僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

『ときどき、日本とインドネシア』~ボーダレス・ア-ト、ミュージアムNO-MA~

2019-04-18 06:20:20 | アート・ライブ・読書
 2018年10月にインドネシアで障害のある人を中心とした大規模なイベント「フェスティバル・ベバス・バタス」が企画され、その一環として日本のアール・ブリュット作品による展覧会「ときどき TOKIDOKI―日本のアール・ブリュットinインドネシア―」が開催されたそうです。
その時のインドネシアでの企画展に出品した日本の8名の作家とインドネシアの3名の作家の作品が、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAで「ときどき、日本とインドネシア」展として開催されています。



NO-MA美術館にはインドネシアでの展覧会が開かれたインドネシア国立美術館などでの展示風景の写真が数多く展示されているなど、いつものNO-MAとは随分と違った雰囲気に変わっていました。
これまでのNO-MAの入口は入ったところに受付やショップがありましたが、レイアウトが変更されて真っ赤なボードが置かれているなど、イメージが全く違います。



1階に展示されているのは日本の作家。2階にはインドネシアの作家と日本の作家の作品が展示されてありました。
もちろん蔵での作品展示もあります。

最初の作品は戸來貴則さんの「にっき」という作品で、幾何学模様に見えてしまいますが、これは文字で彼の日記なんだという。
B5の紙に文字として描かれた作品は積み上げられて紐で綴じられていたといい、施設の女性職員によって発見されて、1枚ずつめくり始められたそうです。
まさに作品を意図せず、自分の言葉(文字)で綴った日記になるのですが、彼は何かを伝えるというより、日々何かを記録しているという印象を受けます。





佐藤朱美さんは18歳の時に病気によって仕事を辞めざるを得なくなり、社会の中での自分の存在意義を見失ったといいます。
母の勧めで絵を描くようになってからは、創作行為を生きるための行為と捉え、現在は自宅のアトリエスペースで毎日朝から夕方まで創作に向かっておられるそうです。

作品はポップで明るい作品が多く、自身のTWitterでは作品の創作過程を公開しておられます。
4枚の展示がありましたが、下は「楽園」と「ゾウガメと一緒に」という作品です。



「ゾウガメと一緒に」を拡大して見ると様々なモチーフが綺麗な色彩で描かれているのが分かります。
佐藤さんは、配色は“考える”のではなく、“頭の中に見えてくるイメージに従って描いている”といわれています。



少し前に湖南市の甲西文化ホールで開催された「表現する日々-アールブリュット展-」にも展示されて木村茜さんは、今回は12点の作品を出品されています。
1枚の絵は2~3分で一気に描きあげるといいますが、作品を見ている内にどんどんと引き込まれていく作品を創られます。

木村茜さんの作品をアブストラクトな絵と呼ぶことも出来ないことはないですが、理念ガチガチで難解なアブストラクト・アートとは違うのは、解説にあるように作品を創造する行為への陶酔なのでしょう。
絵にはそれぞれ独特のタイトルが付いており、それは彼女にとって身近な物であり、気になる物なのかもしれません。
(絵は左上から「ピンポン」「下駄」「風船」、右上から「うちわ」「スカート」「注射」で、残りの6枚は全て「お線香花火」)





異常なまでの迫力のあった作品は1階の中央の柱の4面に展示されていた岩崎司さんの作品です。
岩崎さんは55歳で精神を病んで入院生活を送るようになるまでは、魚屋を営み、39歳からは市会議員を務めておられた方と説明文にあります。

岩崎さんは長年、短歌をたしなんできたといい、作品は絵と言葉が合体した独特の迫力を醸し出します。
浮世絵のような富士山や風景の絵もありましたが、キリスト教をイメージさせる絵には抑圧や救済をイメージさせる鮮烈な衝撃があります。
1928年生まれの岩崎さんは戦前・戦中・戦後を生き抜き、バブルの足音が近づいてくる頃に精神を病まれたということになります。





三橋精樹さんの作品は全て「記憶」を基にして描いているといいます。
5歳の頃の記憶から若い頃に見た風景、テレビ番組にいたるまで記憶の光景を描かれているそうです。

面白いのは絵の裏にカタカナとひらがなで絵について語られてる文章です。
  コレハアキノゆうぐれの山とちうぶしま
  ゆうがたのひのくれのちゅぶましま 10月おわまえのびわこ
    びわこゆうひがしずむころ やまがむらさきにみえている

文章は下記に読み取れます。
  これは秋の夕暮れの山と竹生島 
  夕方の日の暮れの竹生島 10月終わる前の琵琶湖
    琵琶湖夕日が沈む頃 山が紫に見えている



今回の企画展ではインドネシアのアフマッド・ヤニさんの作品を含めて、文字や独特の言語による作品が幾つか紹介されていましたが、吉沢建さんのノート(無題)はその最たるものでした。
街に出ると自作のノートを取り出して何やら書き始められるといます。

1冊のノートを書き尽くすとセロハンテープで開かないように封印してしまうそうです。
幾つかの文字(単語)は読み取れるものの、その独特の言語は彼にしか読み取れないものです。



蔵の中での美術展では北澤潤さんの「ひとときのミュージアム」はインドネシアの即興的な文化(風が吹けば空に凧をあげる等)に着目して、空を誰もが自らを表現することを可能にするミュージアムに変えることを企てた方です。
『ときどき、日本とインドネシア』展では日本・インドネシアの作家が紹介されていますが、北澤さんは世界的に活躍されている美術家で、今回はパートナーアーティストとしての参加でです。





アールブリュット作品を観る時に心がけているのは“障がい者の造った作品”として観ない事。
作為なく造った作品が観る方の感性に響く。ということなのだと思います。

  
コメント
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