1gの勇気

奥手な人の思考と試行

今年の抱負:素のコミュニケーション

2014-01-04 09:41:48 | 1gの思いつき
明けましておめでとうございます。
水神です。
二(ふた)月ばかり死んでおりましたが、一応今年を生きたまま迎えることになりました。

今年もよろしくお願いします。
あとはぼくがこれをかけるかどうかだな。
うん。すべてはぼくだ。

うんうん。
というわけで。
スタート。

今年はじめは、
素のコミュニケーション術。
という本から。

昨年はよう分からんまま死んでおり。
主に仕事方面で。
若干精神を病んでおりました。

もともと不安症(症状。病気ではない。ということにしておる。いわゆる症候群。シンドローム。)を
抱えてはおるのだが。
それに加えて鬱っぽい。っぽい。ので、医者に行っても診断書はもらえないレベル。

なにしろ、女の子がかわいく見えるのだから。
平気。
まだ平気。

が、かなり疲弊しておった。
不満もそーとー。
他者へも、我にも。

もっと言えば、会社。その先の社会に対してまでも。
社会まで行った時点で、要はいらいらしていたということに尽きる。
思い通りに行かないのは、イライラする。

そう。思い通りに行かないから、イライラする。
ジュースが飲みたい。
何ジュース?

んー、
ぽん。だな。
ないので、あとで買ってくるとして。

何にイライラしていたのか。
を考えると切なくなるので、何が違うのか。
どうあると楽しくなるのか。

孫正義 ‏@masason 29分
障害物に突き当たった時、それを嘆いてはならない。
それは成長の機会を提供してくれているのだから。

と、さっきTwitterでゆうておった。
うむうむ。
そうなのだ。ゆうてみれば、昨年のは単なる障害物。

ではなぜ、それで病む?
ひとつずーっと感じていたのは、やらされている感。
もっと言えば、自分の仕事でない感。

使命感もないし、他者愛も感じない。
ただ上から落ちてきた仕事をやらされてる。
それだけならよいが、無理な要求を突きつけられ、仕事が進んでないと文句を言われ。

むー。
むーむー。
と思いながら、端っこから片付けておった。

そらー、つまらんし、病むわな。
定時で終わるくらいの仕事なら、これも仕事だと割り切れるが。
毎日遅くまで。はの。ちとの。

で。
これについては。
休みに入り、自己解決。

要は。
さっきの孫さんの言葉の通り。
他人事。自分の仕事でない。と感じ、思うのも、自分。

これは成長の機会だ。と感じ、思うのも、自分。
要は考え方次第。
今思えば、思い通りに行かないことにすねていたのではないかとも思う。

病んでた。と言ってもいい。
自分の仕事ではないと思うことで、責任回避(他者に対してでなく、自分に対して)をしていた気もする。
というわけで。

これは自分の仕事である。
自分の仕事なのだから、自分でコントロールし、新しい発見をし、当然のことながら、成功裏に終わらせる。
完遂する。だけでは足りない。成功裏に終わらせる。

自分の仕事なら、当然そう思えるはずだし、いちいちこんなこと書くまでもない。
ことえりの変換のへたくそさにちと笑えておりますが、ちゃんと変換し直しておる今日この頃です。
えーっと。

なので、自分の仕事である。
そう考えるだけで、この辺はクリア。
お菓子食べたい。

高級なケーキでなくて、スーパーで売ってるクリーム入ったなんとかサンドとか、あっち系。
くたびれておるな。
糖分足りてないな。さっきのポンジュースといい。

ブラックコーヒーでなく、甘い缶コーヒーにしとくんだった。
というか、今からする。
あっためてくる。

自宅で缶コーヒーあっためる場合、ミルクパン(以上の鍋なら何でもいい。)に2-5mmくらい水をはって火にかける。
この際、ふた必須。ふたがないと蒸せないので。
ガスレンジの中火なら3-5分で熱々(ほんとに熱いです。100度コース。)になります。

これでは飲めないので、鍋に水をじゃーっと入れて、缶を水の中でころころ転がします。
あっという間に冷えます。ぬるくなると本末転倒なので、まだちと熱いな。くらいでやめにします。
ちなみに、ゆで卵も同じ要領でできます。ゆでるのではなく、蒸すので、水は数ミリでよいのです。

