漁師の徒然なるブログ
日々起こった、いろいろな出来事など・・・・
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発達した低気圧の影響で海は荒れ模様です。




平和な海のたこの浜も時化です。
アワビ漁、27日まで見るらしいですが、
この海状況だとその日まで回復するのには難しいと思われます。
波が残りおさまらないと・・・
海の中をかき回して濁りまくりなので水が悪いと・・・
三陸沖も大荒れなので休漁です。
トロール船も休漁しています。


被災地の鍬ヶ崎も復興してきています。
今年度で区画整理も完了予定です。
あの震災から6年が経とうとしています。

ようやく、住居が建てられるようになりました。6年は長いです・・・
これから新しい町作りが始まります。


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あれから自転車で鍬ケ崎に。
光岸地から宮古市魚市場と通過してくると道路も大丈夫でした。
鍬ケ崎上町~港町までの道路や区画整理中のところは、これといった被害もありませんでした。
鍬ケ崎は大丈夫だったようです。
区画整理土地の盛り土の斜面が雨でえぐれているくらいで
清水川の氾濫もない状況でした。
それと防潮堤が数か所で完成されているので、台風からの風で多少なり防御されたようです。
側溝が溢れて道路が多少冠水したようなところも見受けられ
マンホールから水が溢れている個所もありましたが
鍬ケ崎はこれといった被害はないように見えました。
区画整理工事も通常通り行っていました。


そしてサッパを陸揚げしている日立浜の須賀へ。
サッパは無事でした。流されていなくて安堵しました。


今のところ大きなサッパの被害はないと思われます。
でも・・ですね。
陸揚げされている方はこうですが、海の方を見ると・・・



うひゃーーーーなゴミがおったまってます。




造船所方面の前須賀のとこは


このような状況です。






南東だったので須賀におったまったんだと思います。


これ人力作業というレベルの話ではないと思います。
重機じゃないと・・・・・
掃除するのも大変ですよ・・・・

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水し門が閉まっているので、防潮堤のはしごをよじ登って閉伊川を。
水門工事中のところです。矢板で川を塞いでいます。
藤原側の幅約20mが航行ルートなので狭いです。


氾濫で矢板が壊れてました。
かなりな水の圧が、かかったんだと思います。
工事も遅れていきますね・・・・・・・
進路標識灯も無くなってました。


水門河口の船は生き残ってました。
ギリギリセーフだったのかもしれませんが・・・


上流方面を見ると岸壁上に・・・・


船は、一昨日の夜に離岸して避難しました。
被害確実と判断し食料積んで川をでまして、
宮古港内の定置網船に横付けして一夜を過ごしました。
漁協からアンカーがひけるから、どいてくれと電話がありまして
船を離してはいいですが行くところがない。
磯鶏の木材港(ヨットハーバー)に行ってみるとそこも混んでいて無理でしたが
同業船の船に横付けすること許可をもらったのでそこで避難しました。
そして昨日の午後から雨風強くなり台風直撃通過。
一夜明けて船は大丈夫だとのことを磯鶏の漁師から連絡があり安堵しました。
藤原~磯鶏の国道45号は通行止めなので船に行けない状況ですが
船を見てもらっているので感謝です。


築地のNTTビルの所、山口川下水道水し門です。
ここから宮古町中の水が川に出てきます。
増水などすれば水し門が閉められます。
あ・・・・サッパがひっくりかえって・・・


山口川です。
道路下が排水溝になっています。
閉伊川の増水氾濫で水位上昇すればここも溢れます。
水し門を閉めると海川からはせき止められますが
今度は町中からくる水がせき止められ行き場がなくなります。
ここが溢れ道路冠水になります。
でも、水門を閉めなくてもどうにもこうにもだと思います。

そして澤田歯科交差点にも下水道の水し門があります。
防潮堤の水し門とその横に小さな下水側溝がありまして
そこにも小さな水し門があり、高潮(前回のような)の時は
道路の方にこないように水し門を閉めたらば
陸からくる下水道が行き場がなく詰まって交差点の側溝から溢れまくりました。
でも、この水し門を閉めても開けても今回のは防げなかったと思います。
陸から水の行き場を失うのと川からの増水氾濫で陸の方に圧がかかりますので。
どうにもこうにも難しい問題だと思いました。


