日本人ですら、非正規の人が多いと問題にされ、ワーキングプアとか言われている時代だ。

   将来彼らが高齢化したら、きっと年金が非常に少ない、またはないことが問題化してくる日がやってくるだろう。
   そうした彼らを生活保護で支えなければならない時期がやがて来るのではないか。

   高齢者社会になり、働けない人の割合が増えるのに医療費ばかりが嵩み、労働力が不足して移民がどんどん増え・・・社会矛盾が拡大し、経済が疲弊して、人々に不安が蔓延して・・・

   ナチスを「悪い人たち」とだけ単純に言いきってしっかり見ないでいると、平和が観念的な「心がきれいなら平和を保てる」という考えに陥って、自分の心の中にある「差別」「妬み」「実際にどうしようもない生活の苦難・職がない不安・飢餓」などがどうしようもないものとなった時には、またナチスを生むような社会状況が生まれることにならないか。同じ過ちを犯さないと誰が保証できるだろう。

   この本を読んで、少し私も成長できたようだ。

   私自身の中にだって、平和でない心がある。
   豊かさが社会から消えたとき、人の心から平和な心も消えてしまう。
   豊かさをどう確保するのか、平和な心はどうやったら守り続け、育てられるのか、もっとしっかり考えてみようと思えた。

   あなたも、興味がわいてこの本をもし読んでみようと思ってくださったなら、よかったら読後に感想をコメントに残して聞かせてください。
   一緒に考えていきましょう。



 
   

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