子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

たが屋さん(路地で)

2014年05月14日 | 小学生時代
路地はわたしたち子どもの遊び場でしたが商売の人がよく来るところでもありました。

「アサリ貝、アサリ貝」「とーふ 豆腐」「長洲の漬けアミ」などの売り声も聞こえて来ましたが、これらはわたしが高校生になってからだったでしょう。「長洲の漬けアミ」には注釈がいるでしょう。長洲は熊本県の長洲町のことです。金魚の養殖でも有名ですが、海岸部にある町です。そこで獲れたオキアミを加工して売りに来る人がいました。

これより前小学生のころの訪問商売です。
「箍(たが)屋、たが屋」天秤(てんびん)の片方に竹の輪をかけもう一方に道具箱をかけて路地に入ってくる人がありました。
桶の輪(たが)を替える人です。たが屋さんは落語にも登場します。ご存知の方も多いでしょう。

念のための説明です。おっかさんが日向水で行水していたタライは木でできていました。湯桶も肥たご(肥桶)も木製でした。そうそう、おっかさんがヤミ屋に転業してカモフラージュに使っていた蓋つきの桶も木製でした。

金物が普及する以前は木製の物が多かったです。

たが屋さんは注文がればそこでゴザを敷いて作業を始めました。竹を編むように桶の周りに回して締めていきます。
作業を見ながらわたしたちは待っていました。何を?どうして?


古い輪(たが)をもらうためです。これがまた遊びの道具になるのです。あとでは古自転車のリムをもらいましたが、それが手に入らない時代にはこの輪をもらって回したものです。子どもの輪回しの道具になりました。

たが屋さんはわたしたちが待っている職人さんでした。