平方録

身辺をつれずれに

スリップストリーム

2015-09-30 04:01:59 | 日記
自転車で面白い体験をした。
場所はいつもの湘南海岸自転車道。
コース上は火曜日の午後で人も少なく、ギアを一番重くしてスピードを上げて走るようにしていた。
すると途中からコースに入ってきた年格好が同じころ合いのおっさんが乗る自転車に追いついたのである。
さっと抜き去ろうとしたのだが、前に人が歩いていたし、対向車も来ていたので、すぐ後ろについてしばらく走ったんである。

するとどうだ。
これまでよりペダルを踏む力が軽くて済むのである。時速23~24キロくらいで走っていたのだが、なにか、すーっと引っ張られるような感じなのだ。
そうか、これがあのスリップストリームとかいう現象なのか…
何かで読んだことがあって名前だけはうろ覚えに覚えていたが、いつも一人で走っているのだから当たり前だが、体感したのは初めてである。

自転車を走らせるとき、先頭の自転車から30センチくらいの距離でピッタリついて走行すると、空気の流れの関係で後ろに真空状態が出来、そこに入って走ると空気抵抗は30%減るという現象なのだ。
おまけに、前方からはもろに抵抗を受けている先頭の自転車も2番目の自転車が造る気流に押される形で後押しが期待できるんだという。
自転車レースなどを見ると、縦一列にピッタリくっついて走っているが、あれは空気抵抗を減らして体力を温存するための、理にかなった走行形態なのである。

今回の私の場合は、前を走る自転車との距離を余り近づけ過ぎると前を走る人が気にすると思って、やや離れた1メートルくらいを保ったのである。
それでも楽チンだったのだ。結構な効果である。
まぁ、自転車でレースをする気などさらさらないし、群れるのもまっぴらご免だ。
これまで通り、景色を見ながらちんたら走るのを楽しみとするスタイルは変えるつもりもない。
スリップストリームは話だけのものにしておこう。

さて、昨日三崎の魚屋に寄ったついでに買ってきたダツ、別名スミヤキ。
一晩冷蔵庫に寝かせたせいもあって、店のおかみさんの言う通り、塩焼きも刺し身も「これは!」と膝を打つくらい美味しかった。
見てくれは黒みがかったこげ茶色の汚らしい外観の魚だが、身は薄いピンク色。
皮にひっついた身をスプーンですくい取って集めたところに刻みネギやミョウガを刻んだものをかけて、叩きのようにして食べると美味しいというものだから、その通りにやったら、見た目のきれいな、しかも上品な甘さを感じさせる味だった。
スミヤキクン、やるじゃん!って言う感じ。

塩焼きからは白く変わった身の間から脂が滲みでていて、これまた滑らかな舌ざわりのこれまた上品な味で、脂の乗り具合や脂そのものの味からすると、場合によってはタイの塩焼きにも引けを取らないんじゃあないかと思えるほどである。
人によってはこちらの方が好きだという人もいるかもしれない。

こういう魚はスーパーはおろか、街の魚屋にだって並ぶことはほとんどない。
漁港近くの数えるほどの店先でだけ、それも運が良ければ手に入れる事のできる地魚なのである。
腰越の魚宇が閉店してしまって以降、積極的に地魚を並べる店も近所から消えてしまい、珍しい地魚に触れるチャンスもめっきり減ってしまった。
かくなる上は“2匹目のスミヤキ”を狙ってドライブがてら三崎まで、たまには車を走らせてこようと思う。




スミヤキの刺し身たたき風(左)と切り身の塩焼き


西の空に立ち待ち月の残る9月晦日の朝焼(05:25)
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奥サマ ドライブなんぞいかがです?

