ここから延々50分もバスに揺られて小田急線の秦野へ。駅前でバスを乗り換えて秦野市東田原の蕎麦屋までたっぷり2時間半の道のりだった。
若くして非業の最期を遂げた鎌倉幕府三代将軍・源実朝の首を埋めたと伝えられる首塚に隣接した蕎麦屋「東雲」を知ったのは去年の秋のことで、ある日本画家のブログがきっかけだった。
秦野市民が好んで食べるキノコがあり、そのキノコを入れた蕎麦が美味しいのだと。
この画伯はキノコにやたら詳しく、山に分け入っては生々しくも美しい写真をブログに掲載していたので「へぇ~ほぉ~」と口を開けて眺めていたのだ。
で、去年の秋、特段調べもせずにあの辺からバスがあるはずだ、秦野に着きさえすれば何とか分かるだろうと出かけ、駅前の観光案内所で件の「アシナガ」というキノコを入れた蕎麦が食べられる店を教えてほしいと頼んだのだが、これが全く埒が明かなかったのだ。
仕方なくブログに書かれていた「東田原」「実朝の首塚」を手掛かりに首塚に行く道順を尋ね、ようやくその蕎麦屋にたどり着いたのだった。
山形の友人に「蕎麦教育」を施されていたものだから、うまい蕎麦は山形にしかないと「目黒のサンマの殿様」状態であったのだが、はるばるたどり着いたせいもあって蕎麦自体はもちろん、やや甘めの濃い汁に浸ったアシナガは野趣に富んでいるというか素朴というか、とても味わい深いものでいっぺんで気に入ってしまったのだ。
そうこうするうちに年が明け、2月も末になって画伯のブログに「あ…鼻血…」「髪の毛根にも赤黒いカサブタが出来る」などという尋常ならざる表現を残したままぷっつりと更新が途絶えてしまった。
そしてつい3、4日前「久しぶりの更新となりますが残念ながら家族が書いております」という書き出しで5月19日に病死したことが告げられたのだった。
人の世が常でないことは分かり切っているつもりだが、それでもやっぱり一時期ではあっても心に留め置いたものが突然終了してしまえば、それなりの感情が沸き起こってくるもので、少なからず寂しい思いを味わいもしたのだった。
もちろん話をしたこともないし、どんな顔をしているのかさえ知らない。
作家の立原正秋が亡くなった時、写真で顔こそ知っていたが口をきいたわけでもなく、同じ町に住みながらすれ違ったことも無かったのだが、なぜか物悲しくなって随筆によく登場した駅前の「お紺」を探し出し、開店直後の店に行き、作家が指定席にしていたカウンターの一番端の席の隣に腰かけ、シコイワシの刺身で燗酒をちびりちびりやったことがある。
行為そのものが自己満足的なものであることは言うまでもないが、シンパシーを抱くということ自体がもともとそういうものだろうし、いずれにしたって何事かをするとなれば心の内側で生じる動機によってもたらされるものなのだから当然だろう。
「東雲」では日本酒で献杯し、蕎麦だけ手繰ろうかと思っていたが、夏野菜のてんぷらや小鉢、季節のご飯、デザートまで付いた「夏御膳」というちょっぴり豪華なものにした。
酒は一合のつもりで頼んだのだが、運ばれてきたのはよく冷えた地元の蔵の「しらささ」の小瓶で300mlもあり、昼にはちょっと多いなと思ったが〝2人で飲む〟のだからこれくらいなくては…と思い直して受け入れた。
店を出ると目の前の田んぼのあぜ道にお爺さんに連れられて田んぼの中を覗き込んでいる2歳くらいの女の子がいた。
ボクが手を振ると少しはにかんだような表情で遠慮がちに手を振り返してよこした。
秦野盆地は暑い! 薄曇りだったが時折漏れる強烈な日差しはめまいがしそうなくらいで、周りの田んぼに水が張られ、音を立てて流れる小川の流れがなかったら酔いも加わってひっくり返っていたかもしれない。
さようならnoburinさん。
献杯! 音楽を聴かせながら醸造したという「しらささ」は辛口ですっきりした飲み口。ナスの皮に細かな切れ目を入れて松笠のようにしたものを軽く炒め、醤油出汁にひたし大根おろしを添えたものが熱々でとても美味しく酒にぴったりだった
ざるそばに夏野菜のてんぷらが付いた「夏御膳」を奮発
バスを降りて田んぼに差し掛かると真後ろに丹沢・大山の頂が顔をのぞかせている
大山の胸辺りまで見えた
ここにも忘れ草のヤブカンゾウ
オニユリも
実朝の首を埋めたと伝えられる首塚
オニユリの隣に咲いていたダリア
コメント一覧
heihoroku
高麗の犬
花咲かジジイ
ひろ
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事