ここの水し門から上流の方が被害が大きかったと思いました。


船が・・・・
自分の船もこのような状況になることを自然災害(台風や爆弾低気圧)を危惧しています。
先日のあの時にも船がのし上がってこうなるんじゃないかと神経がすり減る思いでした。
地盤沈下しているので岸壁下がっているんです。
高潮になるといつも危険です。
今、岸壁嵩上げ工事をしていますがその前にこの台風です・・・・


光岸地の愛宕橋交差点です。
ここから先、青い標識看板があるところから通行止めです。
泥がすごいことになってます。
国道45号線田老~崎山~日の出~佐原の道路は渋滞です。
まったくもって進んでいません。

ここから先が酷いことに


重機ですくっていたりスコップで泥カキ作業中です。
深いところで太もも付近まで泥です。

昨日はフロントガラス付近の高さまで冠水したんだと思いました。
今回の台風は、町中方面被害が大きいです。
震災のあの津波後の時のような感じがしています。
106号線も道路が寸断されて通行止め盛岡にいけません。
南ルートが生きているようですが、藤原~磯鶏も冠水で通行止めです。
物流が滞っていて経済にも影響がでるのかなと。
これから鍬ケ崎です。あちらがどうなっているかです。
サッパが流れてないか心配です。




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3月11日 午後1時18分。
鍬ヶ崎小学校屋上から撮影。
家や町並み人々の生活や営み、そして鍬ヶ崎の独特な文化もありました。

午後2時46分に大地震、そして大津波。
あの鍬ケ崎が壊滅・・・・・

鍬ケ崎好きでした。

I Love 鍬ヶ崎



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穏やかなタコの浜です。
今日で、あの大震災から5年・・・・
もう5年ですか・・・・まだ5年・・・・





今日の鍬ヶ崎です。
朝の6時からサイレンが鳴り、津波訓練が行われました。
高台や避難所に避難、分団員は水し門を閉めてから退避。
このサイレンを聞いて、どう感じるかです。
それによって、その人のことが分かるかもしれません。





区画整理が終了し、地権者に引き渡された土地には住居が建て始まってきています。


そして、港町、タコの浜、熊野町と区画整理も今年で完了予定です。
そして、新しい町づくりが始まります。

あの時から5年です。
忘れることはないでしょう。
地震が起きた午後2時46分に黙祷です。


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今日の鍬ケ崎です。


明後日で震災震から4年11ヶ月が経とうとしております。


あれから約5年が・・・・・・
復興は・・・・・です。まだ時間がかかります。



おぐまん様の階段から






2011年8月頃






そして鍬ケ崎小学校の体育館からみて




2011年4月25日頃





そろそろ5年経ちます・・・・



区画整理も進んできており、今年中には鍬ケ崎の区画整理は完了予定です。
先月には災害公営住宅が完成して入居可能となりました。
仮設住宅から公営住宅に引っ越し移ってきております。




タコの浜に行く付近


区画整理整もそろそろに








港町には、しみず川整備になりました。
ここら辺には、同級生の家があったと思いました。


公民館が建設されています。
春には完成するそうですよ。



港町の災害公営住宅です。
鉄筋5階建て。今年の夏には、全室引っ越し完了のようです。
そして、仮設住宅も取り壊しへ。
区画整理された土地に住居を建てる予定の被災者は、もう少し先に。
仮設住宅も順次取り壊され、公営住宅に入居をしない被災者は愛宕小学校跡地の仮設住宅に集約されるそうです。



公営住宅前では防潮堤建設中。





昨年に上町の第一区の防潮堤ができ、次はここの区域着工です。


下町~仲町方面



この地域は、区画整理完成し割り当てされた地権者に引き渡されました。
上町付近まで家を建てることができました。


震災前からこの道路をバスが走ってましたよね。
斜面側はもう少しのようです。


熊野町~しみずばし



しみず川も整備されてきています。





鍬ケ崎小学校の門からは、海がすぐ近くです。
建物があったときには、見えず遠いと思っていましたが・・・・・
校庭まで津波がきたんです。
まさか・・・とは思いましたが・・