密閉性が高いふたがある場合、水が沸騰したら火を止めて10分くらいそのままにしとくと半熟卵になります。
ガス代もかからずお得。
というわけで、缶コーヒーあっためてくる。

甘いのが欲しいのは、風邪引いたからかも。
喉が腫れておる。
声が出ないほどではない。熱もない。が、若干体はだるい。

さて。缶コーヒーあっためている間に続ける。
で、仕事への向き合い方は、それでよいとして。
せっかくやるのだから、楽しまねばの。を思い出し。

もう一つ。
はじめに書いた、本の話。
コミュニケーション。

永遠のテーマだの。
このブログ書き始めた頃からずーっと悩みは尽きずにおるの。
前回の記事(二ヶ月前だった。しばし死んでた証。)でも同じことに悩んでいたの。

というか、同じことで疲れていた。
なぜか。
人には三種類ある。

話しやすい人。
話しにくい人。
話せない人。

話しやすい人と、そうでない人の差は何か。
周りからも、ぼくは極端である。とみられているらしい。
少なくとも、上司はそういっておった。

上司の言葉が100%正しいとは思わんが。
冗談くらいの真実味はあるだろう。
冗談はそこに真実が匂わなければ面白くない。

さて。
その違いは何だろう。
ぼくは話べたである。

思ったことを素直に言えない。
子供の頃、逆に思ったことをそのまま言って、友達を失ったことがある。
だから、思ったことをそのまま言ってはいけない。

これはぼくの信念である。
軸と言ってもいい。
あるいは、憲法か。

だから、しかたない。
うまくできないのは、この信念をベースとした性格だ。
そしてこの性格を間違っているとは思っていない。

ただ、生きにくいけど。
疲れるけど。
病むけど。

病む性格が正しいか?
そもそも。
ひとから逃げておったが。

逃げ切れなくなった。
というのは、二ヶ月前に書いた通り。
では、どうしたらよいか。

今のままでは、うまくできない。
変えねば。
仕事に対する考え方、捉え方を変えるように。

そんなことを思い。
実家に帰って、暇なこともあり。
本屋をうろうろ。

まあ、あることあること。
みんな悩んでいるのだの。
こんだけ性格だの考え方だのリーダー論だの。

の本があるってことは。
本どころかコーナーがある。
で、その中で。探し当てた本。

実際のところ買った時点では何となく、言い得て妙だ。
くらいな感じ。フィーリングが合った。くらい。
読んだのは、帰りの新幹線。大した分量もなく2時間かからずに読み終えました。

その本が、
素のコミュニケーション術。
なる本。

この本の要諦は、
コミュニケーション能力は鍛えるものではない。素の自分を出すことだ。
いろいろ、へ?って思い、斜に構えている読者の心をほぐす内容が続いております。が。要諦はこれ。

一応技術も書いてあります。
私が思うに。を枕詞につけるとか。
相手の要求を受け入れたくない場合、相手の欲求を認めて上で、「でも私は」と断る。

ものは言いよう。
なんかそっち系の本も別にあった気がしますが。
もののいい方本。

この本は、それは本筋ではなく。
素のコミュニケーション術。
コミュニケーションがうまくとれないのは、うまくできないのは、素を出していないからだ。

素を出せば、だれでもコミュニケーションはとれる。
思ったことをそのまま言えばいい。
思ったことを言わずにがまんして、周りにあわせるから疲れる。うまくできない。しまいにはキレる。

そう、思ったことをそのまま言えばいい。
ものは言いよう。
きちんと相手を気遣った言い方で、自分の素という名の筋を通す。

技術としての、大人な言い方。
これだけ身につければ、思ったことを思った通りにただ、言う。行動する。
で、ここで。さっき書いた、ぼくの信念・性格・憲法が崩れた。

あ。
ああ。
そういうこと。か。

子供の頃うまくできなかったトラウマ。
あれは、大人な言い方ができていなかった。他人を気遣った言い方ができなかった。
ただ自分のエゴ、欲求、欲望を言葉にしていただけだった。

