子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

鍋の修繕屋さん(路地で)

2014年05月27日 | 中、高時代
路地には鍋の修繕屋さんも来ました。これは太平洋戦争の戦後のことです。
戦争中に家庭の金属製品まで供出させられたので陶器の鍋に変わっていました。

戦後アルマイトの鍋が多かった記憶があります。そして粗悪だったのです。
「鍋の修繕はありませんか。鍋の修繕します」と鍋の修繕屋さんが来ていました。

依頼があると、タタミ半畳(はんじょう)くらいのゴザを敷き仕事を始めます。
鉄道のレールを20センチくらい切ったような鉄の台を下に置き、その上に鍋を置きます。
鍋の穴(修繕はこの穴を塞ぐのです)に鋲(びょう)を詰め、金槌で叩いて塞ぎます。

鋲と言うのは頭に笠形の物が付いた釘です。凸の形を思ってください。
わが家の鍋はこれでいくつもの穴を塞いでいました。

この鍋の修繕屋さんのほかにも、ノコ(のこぎり)の目立て屋さんや包丁の研ぎ屋さんも路地には来ていました。

包丁研ぎ屋さんはいまはスーパーの駐車場に来るようです。きょう近くのスーパーで見ました。

子どもたちはどの商売も眼をいっぱい開けて見ていました。