2015-09-29 04:11:44 | 日記
思い立って三浦半島に車を走らせてきた。
材木座から134号線に出て逗子、葉山と海沿いを走り、林のロータリーから若干内陸に入って京急の三浦海岸駅に抜ける。
三浦海岸からは左手に金田湾と東京湾越しの鋸山などの房総の山々を眺めながら丘陵地帯の野菜畑を抜けていく。

ここの野菜畑はパッチワークのように模様を描いてうねうねと続く畑の先に、東も、南も、西もはるかに海が見渡せ、しかも西の空の彼方には富士山も顔をのぞかせるという、遮るもののない絶景が続いているのである。
蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」を体験するには格好の場所だと言ってよい。もっとも菜の花が咲いていたかどうかは記憶が定かではない。
海に突き出している陸地を半島と呼ぶのだから、当たり前と言えば当たり前の光景だが、実際に目にすることのできるところはまれなのではないか。
しかも、人の手の入った見事な畑が広がった生産の拠点なのだ。

今でもキャベツや三浦ダイコンが主力だが、最近は食卓に多様な野菜が登場し、好まれるようになって、この辺りでも様々な野菜が栽培されるようになったようである。
9月下旬のこの時期は端境期で、畑のパッチワークの模様の中に緑色は皆無で、豊かそうな地肌をさらした黒みがかった茶色い土、芽吹いたばかりの苗を鳥たちの食害から守る寒冷紗の白色の2色のみの世界が広がっている。

遮るものがないから、広がる畑の中をゆったりとしたカーブで続く道路を、サンルーフも窓も全開にしてゆっくり走り抜けるのは、実に気持ちがいい。

今回はちょっと目論見があって、剣崎灯台を訪ねて見た。
ここには結婚直後の夏に来た覚えがあって、それ以来42年ぶりなのである。どんなところだったのか…
車一台がやっと通れる畑の中の細い道を進んでゆくと、今は閉めてしまった店があり、その奥にやや広い有料駐車場がある。
覗いてみたら、私といくつも違わないようなおっさんが2人、木陰にデッキチェアを並べて寝そべっている。
声をかけたら、はたして管理人だった。駐車場の周囲は生垣のような木立で囲まれていて、外からは見えない。そんな中に男2人が寝そべっているのは、見方によっては異様な光景なのだが、車は1台だけ止まっていて、おそらくは彼らのものだろうと思うのだが、ここいらの定番の軽トラックではなくて、銀色のプリウスだった。
ごみの倉庫のようになった店と言い、ちぐはぐで怪しげである。

ここから灯台までは一旦坂を下り、藪に囲まれた石畳の細い道を上った先の6、7分の道のりである。
ワレモコウやイワシャジンのような水色の花、ツユクサなど秋と夏の花が入り混じって咲いている。
無人で背丈も低い灯台だが、丘の上に立っているので32キロ先まで光は到達するそうだ。
明治4年の設置で、対岸の房総半島の洲埼灯台と対になって東京湾の入り口を示しているそうだ。
灯台の足元では野葡萄の実が色づき始めていた。

ここから車で3、4分のところの江奈湾に面した漁港の一角に建っているのが「エナビレッジ」で、その2階にあるのが地魚料理の「松輪」。
そう、あのブランドサバで名高い「松輪のサバ」が水揚げされる漁港の店である。
この日のドライブの目当てのひとつはこれ。獲れたサバのほとんどは築地に出荷されてしまって、街の魚屋では手に入れることが出来ない。食べたい時はここに来るしかないんである。
あと2人前しか残っていませんと言う「松輪とろさば炙りたて」を首尾よく注文できたのは何よりである。
生サバというか、刺し身は出していないので、より刺し身に近い食べ方と言えば「炙り」しかないのだ。

日本酒でもつけたいところだが、そこはぐっと我慢するしかない。
しかし、そういう我慢も我慢できるくらいの美味しさだったと言っておこう。
時は秋である。脂の乗る秋。秋サバは嫁に食わすなのサバ。しかもブランドサバである。まずかろうはずがないじゃぁないの!

