*HEAVENLY SHEEP/徒然記*

管理人・伽澄綾の不定期更新日記。ただいま子育て奮闘中のため、更新鈍亀です…^^;

『五体満足』の幸せ

2006年08月23日 21時14分26秒 | 日常
今日朝起きたら左目の目蓋が腫れ上がっていて殆ど見えなくて、とてもビックリしました。
昨日か一昨日にコンタクト入れたとき恐ろしい痛みが走ったときがあったので(洗ったら治ったけど)、どうやらその時に傷がついたみたい…。
凍らせた保冷剤をハンカチに包んで眼帯にして、半日冷やしたら腫れはなんとか引きました。
コンタクト毎日してると、大体4・5ヶ月にいっぺんなるんだよね。
ここ数年はそれが嫌で休みの日は絶対眼鏡だったんだけど、免許を取ったら毎日着けるようになったからまた起きたみたい。
やっぱり裸眼が一番だよ…。視力は大事だ。

小学校のときに目に何かの破片が刺さって暫く眼帯生活して以降、何かが原因で片目だけ塞がると異常に怖くなるようになりました。
その時の傷があと少しずれていたら失明していたであろう事と、その時の、目を開けた時に世界が血で真っ赤に染まって何も見えなかった恐怖が未だに染み付いているようで。
なので片目だけでも怖い私にしてみたら、全盲の恐怖は底知れない。

今日はそんなことを考えてたらTVで子供がシュレッダーに手を挟まれて指無くしたニュースをやってて、色々余計に考え出しました。

視力がなくなるのも、指がなくなるのも、…今持っている体のどこが欠落してもやっぱり怖い。
目に怪我をした子供のころは何もわからなくて只泣くしか出来なかったけど、今同じことになったらと思うと身震いがする。
声帯を壊して全く声が出なくて、医者に「二度と声が出なくなるよ」と言われたときもとても恐怖だった。
学生の時母の友人が事故で5本の指を無くしたときも、恐怖で一週間はまともに眠れず、何度も自分の手指を見つめてた。
(その後数年、肉は食べるどころか見るのもキツかった)

心臓の発作があまりにもひどくて、もう駄目かな、と命を無くすことが頭を過ぎったときの方がよっぽど安らかで落ち着いて考えられた。

時々些細なことで思い出して、『五体満足』がどれほど幸せなのか考えます。

お舅さんが骨が折れて二度と自分の両足で立てなくなった時、どれほど恐怖に思ったのだろうかと今更ながら考えてしまいました。
脆くなってしまった骨は二度とくっつかず、ずっと車椅子だろうと思っていたお舅さんですが、リハビリや術後の順調な経過もあって(本当は駄目なんだけど)今は松葉杖一本でも移動できています。
たまに片足でぴょんぴょん跳ねて移動されるとさすがにビックリ&怖くなりますが、両足でないにしろ自分ひとりで自分の好きなように移動できるのが本当に嬉しいのでしょう。
あまりにも当たり前になっていて忘れかけていたけど、それが出来ること自体奇跡に近い状況なんだから、お舅さんのその行動は今幸せだと体現してるのかもしれない。

なんだか書いてて自分でもよくわからなくなってきた…。

とにかく今日は、今どこも欠落することなく『五体満足』に生きられている自分が凄く幸せなんだなと久しぶりに実感したということ。
そして何かを失って『今現在の自分が欠けてしまう』ことがとても恐ろしいと思ったこと。

私にとって
視力を失うことは今生きている世界の色や形がわからなくなる事
聴覚が無くなる事は音という標を無くす事
手を無くすることは今まで身に着けた技術を全て失う事
足を無くするという事は一人で前へ進めなくなる事
etc.etc...

それはなんとなくだけど、私を取り巻く、どちらかというと精神的な面での世界が崩壊してしまうことのような気がする。
どれかを無くしても、生きていく事はできる。
でも、生きたいと思う気持ちが無くなってしまう。

声はきっとなくなってもそんなに困らないけど、…でも私が人に一番『好き』と言って貰えた生まれ持ったものなので、やはり失いたくはない。
髪もそう。
声と髪は周りの人が私自身より好いてくれている分、失うのが怖い。

そしてそれが今までの人生で起きていたら、完全に今の私は存在しない。

書き連ねてみると、自分って凄く欲張りな気がしてきた…。
それだけ五体満足で生きてるって事がすばらしい事なんだろう。
両親に改めて感謝して、心がけて大事にしていかなくちゃいけないなぁ。

そんな事を真面目に考えて、一日締めくくりでした。

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