今年中には鍬ケ崎は区画整理が完了予定です。
予定通り完了してくれることを願います。

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あれから浜どこを見回りに。
日立浜のサッパが陸上げされているとこは道路まで海水がきていました。
宮古港内には波が入ってきていましたよ。
ぐるっと回ってからタコの浜上の橋から鍬ヶ崎をみました。

区画整理も進み山根町、港町、タコの浜、熊野町と今年中には完了しそうです。
区画整理が完了すれば、割り当てられた土地に建物を建てられるようになります。
来年くらいから建設が増えてきそうです。
左側の建物は鉄筋で公民館建設中。
災害公営住宅もほぼ完成し、今年中にも入居可能となるようです。
震災から5年が経とうとしております。
仮設住宅で避難生活を余儀なくされている被災者も多いです。
復興まではまだまだです。

後ろのタコの浜は大荒れです。




あ・・・・重機やコンクリートミキサー車が・・・・

すっかり波に・・・
かなりな荒れ模様です。
宮古湾内にも猛烈な波が。
養殖施設に被害がでないことを祈ります。
沖の道具も心配です。時化後、道具を確認して被害があれば復旧作業です。


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震災から約4年8ヶ月が経とうとしております。
海沿いには防潮堤建設というのが震災後からでていて
あれから4年。防潮堤建設の賛成や反対の声もなんとやらで
着工が始まっております。
鍬ヶ崎上町の一部区間、防潮堤建設中です。


宮古港内の岸壁から。
先月には、柱の打ち込みそして完成し、足場が組んでブロックが積まれました。


反対側の町の方から。
この辺りに、震災前は臨港通りのバス停がありました。




高さ約10.4mの防潮堤です。
コンクリートの壁が立ちはだかり海がまったく見えなくなります。
あの海が見える光景はなくなりますね。
浄土ヶ浜まで行くまでは、コンクリートの壁が右手に見えるだけになります。
海側からの風防御されて、町には風の影響はあまりなくなると思います。
台風の時には、まっから風という影響が少なくなりそうです。
大荒れで浜どこがどうなっているのかが、まったく分からないと思います。


出来上がったコンクリートを積み木のように重ねていく方式のようなので



この式だったらば、防潮堤は早くできると思います。
積み重ねるだけの耐久性というのは大丈夫なのかな・・・
約三年で鍬ヶ崎地区(魚市場~竜神様)の防潮堤は完成予定だそうです。
今建設中のこの区間は、来年の3月に完成予定です。
残る区間はその後着々と進むようです。


地面から数メートル上には 窓?のような空間がありましたよ。


そういえば、コンクリートの壁で海が見えない
(低気圧で海が時化て海がどのような状況なのかが分かるようになど)
と、透明の窓が下にできるとのことを思い出しました。


透明な窓ができて津波に対しての耐久性は大丈夫なのかと心配になりました。
脆弱性の箇所からと思いましたが・・
防潮堤は完璧に守るものではなく、減災で最小限度の被害にするということを
震災後の防潮堤建設説明会で聞きました。
防潮堤を乗り越えての減災、付近の浸水高さは約1mくらいの予想だとかで
各地域(町)によっての浸水での被害も資料に乗ってました。

ですので、被害は最小限度に防ぐという防潮堤なのです。
絶対防御ということは、無いと思いました。
大地震があって津波が到達するなど、津波警報がでたらば
防潮堤で守られていても、高台や避難道路で避難所に逃げることをしないと。
防潮堤を破壊や乗り越えてこないだろうという安心・安全な気持ちが
かえって危険になることもあります。

だから海が見えるように窓の部分がある?というのも一概かもしれません。
それと防潮堤が完成されないと、上町付近では建物を建てても
住むことができない(店舗兼住居)そうで
あくまで、防潮堤ができてからじゃないと住む許可がでないとか。

