平成野武士の徘徊記・・・・漫遊記改め

堅物のくせに涙もろく、孫には負けじと頑張るが勝ったことが無く、勤勉かつ遊び好きな戦後生まれの爺さんのブログ

チェンマイ確か?4日目は

2017年01月14日 | 旅行
だんだん、日程の認識も甘くなって来ましたが、やっと体調も回復基調です。
例によってアナログ周期でゆっくりとですがね。
空も朝から晴天です。
朝のうちは気温も20度位で、一枚羽織るものが欲しいかな(^_^)と感じる程度です。
昼間の日差しは流石に強いけど、ちょっと物陰に隠れると、快適に感じます。
きつと湿度が36%と低目だからそう感じるのでしょう。
体調と天気が良くなって来たので、ココはレストランでしょ❗️と、かみさんに促されて川岸のレストランに行きました。

どうも女性はこういう所が好きな様です。
ココに見えるはピン川です。
以前は、この時期は乾季の最中なので舟も岡に上がって甲羅干し状態だったのに今年はたっぷりの水量に生き生きとしています。(^_^)

昼寝したいと言うかみさんと別れて新しく渡された歩行者専用橋を渡って対岸の市場に入ってみました。


(ここから、ちょっと語調が変わります)
市場は以前から、さして変化した様子は無くごちゃごちゃした中にも午後の気怠さが薄っすらと場内を覆っている。
一坪位のちょっと暗めの一遇に商品を並べ傍の柱に頭を持たせ掛けて思わず午睡してしまったおばちゃんや突っ伏して寝てるお姉ちゃんの顔を見ると、何とも言えない平和な気分になるのです。
そこで扱っている商品が例え必要だったとしても起こしては申し訳ないと思いますよね(^_^)

こういった安心感が今の日本🇯🇵からは消えてしまったし、アメリカ🇺🇸などでは何処からか何時も、あの青い目で監視されているような気がしているのは私だけだろうか?

今の日本でも島嶼部や田舎の一部には鍵をかけないで出掛ける所が未だにある様だが、その昔は田舎では皆、そうだった。基本的に隣人を信じて生活を送るといくのが日本と言う島国の生活のスタンスだつたのだ。
まぁ、そのスタンスも味噌を貸してくれとか米を貸してくれとかの言葉が生きていた頃の話だから今の都会人には想像出来まいが・・・。

先ほどのレストランはこの対岸の木陰の向こうだ。
たっぷりの川の流れは気分を穏やかにする。
再び、鎖国の日本にならないかなぁ⁇・・

そんなことを考えながら再びピン川を渡る。
日差しが強いが気持ち良い。
午後は再びベットの中に潜り込み、ひたすら復活を図る。
夕方になったので、街に出掛けると、時間が止まったような風景があつた。
もっとも、其処に居たのは西洋人だったが・・・似合わぬ風景ではなかった。



ナイトバザールの通りを、陽のある内に一回りする。懐かしい店、新しい店など見物して回る。
そして今回の大きな目的の一つのピザ屋を見つける。
Street Pizza & The Wine Houseと言う名の洒落たお店で2年前に出て居た場所の通り反対側の建物の二階全で、営業していた。総面積50坪は有りそうな、天井の高い建物の中で営業しており、従業員も15人位はいるのではないかと感じた。
二階から一階の踊り場付近を見るとこんな感じ。

通路の壁には前の店にも有った客からのメッセージと言うか記念の落書きが、既に書き込む場所がない程びっしりと描かれ、それが一つのディスプレイになっている。リピーターを見据えた戦略と思える。

脇には3年前にはやっていた子供、婦人向けの小物のお店が、ここて復活していた。

私達がここのオーナー夫妻と知り合えたのは、パナンと言う娘さんの名前を付けた子供服のお店をオーナーの奥さんがやっていたからだ。

tripadvisorによると・・

中はこんな感じで、お客の八割方は西欧人だ。


ワイン🍷🍷が、豊富で味も良い。

この空き瓶を逆さにして中に光源を一つ入れたディスプレイも、昔も変わらない。

タイ🇹🇭国から、そのうち表彰されるのではないかと思える程、外国人が増えてきた。彼等は通りに面したベランダから席を取って行く。

この店の中央部にも無き国王の写真と祭壇があった。


我々もワインと、🍷ピザ🍕を食べオーナー婦人と固い握手をして店を出る。
何とも懐かしい良き人に会った日だった。


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