はなバルーンblog

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映画『ドラえもん のび太の人魚大海戦』感想

2010-03-16 23:43:37 | アニメドラ感想
 先日、ドラえもん映画の新作『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を観てきた。
 今回は、短編原作をベースにしたオリジナル作品であり、この手法で制作された作品は、アニメドラのリニューアル後に限ると2008年の『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』に続く2作目となる。

 最近のドラ映画は、2008年の『緑の巨人伝』は後半が意味不明の展開、昨年の『新 宇宙開拓史』は原作と登場人物がひどく改悪されていたと言った有り様だったので、オリジナルだろうとリメイクだろうと映画新作に期待してはいけないと思うようになっていた。
 だから、今年の『人魚大海戦』を観るにあたっては、期待値を低くするどころではなく、全く期待しないでおいたのだが、それでもなお「チケット代と映画を観た時間をムダにしてしまった」と、観た事を後悔せずにはいられない作品だった。


 ここから、映画の具体的な感想を書いていくが、正直言って今回はどう感想を書いていいものか困った。
 同じオリジナル作品と言う事で『緑の巨人伝』と比較してみると、『緑の巨人伝』は渡辺監督の作家性が出過ぎて、映像の「見せ方」に力を入れすぎたが故に、後半の展開が意味不明になってしまったのだと感じた。それに対して、『人魚大海戦』は監督をはじめとするスタッフが何をやりたいのか、よくわからなかった。部分部分については「こう見せたいのだろうな」と言う意図は分かるし、『緑の巨人伝』のように「今、何が起こっているのか理解できない」と言うような事はなかった。しかし、全体の話の流れは非常にチグハグで、一本の映画として何をやりたいのかが伝わってこなかった。

 結果として、作品全体としての印象は散漫で、鑑賞からまだ一週間も経っていないのに、どのように感想を書いていいかわからなくなったというわけだ。『緑の巨人伝』は、意味不明だが映像としての印象は強かった。つまり、私にとって『緑の巨人伝』は「積極的に批判したくなる失敗作」で、それに対して『人魚大海戦』は「批判する気も起こらない失敗作」と言える。
 だからと言って、これで感想を終えてしまっては、「具体的に何が悪いのかも指摘できない者に、批判する資格はない」と言われてしまうので、思いつくままに順不同で今回の映画の不満点を述べていく。

 まず、何と言っても最も残念なのは「伏線の放り投げ」だ。所在不明の伝説の剣や、その鍵となる五つの星などの重要そうな設定を仕込んでおいて、「祈ったら剣が出てきました」なのだから脱力してしまう。しかも、なぜか都合よく前線に出てきていた敵の親玉の前に剣が出てくるのだから、ご都合主義にしてもあんまりだ。
 さらに、伝説の剣は「宇宙を支配できる」ほどの巨大な力を持っており、だからこそ人魚族も怪魚族も手に入れようとしていたはずなのに、ドラえもんの出した「名刀「電光丸」」にあっさり負けてしまうのだから、開いた口がふさがらない。
 そもそも、人魚族・怪魚族を異星人としてSFっぽい設定にしている割には、物語のキモである剣に関する描写が完全にオカルトになってしまっているのはいただけない。オカルトっぽい描写があっても、きちんと(作品内の設定としては成り立つ)説明をして納得させられるのが『ドラえもん』ではなかったのか。

 また、後半で描かれた人魚族と怪魚族の戦闘は全く緊張感がなく、観ていてあくびが出そうになるほどだるい映像だった。
 こんな事になっている一番の原因は、演出の見せ方が悪いという事なのだろう。緊迫感を出すべき最終決戦の場面でドラ・ドラミの黒焦げなんてギャグを入れても逆効果だ。
 さらに、登場人物全員が非常に頭が悪く、突っ込みどころ満載のボケた行動をとっていたのもよくなかった。「女王から全権を任された」ソフィアが先頭に立って白兵戦を行うのも不自然だし、それに合わせるかのように敵のボス・ブイキンまで出張ってくるのも変だ。ブイキンにあまりにもボスとしての貫禄がないので、後ろには真の親玉が控えているのではないかと勘ぐってしまったが、そんな事もなく話が終わったので、拍子抜けだった。

 とどめに、何ら共感できない「友情」「涙」の押し売りには、完全に白けさせられた。ソフィア姫とは一緒に遊ぶ場面が描かれていたので、友情を描いても
まあ不自然でないが、のび太達とは何らいい関係にはなかったハリ坊との友情が唐突に描かれたり、ずっと厳しかった女王が前触れもなくソフィアに「愛しています」と言ったりする場面には呆れた。言葉にすればその場面に説得力が出ると言うものではないだろう。
 過去の作品を引き合いに出す事はしたくないのだが、あえてここでは触れておこう。『ドラえもん のび太の大魔境』で、ジャイアンがペコと共に敵地に乗り込もうとして、結局全員がまた一緒になるまでの場面とは、悪い意味で好対照だった。『大魔境』のこの場面では、主題歌「だからみんなで」が流れており、セリフは全くない。しかし、画面を観ていると、自然とジャイアンやのび太達の心情が伝わってくる。原作も含めて、初期大長編の中でも屈指の名シーンの一つだ。そのような場面を過去に観ているからこそ、今回の口先だけで感動させようとするシーンのオンパレードにはがっかりして、またうんざりさせられた。


 他にも、いい加減「あったかい目」はしつこくて鬱陶しいとか、ハリ坊やトラギスはいらないとか、架空水の影響の仕方が一定でないとか、怪魚族はそれほど特に「醜い」とは思えないとか、フエルミラーで何で色違いものもが出てくるんだとか、突っ込みどころはたくさんあり、挙げていったらきりがない。
 今回の作品は、残念だが子供だましの域にすら達していなかったと思う。もちろん、子供向け映画は真摯に子供に向き合って作られた作品が一番で、なおかつ大人も楽しむ事が出きれば言う事無しなのだが、それが出来ないにしてもせめて子供だましレベルにはしてほしかった。
 最後の新作予告を観る限り、来年はあの有名旧作のリメイクであるのは間違いないだろう。非常にファンが多くて名作と言われる作品なだけに、いまから不安で仕方がない。

 最後に、今回の映画で「よかった」と思えた部分も挙げておこう。芸能人の声の出演で浮いている人がおらず自然に聞けた事と、海の作画が綺麗だった事は、よかった点だ。肯定できる部分がこれだけしか無いというのも寂しい話だ。
 あ、武田鉄矢の歌を忘れていた。歌自体は悪くないのだが、流す場面に無理があって、あまり印象がよくなかった。と言うか、あの歌はわさドラの雰囲気からは浮いていた。もはや、ドラ映画は武田鉄矢の歌を流すべきものではないのだろう。