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「繖山」北腰越登山口~繖山~近江風土記の丘を歩く!

2022-11-30 17:21:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「繖山」は西国三十三所の第三十二番札所・観音正寺や佐々木六角氏の居城だった「観音寺城址」がある山で、標高は432.5mの低山ながらJR駅では安土駅と能登川駅にまたがる横に長い山です。
近江八幡市から東近江市、竜王町の平野部には登りやすい低山が点在しており、神社仏閣や史跡が集中していることもあって、足を運ぶ機会が多く馴染みのある地となっています。

繖山へは過去に虫食い登山のように登ってきており、いつかは縦走してみたい山ですが、今回も安土町側から山頂と観音寺城址へのピストンで登ることにしました。
この日、繖山を選んだのは購入したばかりのミッドカットの登山靴の慣らし歩行を兼ねてということで、木段をひたすら登る繖山での歩き心地を確認です。



「滋賀県立安土城考古博物館」の駐車場に車を停めて、「近江風土記の丘」の石碑までのロード歩きが約15分少々。
「近江風土記の丘」は、安土城跡・大中の湖南遺跡・瓢箪山古墳・観音寺城跡・博物館からなる広大な歴史公園となっており、石碑からわずかな距離の所に北腰越登山口から山登り開始です。



繖山はどこから登っても木段の登りばかりの印象を持っていますが、このコースから山頂までも基本的には木段の登りが約1時間ほど続きます。
勾配の急な場所が多いので、木段がなければ登るのは困難な場所もありますので、きっちりと整備されているのはありがたいものの、中々にシンドイ山でもあります。



しばらく登ると「子授け地蔵尊」の鳥居があり、石の祠には2躰の地蔵石仏がそれぞれ祀られています。
子供を授かることを願う人々がここまで登ってきて願をかけられた場所なのでしょう。
幾重にも前掛けを重ねている姿からはお地蔵さんをお祀りする方々の信仰の姿が伺われます。



左のお地蔵さんが元々からの石仏で、右のお地蔵さんは新しそうに見えるため、後から奉納されたのかと思います。
お地蔵さんの後上部にも石の祠があるが、中には何もお祀りされておらず、なぜか「海上安全」と彫られた台座がある。
海上とは湖上のことだと思いますが、繖山の西側には干拓前までは琵琶湖まで続く内湖が広がっていたことを考えると琵琶湖や内湖での水運の安全を祈願していた歴史があったことは決して不思議なことではありません。



しばらく登っていくと西国三十三所札所の御本尊の石仏があり、気が付いたのは第30番札所の竹生島・宝厳寺の「千手千眼観世音菩薩」からでした。
西国観音霊場巡礼の石仏巡りが勧請されている所を時々見かけますが、繖山にも巡礼道があるようです。



一際目を引いたのは第29番札所・松尾寺の馬頭観世音菩薩の石仏でした。
石組の上に祀られており、見た中ではここが一番立派なものとなっており、観音巡礼は華厳寺から青岸渡寺へと向かっているようです。
結局、第26番札所の一乗寺までは確認出来たのですが、その後は見つけられなかったので分岐から別の道に石仏は続いていたのでしょう。



更に上を目指して登っていくと磐座のような巨石の横を通り抜けることになります。
ここから先は大きな岩を見ることが多くなりますが、繖山の北側の峰の猪子山の辺りは岩石信仰が盛んな山ですし、桑実寺へと続く道には“瑠璃石”があり、隣の赤神山には太郎坊宮がある巨石の多い一帯です。



視界の広がった場所からは手前に安土山と西の湖、その奥には西国三十三所第三十一番札所の長命寺のある長命寺山や奥津山。
琵琶湖を挟んで対岸に霞んで見えるは比良山系でしょうか。ややガスっていますが、心休まる湖東の風景です。



分岐から三角点までの急坂を登りきると繖山の山頂です。
さほど広い場所ではありませんが、山頂ということもあって風通しが良く、一汗かいた体が冷えそうでしたのでジャケットを羽織って体を暖める。



山頂は周辺に低木が茂っていて眺望はないが、岩場があるのでちょっと腰かけて休憩するにはいい場所です。
繖山は標高432.5mの低山ですが、西国三十三所札所の「観音正寺」や「桑実寺」、「石馬寺」「教林坊」などの有名寺院は始めとする神社仏閣が点在する霊山でもあります。





木段の横には繖山の二等三角点があります。
以前は三角点に関心を示しませんでしたが、最近はチェックするようにしています。山頂まで登った証でもありますしね。



繖山の山中には何ヶ所も下山道がありますが、車のある安土側に戻らなければなりませんので、「観音寺城址」まで行って折り返して下山することにします。
「観音寺城址」は近江国守護佐々木六角氏の居城跡で南北朝期に砦として始まったといい、応人の乱では3度の観音寺城の攻城戦があり、戦国時代には郭に石垣をめぐらすなどして城の守りを増強したといいます。

観音寺城は「日本五大山城」とも呼ばれた城でしたが、織田信長が足利義昭を擁して上洛の際に敵対し、形勢不利となると観音寺城を開城して逃亡したといいます。
この戦の後、六角氏は没落して歴史の舞台から消えることになり、観音寺城は廃城となって現在は史跡として残るのみとなる。



滋賀県には中近世にかけて1300を超える城郭が築かれたといいます。
都のあった京都に近く、東日本や日本海側からの通路であり琵琶湖の水運もあったことから俗にいう“近江を制する者は天下を制す”の時代に戦が絶えなかった影響かと思います。

上の写真は「伝平井丸の虎口」とされる場所で巨石が積まれた見応えのある石塁です。
「大石垣」の上の郭ところまで降りていくと、巨石がいくつも点在しています。
前回訪れた時に、道を間違えて巨石の横の崖をズルズルと滑りながら降りたのが記憶に残る。



巨石の中で名前が付いているのは「女郎岩」。
女郎の立ち姿に似ているので付いた名前なのかも知れないが、昔のお女郎さんはこんな立ち姿だったのかな。



「大石垣」は道沿いに下っていくと、その全貌を見ることが出来ます。
石垣の下は「近江八幡市 豊かな杜づくり隊」の方々が木々の伐採や整備をされておられ、かつては大石垣が麓からはっきり見えたのに、里山の荒廃で見えなくなり一時期は存在すら忘れられていたそうです。
今は大石垣の周囲を周回出来るようになり、観音寺城址の見所のひとつなっていて、戦国時代に敵の動きを察知できた頃の状態に戻ってきています。



大石垣の上から眺める湖東平野の光景です。
ここから見えるのは箕作山、雪野山、鏡山とその奥には近江富士こと三上山。さらに奥は鈴鹿山系でしょうか。



下山道は途中から道を変更して「安土城考古博物館」方向から周回コースで下山してみます。
道中に見かけたのはコウヤボウキの花とアキノキリンソウの花。
紅葉の季節になっても秋の花は可憐に咲いています。



そして無事下山完了。
なんと「滋賀県立安土城考古博物館」のすぐ横に出てきました。
行きの登山口までのロード歩きは何だったんだろうと思いましたが、別の道を行くから見えるものあると思いますので周回するのは正解です。





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