震災後、東電が計画停電の問い合わせ先が電話番号だけだったことに対し、全難聴はファックス番号の公開を要求して実現させたことがあった。
問い合わせ電話番号にファックス番号が入るというのは画期的だ。
聴覚障害者は理解頂けると思うが、聴覚障害者は電話番号を見て拒絶反応というか、自分が社会から阻害されていると感じる。
役所の広報であろうがスーパーのちらしだろうが病院の看板だろうが電話番号しかなければ自分はこれは関係ない、関わることのできないよその世界のものと感じている。単なる電話が出来ないという不便さを越えたものだ。
聞こえる人にとって、電話番号が書いてあれば何時でも問い合わせできる、情報が得られる、自分にメリットがあるかないかを確認が出来るという気持ちがあるだろう。
電話番号を公開する側にすると、世界中の誰からも電話を受けることが出来る、電話があるかも知れないという意識を持つのではないか。
しかも、電話は匿名性があるので電話を切れば関係が終わるという特性がある。
障害を持たない人間は誰でも出来、豊かな情報を持つ音声コミュニケーションが出来るのだ。だからラブコールからビジネスにも利用されている。
人工内耳で電話ができるようになってから、それでも聞こえるかどうか心配でハラハラしながら電話するが、どんな相手か分からない、どこにいるか分からないけれども電話すれば連絡が取れる。ユニバーサルな世界と感じる。
しかも双方向でリアルタイムで進むことがメールやファックスと決定的に違う。
ファックス番号の公開から電話リレーサービスの実現を図らねばならない。
ラビット 記
問い合わせ電話番号にファックス番号が入るというのは画期的だ。
聴覚障害者は理解頂けると思うが、聴覚障害者は電話番号を見て拒絶反応というか、自分が社会から阻害されていると感じる。
役所の広報であろうがスーパーのちらしだろうが病院の看板だろうが電話番号しかなければ自分はこれは関係ない、関わることのできないよその世界のものと感じている。単なる電話が出来ないという不便さを越えたものだ。
聞こえる人にとって、電話番号が書いてあれば何時でも問い合わせできる、情報が得られる、自分にメリットがあるかないかを確認が出来るという気持ちがあるだろう。
電話番号を公開する側にすると、世界中の誰からも電話を受けることが出来る、電話があるかも知れないという意識を持つのではないか。
しかも、電話は匿名性があるので電話を切れば関係が終わるという特性がある。
障害を持たない人間は誰でも出来、豊かな情報を持つ音声コミュニケーションが出来るのだ。だからラブコールからビジネスにも利用されている。
人工内耳で電話ができるようになってから、それでも聞こえるかどうか心配でハラハラしながら電話するが、どんな相手か分からない、どこにいるか分からないけれども電話すれば連絡が取れる。ユニバーサルな世界と感じる。
しかも双方向でリアルタイムで進むことがメールやファックスと決定的に違う。
ファックス番号の公開から電話リレーサービスの実現を図らねばならない。
ラビット 記