大震災での津波は海側と山側からも津波がなだれ込んできました。
蛸の浜を乗り越えてなだれ込んできました。
すり鉢状地形の蛸の浜。
あっというまに溢れて、高さ40mもある日和台を乗り越えて裏から鍬ヶ崎へ。
あのような津波が来れば、裏からのことも視野に入れておかないとなりません。
慶長の津波では、蛸の浜を乗り越えたそうです。
梅雨時期になれば、ヤマセが蛸の浜から入ってきます。
防潮堤でさえぎられて、濃霧がおったまってになるんじゃないかと思いました。
抜けるところがさえぎられたり無いと色々とでてきそうです。

日立浜も日立浜で色々とでてきています。
プレハブ小屋のところもですね、色々とありました。
今後もでてきそうで、心配と不安がいっぱいです。
須賀の浜でのサッパ置き場のいざこざもでてきそうな・・・・
各町によって問題や課題があります。
復興にはまだまだ時間がかかります。
今後も、被災地から復興の状況等色々な情報を発信していきます。




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7日は、鍬ヶ崎小学校の入学式でした。
昨日、息子が学校から帰ってきてランドセルから
「はい、お父さん これ」

と、言われ渡されました。
毎月、被災地鍬ヶ崎の工事のことなどの かわらばんでした。
3月号(第14号)は、道路切り換えのお知らせでした。



4月下旬から道路切り換えになるそうです。
現状の仮道路からさらに右側にずれて、
災害公営住宅建設中の今の道路も海側にずれての道路に。
くねくねした仮道路ではなくなるようなので
車運転するのにも割かし楽になります。


2月に宅地完成、権利者へ宅地引き渡しが行われたそうです。
一部ではありますが今後宅地も完成引き渡しもされ
上町は全部で52区画だった?でしょうか。
今後の宅地完成もうすぐのようです。
奥の白い建設物は、漁協の冷凍・冷蔵工場です。

今、昔の場所的に言いますと玉木屋スーパーさんがあったとこから
ひしや酒造さんのところまでを32区画宅地造成工事もしています。
6月までには完成するのかなと思ってみてました。



港町のこの場所も宅地完成されてました。
造船所裏からぐるっと大きく区画されてます。
災害公営住宅建設している道路はさんで向かえの場所です。
宅地引渡しされれば、その区画の権利者は住居を建てられるようになります。
区画整理も徐々に進んできています。


『ところで、今年の一年生は何人入ったのや?』
と息子に聞くと

「えっと・・・・ たしか34人だったよう・・・
 いや33人・・違ったかな・・30ちょっとだったかな。そんくらい」

とのことでした。
息子も4月で5年生になりました。
震災の年に入学。入学式は4月26日でした。









鍬小まで津波が来ました。
入学式も延期となって、4月26日に行われました。
入学式後の写真です。
フェンス壊して小学校敷地内まできたのがわかると思います。
被災地の鍬ヶ崎を見て何を感じていたのか
今でも気になっております。


鍬ケ崎地区の学校、児童が減ると思ってましたらばそうでもなかったんだなと・・
愛宕小学校と統合したので、あちらの地域の子も鍬ケ崎まで通っているので
全体的には増えても減ってもないようです。

市内の小学校、児童がかなり少ない小学校もあるようです。
郊外に移り住み人口が増え、町中や中心部はかなり少なくなって空洞化という
ドーナツ化現象が起きてきています。
数年~数十年と経てば、学校の統廃合も進んでくるのかな・・・・



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あの大震災から今日で4年です。
4年ですか・・・・・・
地震前時刻から心の中では時が止まっています。
4年経っても癒されることはありません。
現実を受け止め前に進まないとなりませんが、
たぶん、このまま癒されることはないのかもしれません。

この写真は、4年前の3月11日午後1時18分に
鍬ケ崎小学校屋上から鍬ケ崎~宮古港を撮った写真です。
家や町並み人々の生活や営み、そして鍬ヶ崎の独特な文化もありましたが
午後2時46分の大地震そして大津波で、宮古鍬ヶ崎の町は壊滅しました。
住んでいた町が壊滅、とても辛く苦しいです。

今日の午後2時46分そして津波が襲った午後3時24分。
今日は特別な日です。

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