このところ撮りに出ることがなく載せる写真がない。 その間、こんな本を読んでいた。冒頭はこのように始まる。 逃げられないものが三つある。 生まれた時代から逃げられない。自分の体の外に出ることができない。必ずいつか死ななければならない。 三つまとめは、いろいろ有るように思うがこれは初めてである。 ところでこの中に、詞書(ことばがき)に触れた箇所「河童忌」がある。 誕生日が芥川龍之介の命日と同じなことから起こした章で、 燈江堂の主をとむらふ 壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ 斉藤茂吉 (痩躯白の芥川と草かげろうのイメージはふさわしく、夭逝の死をはかない昆虫にかさね哀悼した) 芥川龍之介の長逝を悼みて たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏 (芥川の魂をたとえて、光力の衰えた弱々しい秋のほたるだといっている) ところで、ここから詞書を付けずに省いたら、作品だけで芥川の死と結びつける読者はあるまい。 詞書を付されることで、俄然様相を異にすることになる。読みの方向を決めてしまう。 詞書の有無により読みの幅が集束したり、拡散したりする。 とあり、この解釈による詞書は、写真の世界のタイトルと同じようなことになる。 |