僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都府 宮津市 成相山 成相寺~

2018-06-07 20:02:02 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 西国三十三所巡礼寺院を少しづつ巡っているのですが、遠方の札所への巡礼はなかなか行く機会がありません。
特に第6番~8番札所(奈良県)、第2番~5番札所(和歌山県北西部・大阪府南西部部)、第25~27番(兵庫県)は距離があるため、出来れば旅行を兼ねて一泊したいような場所にあります。

現在まで33所の寺院の内、まだ半分近くしか参拝出来ていないのですけど、こればかりは縁があった時に少しづつ巡るしかないようです。
西国28番札所の「成相山 成相寺」は西国札所最北端に位置する寺院で、日本海にせり出した奥丹後半島(与謝半島)の高台にありました。



晴天の下、眼下に日本三景・天橋立を望み、訪れた時にはシャクナゲの花が満開を迎えようとしている頃でもあり、穏やかで気持ちの良い参拝でした。
入山した時には白衣(おいずる)に身を固めた大勢の巡礼者のグループにも会い、巡礼寺院に来た実感が湧いてきます。



駅を利用された方はケーブルカーかリフトで笠松公園まで上がり、登山バスを使って停留場まで登って来られますので、成相寺は難所にある寺院と言えます。
車でも山道を10分ほど登って行くことになりますが、急な坂が多いためギアをローに落として緊張しながら坂道を運転することになります。
駐車場は本堂近くにありますので、一旦石段を降りて、下にある山門から入り直しすことにします。



山門には阿吽の金剛力士像が寺院を守護しており、火灯窓越しに睨みを効かせています。
仁王様は2m80cmの堂々たる風格の像ですが、製作年代はよく分かりません。

仁王像は昭和59年に解体修理された際に体内より修理銘文が発見されたようで、修理銘文には文政11年(1829年)・貞享5年(1688年)とあるようです。
眼には玉眼がはめられていますから、鎌倉以降の仁王像になるのでしょうけど、詳細は不明です。





山門を抜けて“奇妙な話の底なし沼”と名付けられた不気味な池を通り抜けた場所に五重塔が建てられていました。
五重塔は鎌倉時代の形式をそのままに復元したとされる塔ですが、復元されたのは1988年と真新し感はいとめません。





ところで、成相寺の鐘楼には悲しい歴史が伝わります。
この楼門に納められた梵鐘は「撞かずの鐘」と呼ばれていて、撞かれることのない鐘だそうです。

1609年、鋳造のため近郷近在から寄付を集めたところ、1軒だけ金を出さない家があったそうです。
その家の女房は「子供はたくさんおるがお寺へ寄付する金はない」とつれなく断ったそうですが、鐘鋳造の際に誤って銅湯の中へ乳呑み子を落としてしまったとされます。
出来上がった鐘を撞くと美しい音色の中に“子供の泣き声”“母親を呼ぶ声”が聞こえ、あまりの哀れさに子供の成仏を願って鐘を撞くことをやめたと伝わります。



本堂へ上がる石段の横には「一願一言地蔵」と「西国巡礼堂」が並びます。

「一願一言地蔵」は、この地蔵石仏に唯一願を一言でお願いすれば必ず叶えて下さるという御利益があるそうです。
約620年前に創られた石仏と書かれてありましたから、おおよそ1400年頃になり、室町時代の石仏のようです。



地蔵さんの後方には「西国巡礼堂」が建てられており、中には西国三十三霊場の御本尊(レプリカ)が安置されていました。
このお堂へ参拝すると三十三ヶ所霊場巡礼と同様の功徳・御利益があるとされますが、やはり実際の霊場巡礼を優先したいところです。
新しく金々した仏像の中心に安置されているのは、成相寺の御本尊の聖観音菩薩に見立てた仏像なのでしょう。





さて、いよいよ本堂の前まで来られましたので、まずは手水舎で身を清めます。
勢いよく吐水する龍の水を貯めているのは「鉄湯船」と呼ばれる湯船です。

鎌倉時代の1290年に鋳造され、かつては成相寺の湯船(かかり湯)として使用されていたもので、重要文化財に指定されているものです。
この湯船は、薬湯を沸かして怪我や病気の人の治療にあてたと伝えられているそうですが、現在も手水舎に置かれて現役なのは見上げたものです。
重要文化財を手水に使う贅沢さにも恐れ入りますね。



本堂は1774年に建てられたもので、屋根は葺き替えられていますが、建物本体は年月を感じさせる古寺感に溢れています。
もともとは現在地よりさらに山の上に建てられていたもので、林道を進むと確かに本堂跡地の看板があり、修験の道場であったことが伺い知れます。





成相寺では嬉しいことに外陣だけでなく内陣まで入ることが出来ます。
しかも内陣では御本尊こそ33年に一度の御開帳の秘仏ですが、お前立ちは須弥壇のすぐ前まで入って拝むことができました。



内陣に祀られた仏像は大変素晴らしく、左の脇陣には「天燈鬼の赤鬼」、重要文化財の「地蔵菩薩坐像(平安期)」が並びます。
本陣には南に「増長」、東に「持國」、西に「広目」、北に「多聞」の四天王が守護する中央に厨子があり、お前立ちの「聖観音立像」が安置されています。

右の脇陣には「十一面千手観音立像(十一面四十二臂)」と「天燈鬼の青鬼」。
特に「十一面千手観音」は製作期などは分らないものの、実に見事な仏像で感激の出会いとなりました。

他にも「阿弥陀如来立像」と「文殊観音菩薩像」が祀られており、仏像の多い寺院でした。
仏像は、最初から成相寺に祀られていたというより、廃寺になった寺院にあったものかもしれませんね。



本堂内は撮影禁止ですが、左甚五郎作と伝わる「真向きの龍」だけは撮影可能でした。
左甚五郎は伝説的で逸話の多い職人とされており、謎の多い方のようですが、正面を向いた珍しい龍のバランスの良さは見事なものだと思います。

寺院の境内には成相寺に現存する最古の建築物の「熊野権現社」があります。
成相寺の鎮守堂は1676年に上棟された建築物だとされ神仏習合の名残りとなっています。



「十王堂」は新しい建築物のようですが、中には「閻魔大王」と「孔雀明王」が安置されていました。
「賓頭盧尊者」も祀られておりましたので、かつてどこに祀られていた仏像なのか気になるところです。





成相山(569m)は、山岳宗教の修験場として信仰を集めていた聖地で、寺院の創建としては704年に文武天皇の勅願寺として開基されたのが始まりとされます。
高野山真言宗の寺院として続いていたようですが、現在は橋立真言宗として単立宗派となっているようです。
境内には最近のものらしいものも含めて石仏や石塔があり、独特の空間がありましたが、時代とともに更に増えてくるのかもしれませんね。



成相寺の林道は成相寺のある場所からさらに上へ続いていて、標高470mの地点にある「成相山パノラマ展望台」から天気が良ければ天橋立が一望出来きます。
また空気が澄んでいれば能登半島や白山まで見渡すことが出来るらしく、季節によっては雲海を見下ろすことも出来る展望台だそうです。


コメント
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