妻は気の毒なことに2、3年前にしめサバにいたアニサキスに胃壁をかじられ、ひどい目にあったせいで好物が口にできないでいるのだ。
メバチマグロとキンメの刺し身盛り合わせ丼を「時価」の値札に怯えながら注文した。
ま、サバがだめならグッドチョイスでしょうな。迷いに迷った末の選択は正しかったと思うよ。

帰りに寄った三崎の岸壁近くの魚屋で珍しい「ダツ」があり、刺し身でも塩焼きでも美味しいというので1尾買ってきた。
体長40センチほどの「スミヤキ」とも呼ばれる、黒みの混じった薄灰色の見てくれの悪い魚だが、昔から抜群に愛想の良いおかみさんが歳をとっても相変わらずの愛想の良さで勧めるのに乗ったのである。
さらに帰り道、「すかなごっそ」という何語かわからない名前の農協の直売所で、葉山牛の焼き肉用の切り落としまで買ってしまった。

妻は「あなたと来るとお金がかかる」とぼやくが、ナニ、年に数回じゃないの。第一、2日分の食料だから勘弁してよ!
こうしてささやかな楽しみを、ありがたくありがたく重ねていくのである。つましいもんじゃないの。




房総半島を望む金田湾の浜。中央奥の山が鋸山


剣崎灯台


灯台への道端に咲いていたイワシャジンに似た花


白亜の灯台の足元に広がる野葡萄


灯台から東京湾を見下ろす


松輪のトロさば炙り 2600円也。東京の料理屋で食べるとなると倍の値段になって、しかも量も少ないと思う


三崎の魚屋の店頭に並ぶ地魚


スーパームーン

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シラスと黒潮の大蛇行

2015-09-28 04:05:52 | 日記
3月11日の解禁日以来、相模湾のシラス漁は不漁が続いている。
鎌倉や江ノ島界隈でシラス料理を掲げて営業している店への影響は深刻なようで、特に海に近いところでしか食べられない生シラスのメニューの維持には静岡や茨城のシラスを取り寄せてようやく細々と続けているようなのだ。
ま、商売の人はともかく、シラス好きにとっては禁漁期をのぞけばいつでも手に入っていた鮮度抜群の生シラスが手に入らない現実はとても寂しい。

ガラスの小皿に緑色の大葉を敷き、その上に生シラスの透きとおる魚体を山盛りにして、日本酒を口に含みながら食べるシラスの味わいは海沿いの住人の特権のようなもので、誠に美味しく、喜ぶべき食材なのである。
所々で行われている観光地曳網にも普段はよくかかり、喜んでぱくつく客に向かって漁師たちが「オイオイ、そんなにたくさん食べると男は明日の朝寝返りを打てなくなっちゃうぞ」などと言葉を投げかけて、含み笑いをするくらいなのだ。
“海のミルク”とも呼ばれていて、栄養もたっぷりなのである。

解禁日直後はまだ春先で水温が低いため、そもそも漁獲が少ないのだが、例年、5月の連休頃になって水温が上がってくるとたくさん獲れるようになるのが相場だった。
それが5月を過ぎて6月はやや盛り返したものの、7月に入って夏を迎えると再び不良となって秋を迎えているのだから、やはり異常気象の影響は海の中にも及んでいるというべきだろう。

県水産試技術センターの調査ではマイワシやカタクチイワシの成魚は例年並みの漁獲があるそうだから、あながち稚魚がいない、というわけでもないようである。
原因は黒潮の蛇行らしい。9月25日付の関東・東海海況速報図によると、通常だと相模湾に近寄って流れる黒潮は現在八丈島のはるか南の青ヶ島のさらに南側を流れていて、大島近辺の水温は24度と低い。黒潮そのものの温度は27度以上だから、3度も低いのである。
このために稚魚が沿岸に近寄ってこれないらしい。
隣の静岡県もシラスの漁獲が多い地域として知られているが、予定していたシラス祭りが開催できなくなったほどの不漁だそうだ。
海況図を見て見ると、なるほど黒潮は駿河湾のはるか南を流れていて、こちらも湾内の水温は23度から24度のようである。