自分の思ったことを言ってはいけない。
ずーっと、ずーっっっっっと。
そう思い込んでたし、それがこの世の真実だと思っていた。

が。
そんなことはなく。
コミュニケーションなんて、自分の思ったことの応酬、言い合い。

素の自分の思いを伝えることで、コミュニケーションが成り立つ。
素の自分の思いではなく、一般論を述べたところで、相手は???
しかも、素の自分の言葉ではないので、同じシチュエーションでも、違うことを言ってみたり。

相手は混乱。しまいにゃ怒り。
信用されなくなること請け合い。
で、疲れる。

なんで伝わらないんだと悩む。
そら、伝えてないからね。
伝わらんわな。

先回りは誤解の原因。
この本読んで何枚目から鱗が落ちたか分かりませんが。
その最たるものが、これ。

相手の言葉の文脈を読み、勝手に理解する。
それが間違っていることもあるし、
文脈が読めたのがうれしくて相手の言葉を遮り会話を取ってしまうこともある。

空気読めない水神としては、たまに文脈が読めるとうれしくなってしまうのです。
が。最近はたまにでもないの。
それなりに大人になったということか。

基礎能力の低さは経験で補える。
基礎能力の高い人には永遠に追いつけないが、日常生活を過ごせるくらいにはなれる。
この世を生きていくには十分な能力。

そう。もうぼくは、あの頃のぼくではなく、十分に経験を経て相応のコミュニケーション能力は持っておる。
ただ、素の自分を出せていない。
理由は怖いから。

ちと話は逸れるが、自分の要求を出せない理由が一つ分かった。
断られるのが怖いのだ。
まあ、ふつーですが。

ちと怖がり過ぎ。
自分は自分。
数多くの失恋から全面否定感は慣れておる。はずだが。

はて。
断られるのが怖いから、要求をしない。
要求しなければ、断られないから。逃げの一手。

でも。
ここで素のコミュニケーション術に戻るが。
素の要求をしなければ、相手はぼくが何を求めているのか、何が欲しいのか、何がしたいのか。

分からんの。
むしろ、これらのことを伝えることが、コミュニケーションのあるべき姿ではないか。
断るのもまた、相手の素のコミュニケーション。

コミュニケーションは一人でするものではない。
相手があってのこと。
自分の世界だけみていたのでは、コミュニケーションにならない。

相手の世界も同時にみねば。
もっと言えば、相手の世界に踏み込まねば。
それをみるのが怖い。

のも確かだが、そこは仕事の話と同じ。自分事として、興味を持ってのぞいてみる。
どこまでのぞけるかは、相手の心の開き方次第。
根掘り葉掘りではなく、素の自分を見せる事で、相手が開いてくれる心の程度しだい。

というのは、この本に書いてあったことです。
ぼくには、その発想はなかった。
空気が読めないコンプレックス。

がかなりぼくを支配していたというのを、この本で知る。
そもそも空気なんて読むもんでなくて作るもんだ。
自分の素を見せることで、その場の空気はできていくもの。

結果として、人が離れていくこともあるだろうし、逆によく分からん。
と思われていた人が、ぼくの素を知り近づいてくるかも知らん。
嫌われるくらいにならんと、好かれることもない。

人とかかわり合うことを決めた以上、この道はさけて通れん。
というわけで。
素でいきます。

これまでも、自分を飾るのは得意ではないので、素のつもりであったが。
素は素でも、その素を見せる人をごくごく近い人たちに限っておった。
ので、話しやすい人とそれ以外の人がいたのでしょう。

素を出せる人と素を見せない人。
の線引きがかなりきっちりあったと思われる。
誰にでも素を出せれば、この線引きはなくなる。

結果としてかなり外側からみたぼくの行動は変わると思います。
自分としては、単に素を出すことにしただけなのですが。
周囲の見方は様々に変化することでしょう。

ちょっとしたテクニックは必要ですが。
もののいい方。
これだけは、ちと再確認と練習を始めるつもりです。

ここまで、この原稿用紙(400字)で13枚分の文章を読みきった人は、きっと同じ悩みを多かれ少なかれ持っている。
と「私は」思ってます。
ので、素のコミニュケーション術。読んでみてください。きっと何枚か目から鱗が落ちることでしょう。

以上、今年の抱負でした。
たぶん、別記事で、一言二言にまとめます。
そうせんと、確実に忘れる。