平方録

身辺をつれずれに

真実は1つのはずなんだけどね

2017-07-11 06:42:06 | 随筆
一部始終を見ていたわけではないが、国会の一室に呼ばれた参考人が同じ空気を吸いながら質問に答える中身を聞き比べていると、真実の重さと真実を隠そうとする説明との間には、自ずと説得力に差が生じるものなのだということがよく分かった。

都議選の大敗を受けて、これはまずいと思った自民党が渋々応じた加計学園の獣医学部新設の経緯を審議する閉会中審査のテレビ中継。
参考人として出席した前文部科学事務次官は、これまでも主張してきた総理官邸の存在と前事務次官に直接指示を出した首相補佐官のさまざまな動き――を指摘して、文部科学行政がゆがめられた実態を証言した。
わけてもこの証言が重みをもつのは、前事務次官が大学設置の許可を出す組織の責任者であったことである。
実際に様々な風圧を受け、その間の経緯を知る当事者だったわけだから、これ以上の証言者は望むべくもないということになる。

そういう重要な役割を務めていた人物が、場所を変えて政府のやり方を告発する側に回ったのだから、政権側としては痛手である。
だから、これまで国会で証言させることを渋ってきたのだが、国民が怒っていることを否が応でも突き付けられたものだから、仕方なく閉会中審査の開催に応じたのだが、たったの1日だけである。
あとは「説明したではないか」と開き直るつもりだろうが、それで逃げ切れるものなのかどうか。

腹をくくっているであろう前事務次官の口調は冷静で、事の顛末を理路整然と説明するものだから、聞かされるわれわれ国民としては「あぁ、そういうことだったのか」と納得させられるのである。
うその証言や虚構の話が含まれているとは、とても思えない。
一方で文部科学省の担当である高等教育局長の証言は「記憶にない」とか極めて不誠実、かつ歯切れの悪いもので、政治の圧力がもろにこの気の弱そうな官僚に集中したことがうかがえる。
公務員というのは明治以降「公僕」と表現されているわけで、英語なら「パブリックサーバント」なのだが、国民の側に奉仕するという気持ちなんぞはきれいに消し飛んでいるようで、情けない限りというか、見ていて哀れである。

同様に「加計ありきという指摘は全くの虚構だ」と証言した国家戦略特区委員は国民の側に立った委員ではなく、政府の側に立った委員だったんだね。
得意然として自ら主張しているのだからこれ以上間違え要はない。

さらに度々名前が登場する官房副長官の証言も、自分の身は権力に守られているとでも高をくくっているのだろう。いや、権力そのもので、怖いものなどどこにもないのだと思っているかもしれない。
聞きようによっては高飛車で取り付く島もない証言に終始していたのは身に沁みついた体臭そのものなんだと思う。
自らが発する匂いというものは本人にはわからないもので、饐えた腐臭を辺りにまき散らして平然としている。

ま、ボクはもともと権威とか権力といったモノには距離を置く性格だから、その辺を割り引いたとしても、純粋で勤勉で正直で、なおかつ善良な性格の持ち主が大半を占める日本国民の多くだって、ボクに近い感想を抱いたんではないだろうか。

来月初めに内閣改造をして目先を変えることを目論んでいるようで、すでに閣僚名簿も出来上がっていて、入閣予定者が変なスキャンダルをぶら下げていたり、金にまつわる悪い評判がないかなど、いわゆる身体検査に万全を期すつもりのようだが、問題は身体検査などではなくもっと深いところにあって、今度ばかりはそう簡単ではないように思えるのだ。



わが家の庭でいつの間にかミソハギが咲き始めた




昨日今日と夜明け前から霧に包まれていて、日が昇るにつれて文字通り霧消するのだが、特に昨日はベランダに出ると体が濡れるほどだった。故に涼しい朝なのだ。(上が10日4:11AM。下は11日4:14AM)
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