子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

畳屋さん(路地で)

2014年05月16日 | 小学生時代
いまどきの家は畳がある部屋が少ないようです。そして畳を替えるときにも畳屋さんは自分のところで作業をして、出来上がった畳を持ってくるので注文主の家や路地で作業をすることはありません。

わたしの子どものころの畳屋さんは注文主の家の庭や路地で作業をしました。
畳1枚分の木組みの台を置きます。その上に古い方の畳を置き、畳表やヘリを替えます。その作業の手つきや道具が子どもにはたいへん魅力的でした。

道具は職人さんの手の届くところに置かれていました。針もいろいろあり、包丁も2種類あったと思います。
それらを手際よく使って畳表の裏返しをしたり、新しい畳表にしたりしていきます。
針も包丁も家で見るのとは違っていました。その珍しさ、包丁の切れ味、どれも珍しいことばかりでした。
邪魔にならない場所から瞬きもしないようにして見ていました。

部屋に畳を敷くときにも特別な鉤(かぎ)、先のまがったものを使い、上手に敷いていました。
このころは春と秋に大掃除の日がありました。各家庭で畳を外に干さなければなりませんでした。畳を上げるのはかねの火箸を畳の下に入れて持ち上げます。これには要領がいります(職人さんはかぎでひょいと上げます。慣れたものです)。1枚の畳をおっかさんかおとっつあんと抱えて出したり入れたりしていました。2人で持っても畳は重いです。
職人さんは軽々と持ち、上手に敷いていきます。感心して見ていました。

畳表は2度使うことも若い人はご存知ないかもしれませんね。
新しい畳表にして(このときのイグサの匂いはなんとも言えません。いい匂いです)それが日の光で焼けたりしたら裏返しして使います。1枚を表、裏と2度使うのです。

路地に畳屋さんは滅多に来ないので最初から最後まで飽かずに見ていたものです。