モノの本によれば、本州に近づく黒潮は広いところで幅100キロ、深さ600メートルにも及ぶことのある巨大な流れなのだ。
この巨大な“温蔵庫”が沿岸の気候に及ぼす影響は小さくない。
真冬でも海岸に出て、晴れてさえいれば何となくポカポカ感じられるのは目の前を27~28度の水の流れがあるからで、都内などとは確実にその温度差を体感できるはずである。
このままの黒潮の蛇行状態が続くとすれば、冬に感じる温度差もたいして期待できないのかもしれない。

シラス漁は12月末から禁漁期に入るが、その前に1、2度は何とかして生シラスで酒を飲みたいものである。



わが家から見た中秋の名月


わが家前に穂を出したススキに白玉と鳴門金時。白玉は妻の手作り。これが美味しかった。
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日常と非日常、もしくは脱日常

2015-09-27 04:08:19 | 日記
行きつけの床屋のお姐さんが利き腕の手首を骨折してしまったとかで、8月から姿が見えない。
仕方なく別の人に刈ってもらったのだが、どうもしっくりこない。

ところで「床屋」というのは差別用語だそうで、どうして? と思うかもしれないが、そうなっているのだ。良く注意して見ると新聞でも使っていないし、テレビなどでも最近はついぞ耳にしない。
理髪店と言い変えなければならないのだ。

私の場合、理髪店と言うところは黙って座ればピタリと当たる、じゃあないけれど、黙って座ればいつもの人によって、いつもの髪型に刈ってくれるのを理想としているので、馴染みの人の姿が消えてしまうと実に困るのだ。
いちいち説明して刈ってもらうなんぞは面倒でいけない。
というわけで、新たな店を見つけるでもなし、途方に暮れつつ、どうするか決断がつかないまま髪の毛だけが伸びているのである。
つまり日常の歯車のひとつが狂ってしまったのである。

どうしようか、などと考えていたら電話がかかってきて、350キロも車を走らせて秋田県大館市の比内地鶏の焼鳥が美味しい店の本店に行ってきたという。
ナヌ! 本場中の本場じゃないか! 抜け駆けされたか、という気分である。
で、友人はレバーが絶品だったと強調することしきりで、余りの美味しさから奥さんともども2本ずつ追加して食べたほどである、と鼻息が聞こえてくるほどに得意気である。
しかも女性ばかり4人で切り盛りしている店だったとかで、ヨカッタヨカッタと羨ましがらせるのである。

正直言って悔しい。
先日、オーストリア人青年と偶然一緒になって国際交流してきた近所の焼鳥屋では、レバーが売り切れてしまっていて口に入らなかったのだ。
そういう飢餓状態のところに持ってきて、比内地鶏のレバーが絶品だったというのである…
酒のうまさは言わずもがなだしなぁ。おのれ!

しかし、絵にかいたような非日常の行為で新たな発見をした嬉しさゆえの電話だったんだろう。声が弾んでいたもんな。
そういう非日常、脱日常的な行動を重ねることは、とても良いことなのだ。
しかも、それを自慢するという行為は一種の張りあいであり、“何とか脳”が活性化している証拠である。
発見というものは、自ら動いてみなければ見つかるものではないし、いつもの場所に座っているだけでは得るものは何もない。じっとしているんでは枯れて朽ち果てていくだけである。
世間の第一線から退いた身では、常に刺激が必要なのだ。自ら動いて日常を抜けだし、脳を活性化させなければならない。

お互いに好奇心こそ原動力、というような仕事を長く続けてきたのだ。好奇心の在庫はいくらでも残っている。
第一、期限切れとか、賞味期限などと言うセコイ表示は付いていないからね。大事にしまっておく必要も、使わない手も無いんである。

さて、床屋…じゃなかった、散髪どうしようかなぁ。




近所の田んぼの稲穂がだいぶ黄金色になってきた




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日本サッカーの父

2015-09-26 05:21:30 | 日記
久しぶりに寝坊してしまった。それも1時間。
午前1時半くらいにトイレに行ったのが調子を狂わせたのかもしれない。
何せ、隣で妻が寝ているから目覚まし時計は使わず“自然の眼ざめ”が頼りなのだから、時たまこういうことが起こる。
人間的なのだ。

