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御朱印蒐集~長等山園城寺 三井寺②~

2017-04-23 06:03:03 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 比叡山延暦寺の話になりますが、延暦寺の東塔エリアと西塔エリアの間を徒歩で歩いて行くと「山王院堂(法華鎮護山王院)」という千手観音を祀っている伽藍があります。
元は比叡山延暦寺の第5代座主の智証大師こと円珍の住房だったとされますが、円珍の死後に延暦寺と三井寺で紛争が起こり、円珍派の僧が円珍の木像を背負って三井寺へ移住したとの説明書きがあったのが記憶に残っています。

比叡山延暦寺には、第3代座主の円仁(慈覚大師)と第5代座主の円珍(智証大師:三井寺別当)の2派があったようですが、円珍の死後に両派は激しく対立して、円珍派は比叡山を降りて三井寺へ移ったと伝わります。
抗争の原因は、宗教上の相違か権力闘争なのかは知りませんが、比叡山衆徒による三井寺の焼き討ちは50回にも及ぶとされていますので、まるで「仁義なき戦い」のような話ですね。

 



しかし三井寺は50数回の焼失にも関わらず、その都度再建されて蘇ってきたのですから非常にエネルギーのある寺院と言えます。
今の世でも根っこは同じところにありながら、僅かな違いにより争いが起こることがありますから、人は中世から同じことを繰り返しているのかもしれませんね。



唐院といわれるエリアには大師堂・潅頂堂・三重塔が並ぶゾーンとなっていますが、残念ながら内部拝観は出来ないようです。
三重塔は、室町時代の建築物で1600年に徳川家康が伏見城から三井寺へ寄進したものだとされていますが、すっきりとその全景を観ることが出来る場所がないのは残念。
大師堂・潅頂堂はそれぞれ桃山時代の建築物として重要文化財指定を受けています。



さて、境内には三井寺の別所とされる微妙寺があり、開基は994年、本堂は1776年に再建された寺院といいます。
微妙寺は、水観寺・近松寺・尾蔵寺・常在寺と並んで、園城寺(三井寺)五別所の一つとされており、秘仏の「十一面観音立像」を本尊に祀っています。



微妙寺には「十一面観音立像」・「不動明王像」・「毘沙門天像」・「千手観音像」が安置されているのですが、重文指定の「十一面観音立像」は寺院には安置されておらず、向かいにある収蔵庫に安置されてありました。
さっそく収蔵庫へ行きましたが、屏風絵が多かったとはいえ、展示されていた仏像は素晴らしいものが多かったと思います。



平安時代に作られた十一面観音像は、スマートでモデル体型の十一面観音とは程遠く、あまり見たことのない独特のプロポーションに驚いてしまいました。
顔は大きく、寸胴で下半身が短く、ふくよかなというよりもでっぷりとした像には違和感と共に、妙に気持ちが引かれてしまう仏像です。


ポストカード

収蔵庫には他にもやや反り返った姿勢で立つ「吉祥天立像」(鎌倉時代・重文)や、半跏の姿勢で幼児を抱く「訶梨帝母倚像」(鎌倉時代・重文)などの仏像が並びます。
迫力があったのは掛け軸になっていた「不動明王二童子像」(鎌倉時代・重文)。絵の全体に広がる炎の赤々さが印象に残ります。


ポストカード

三井寺は「西国三十三箇所観音霊場」の第十四番礼所となっており、境内の一番奥にある「観音堂」が三十三ヶ所巡礼の札所となります。
ご本尊は「如意輪観音坐像」ですが、特別開帳の時期にだけ拝観できる平安時代作の一面六臂の像で、この日は残念ながら拝観叶わずでした。
趣のある石段を登っていった先には1686年の火災の後の1689年に再建されたという観音堂がありました。





ここは観音巡礼の地ということもあって巡礼装束の方の姿をチラチラと見かけます。
観音堂の外陣の拝所は、いかにも巡礼の寺院らしい雰囲気が漂っているのが嬉しいところ。



境内を歩いて戻ってくると「百体堂」がありました。
「坂東三十三箇所」(関東を中心とした三十三観音霊場)、「秩父三十四箇所」(埼玉県秩父地方の三十四観音霊場)に「西国三十三箇所」と合わせて百体の各寺院の本尊が祀られているそうです。
札所巡礼を一つの寺院で簡略的に行えるようになっている寺院はあちこちにありますから、その信仰によるものと思われますが、江戸時代の1753年に建てられた建築物ですから簡易巡礼の魁となった堂宇の一つかもしれません。



百体堂の横には「観月舞台」があり、月見の絶好の場所といいます。
こので月見をするとしたら、“春の桜”・“秋の紅葉”のライトアップの季節になるのでしょうか。舞台に登れたかどうかは記憶にありませんけど...。



最後に参拝した水観寺は、微妙寺同様に三井寺の五別所寺院のひとつとされ、開基は1028年で本堂は1655年に再建された建築物だとされます。
本尊は「薬師如来像」で脇侍に「日光・月光菩薩像」が安置され、左右で「十二神将」が薬師如来を守護しています。



ところで、三井寺は大津絵の地元に当たることから、境内や周辺で大津絵を見かけます。
大津絵はこれまで絵面は見ただけでしたが、じっくり見てみるとなかなか面白そうです。大津絵は元々は江戸時代に仏画として描かれたそうですが、世俗画や風刺画へと変わっていったようですね。
また大津絵は大津絵10種として定型があって、それぞれ護符としての意味を持ち、効用があるようです。

 

左は「鬼の寒念佛」といい、魔を祓う護符であるとともに“慈悲ある姿とは裏腹な偽善者を諷刺”した絵だそうです。
右は「雷公の太鼓釣」といい、雷除けの護符であるとともに“どんな熟達者でも時に失敗することもある”という意味が込められているようです。
今回は大津絵博物館へは立ち寄ることは出来ませんでしたが、一度ゆっくりと大津絵を見てみたいと興味が湧いてきます。



三井寺の観音堂からの石段をどんどん降りていくと長等神社がありますので、こちらにも参拝してきました。
天智天皇が近江大津京へ遷都した際に都の鎮護として祀られたことを起源として、円珍が園城寺の守り神として祀ったと伝わる神社で、楼門の美しさが魅力的な神社です。



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