僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~滋賀県甲賀市 龍護山 大池寺~

2019-04-10 18:18:18 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の甲賀市には「甲賀三大佛」と呼ばれる丈六仏をそれぞれ祀る寺院があり、その3躰は「櫟野寺の薬師如来坐像」、「十楽寺の阿弥陀如来坐像」と今回参拝した「大池寺の釈迦如来坐像」になります。
大池寺は三大佛の寺院としてよりも、枯山水の「蓬莱庭園」のサツキの大刈り込みを鑑賞に来られる方も多いようですが、見応えのある庭園と「丈六の釈迦如来坐像」の両方に出会える稀有な寺院だと思います。

大池寺は天平時代の742年、行基がこの地へ訪れた際、日照りに悩む農民のために灌漑用水として漢字の「心」の字の形に4つの池を掘ったと伝わります。
行基は池の中心となる場所に一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦如来坐像」を安置して、邯鄲山青蓮寺を建立したとされます。



寺院は七堂伽藍を備える天台宗寺院となったようですが、戦国時代(1577年)に織田信長と六角承禎の兵火によって境内全域が焼失してしまったといいます。
江戸時代の1667年になると、京都妙心寺の丈巌慈航禅師によって「龍護山大池寺」として再興され、臨済宗妙心寺派の寺院となったと寺歴にありました。



復興にあたり尽力したのは“後水尾天皇・伊達宗房・織田正信”だとされ、特に織田正信は多くの寄進をしたといいます。
この正信は織田信長の甥にあたる人物で、青蓮寺を焼失させた信長の甥が再興した大池寺の開基になっているという何とも不思議な巡り合わせになっています。
大池寺の寺紋は、織田家の家紋である「織田モッコウ」になっているのも興味深い話ですね。



大池寺のある甲賀市水口町は国道1号線沿いにスーパーやチェーン店が店舗を連ねる繁華な町になっていますが、国道から離れて住宅街を抜けた場所にある大池寺は、実に静かな寺院です。
寺院を最初に見た印象は、新しい感じがしてよく整備されているように見えました。
それは龍巌月泉和尚が1937年に住山するまでは無住の寺院だった時代があり、近年になって大改修・修理を行って整備されたことによるものでしょう。



山門を抜けた境内には「鐘楼」「稲荷堂」「弁天堂」が祀られ、「佛足石堂」には「仏足石」が祀られています。



「韋駄天」と「大黒天」の祀られた「庫裡」に入ると、御住職の方に中へ案内されて、まず寺院の説明と案内ビデオを見ます。
仏壇には名仏師・服部俊慶の「薬師如来像」が祀られ、窓の外には後方の山を借景とする庭。
ただしこの庫裡にある庭は小堀遠州の作ではないとのことでした。

書院へと案内されると、そこには小堀遠州が造園したと伝わる「枯山水蓬莱庭園」の絶景が広がります。
さほど奥行はない庭園ではあるものの、山を借景としているため、非常に奥行のある庭園に見えるのが不思議です。



サツキの大刈り込みが印象的な庭ですが、“白砂の水面上に大波小波を大刈り込みを表現し、中央の宝船は七宝と七福神を象徴する”とあります。
書院の中に季節ごとの蓬莱庭園の写真が展示されていましたが、「春のサツキ」「夏の青葉」など見応えのある庭園だと思います。
個人的には窓が開放され、夏の青々としたサツキが広がる蓬莱庭園が魅力的に思えます。



庭の右側に配置されているのは「亀島」。
もう一つある「蓬莱山庭園」には鶴を表現した松がありますので、書院の両側に造園された庭に鶴亀が配置されていることになります。



ではここで抹茶と和菓子で一服とさせていただきます、物音一つしない静寂の部屋で庭園を眺めながらのお茶の時間は実に贅沢な時間です。
和菓子は、和三盆(高級和菓子に使われる上等の砂糖)で作られた干菓子で、これが実に美味しい。こんな美味しい干菓子は始めていただきましたよ。



和三盆の干菓子は「水口城」を形どったものと、水口の代表的な祭りの「水口曳山祭の曳山」を形どったものの2種類で、甘いのだけれどとても上品な甘さの干菓子でした。
水口は古くは京と伊勢をつなぐ参宮道であり、水口藩を要する東海道五十三次の50番目の宿場というこもあり、曳山などの文化が発展したのでしょう。



さて、庭園でリラックスした後は書院の反対にある「蓬莱山庭園」へと移動します。
「土蔵」へとつながる飛び石の左に鶴を象徴する松があります。





大池寺の素晴らしいところは、見事な庭園を鑑賞して堪能し、とっておきの如く最後にお参りする「仏殿」の「釈迦如来坐像」という贅沢な拝観コースでしょうか。
仏殿に入った瞬間思わず“あっ!”と声が出てしまうほどの大きな仏像には圧倒されてしまいます。



釈迦如来坐像は天平時代に行基によって彫られたと伝わる8尺(約3m)で、天正時代の兵火によって境内全域が焼失した時に仏像のみが焼け残ったという逸話があります。
仏像はその後、約90年間風雨にさらされて草庵に安置されていたのを、京都妙心寺の丈巌慈航禅師が見て大池寺の再建を決意したとされます。





須弥壇の裏側へと回ってみると使い込まれた版木がありました。
叩かれている部分が読み取れませんが、元は何と書かれていたかを調べると「生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人」と書かれているようです。
禅の修行者の心がける事とも云われるこの禅語には禅の教えを伝えるものとして有名な言葉だとされます。



大池寺の庭園はもう一つあって、それは山門を出た場所にある「回遊式琵琶湖庭園」という琵琶湖を形どった庭園です。
この写真の位置は琵琶湖の北部から南部を見る場所で、手前が長浜市北部くらいになり、左上にあるのは瀬田大橋でしょうか。竹生島・沖島・多景島もありますね。



最後に大池寺の名前の由来になっている行基が作ったという池へ立ち寄ります。
グーグル地図で検索すると確かに「心」の漢字の形に見えるのが面白い。
周辺は「名坂大池寺自然公園」となっており、下は「心」の字の2画目にあたる弁天池で、池の中央には「弁天池の沈み鳥居」がありました。





庭園あり・干菓子あり、大仏ありでゆったりとした時間を過ごすことが出来た大池寺でしたが、サツキのシーズンになると拝観者が殺到する寺院でもあるようです。
庫裡にある下駄箱には観光バスの○号車などの張り紙が標示されていましたので、大混雑になる時があるのでしょう。
ゆっくりと寺院参拝がしたい時は、季節を外して行くのも一つの手ですね。


コメント
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