さて、昨日に引き続きドイツの話題。
と言っても不祥事ではなくて、恩人の話。それもサッカー界の大恩人の話。

東京オリンピックを4年後に控えた1960年。日本サッカー協会は代表チーム強化のために外国人指導者の招聘を決め、白羽の矢が立ったのが当時西ドイツの指導者だったデッドマール・クラマーさんだ。
ドイツ人には珍しく小柄で、頭でっかちでしかも頭髪のはげ上がった、目の大きな人である。
失礼ながら、まるで異星人のようでもあった。

そのクラマーさんの指導のおかげで、4年後のオリンピックで日本はあのアルゼンチンを破るなどの勢いを見せ、ベスト8に進んだのである。
この試合は高校1年生でサッカー部に所属していた私もニュースで知り、いろいろな局のスポーツニュースを何度も見た記憶がある。
当時はまだ不人気のスポーツで、日本戦とはいえ、テレビ中継されていなかったか、平日の昼間で見られなかったのだろうか。多分中継がなかったのだと思う。
確かJリーグチェアマンなどを務めた川渕三郎のダイビングヘッドなどが決まった、胸のすくような試合だったのだ。
アルゼンチンに勝てるわけがない、と思っていたのが勝ってしまったのだから、喜ぶと同時にびっくりしたものである。
先日、ラグビーのW杯で日本が南アフリカに勝ってしまったような大金星だったのだ。

そしてさらに4年後の五輪メキシコ大会では何と銅メダルに輝くのである。
ハンガリーと対戦した準決勝で、日本はそれまでの選手を大幅に入れ替えて0-5で負けたのだが、試合後、クラマーさんはなぜ入れ替えたのかと疑問を呈したのである。
結果ハンガリーが優勝してしまうのだが、銅メダルどころではなかったというのがクラマーさんの感想なのである。
とはいえ、大観衆の中で、開催国のメキシコに勝って銅メダルだから、これはもう何をかいわんやなのだ。
釜本や快速ウイングの杉山が大活躍したのである。
私事でいえば、1年生からレギュラーになり、杉山と同じ左ウイングで快足? を飛ばしたこともあるのだ。
ロングロングアゴーの話ではあるが…

こうして東京、メキシコと続くオリンピックでの大躍進の素地を作ったのがクラマーさんなのだ。
東京大会の後、日本を離れるにあたって国内リーグの創設、コーチ制度の確立、国際試合の経験を積むこと、芝のグラウンドを作り維持することーなど5項目の提言を残して日本を後にしたのである。
1965年に実業団のチームが参加する日本リーグが誕生し、それがやがてJリーグに発展して行くのである。

クラマーさんの教えはインサイドキックばかり蹴らされるとか、初歩的、基礎的なものばかりで、批判もあったそうだが、ドイツ人らしく、一度決めたことはやりとおす人で、方針は変わらなかったそうだ。
裏を返せば、初歩的なことも当時は身についていなかったのだ、ということの裏返しでもあるのだろう。

そんなわけだから、我が母校から大学などに進んでサッカーをしていた先輩たちにもその練習方法が伝わり、その先輩たちによって我われ高校生のところにも伝わってきて、来る日も来る日もインサイドキックの練習に明け暮れるということもあったのだ。
基礎をみっちり身体にしみこませなさい、という教えは正しいと思う。何事にも共通する考え、指導方法なのである。
こうして「日本サッカーの父」と呼ばれるクラマーさんは、会ったこともない高校生にも影響を与えてくれたのである。“瞼の父”だが、まさに大恩人と言ってよい。

9月17日に90歳で亡くなられた事を知って、あのころを思い出し、とても懐かしく感じたものである。合掌。




近所の仏行寺の境内に咲くマンジュシャゲ
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