11 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ははははは…。 (Annabel Lee) 2009-03-16 22:00:28 小生は今回の映画を「なかなかの出来。わさドラとしての映画ドラではベスト」と評しましたが、おおはたさんにここまで辛辣に批評されては立つ瀬がありませんな。 はっきり言って、小生もドラミは出す必要がないと思いました。モリーナも要らないというのも考えとしてはわかりますが、前作と全く同じ筋立てでやるのもどうかというのもわかるので、なかなか難しいですが。 長編ドラでは宇宙開拓史が一番好きというのは小生も同感ですが、小生が宇宙開拓史が好きなのはのび太たちがコーヤコーヤ星でのびのび遊ぶところで、のび太とギラーミンとの決闘などはむしろどうでもいいと思っていましたけどね。そのへんが小生とおおはたさんの感じ方の違いになったのかもしれません。ガルタイト鉱業が川に毒を流しているのに、のびドラがその川に飛び込むのはさすがにどうかと思いましたが。 返信する Unknown (加嶋) 2009-03-17 01:00:10 個人的な所見ですが……。新シリーズ移行後の映画は、よく喋る、よく動くといった具合で、私も含めて「ドラの現役世代」を離れた年長者にはいささかリズムの速さがきつい作品という印象を持っていました。今回の『新宇宙開拓史』もこの路線を踏襲しており(従来よりさらにテンポアップしていた印象です)、ある程度は「事前の予想通り」の作品だったと考えています。ただ、『魔界大冒険』がある程度は激しいアクションにも馴染む原作だったのと比べて、『宇宙開拓史』で同じことをやったのは失敗だったかなぁ……というのが、私の正直な思いです。私のサイトに載せた感想で、【『ドラえもん』キャラの絵と声を使って宇宙開拓史のお芝居をやってた(ような違和感)】という言葉を使いましたが。→http://animei.info/diary/anime/09-0315.htmそもそも原作でF先生が意図しているテンポと、『新開拓史』の演出方針との間にはミスマッチがあった気がします。“リメイク”というのは本来、そうした意図の違いを踏まえて新スタッフが自分なりに新たな味付けをし直す作業だと思います。(ザ50回転ズの「ゲゲゲの鬼太郎」が、原曲とは違う特徴を持ちながらもしっかりした楽曲になっているような感じです)それなのに、『新開拓史』ではシナリオが原作と同じ場面設定・話の流れに拘りすぎており、結果として歯車が噛み合わないまま進んでしまったように見受けられました。モリーナさん絡みの一連の話は、中途半端に「追加する」のではなく、「思いきって原作の内容を変える」くらいの比重でちょうど良かったのではないでしょうか?……と。終わってしまったから何でも言えるだけなのかも知れませんが、この映画が何をやりたいのかは伝わってきただけに、適切な手順を踏みきれていなかったのが惜しかった気がします。ゴチャゴチャした文章で、失礼しました。 返信する Unknown (ルチャ・ティグレ) 2009-03-17 03:43:21 私にとっての「テレビまんが ドラえもん」は、昭和54年から59年までです。多くの藤子ファンが、最も好きな劇場版ドラに、「のび太の宇宙開拓史」を挙げますが、私も同じです。私が、初めて劇場で長編映画を観たのもこの作品です。(東映まんがまつりは除く。)同時上映だった怪物くん「怪物ランドへの招待」も、怪物大王、怪物王城、モンスター号などの圧倒的スケールと、ヒロシとの友情、とくにラストでの寂しそうなヒロシを思いやる怪物くんに心打たれて、今でも一番好きな映画です。この2作品が作られた昭和55年は、昨年からスタートした「テレビまんが ドラえもん」の作画も安定し、更に「テレビまんが 怪物くん」も始まり、世間のドラブームとの相乗効果で、藤本先生や、テレビまんがに係わっていたスタッフも勢いに乗っており、また、時代もそれを求めていました。よって、この時につくられた「のび太の宇宙開拓史」は、原作、脚本、作画、音楽、キャスト...どれをとってもパーフェクトなんです。絶頂期に作られた作品をいくらリメイクしても、絶対、それ以上の作品は生まれないと思います。また、昭和55年の私は、丁度のび太や、ヒロシと同じ年頃。それを観た年齢も重要なんですね。もしかしたら、今度の映画を観た小学4、5年生にとったら最高傑作なのかもしれませんよ。最後に、挿入歌の「こころをゆらして」を聞くと、今でも自然と涙が出てきます。 返信する 初コメント致します (メカプリン) 2009-03-18 15:25:21 おおはたさん初めまして、メカプリンと申します。以前、藤子作品関連でサイト巡りをしていたときに、偶然貴サイトに辿り着き、以来、過去の記事なども拝見させて頂いております。私は80年代の藤子アニメ全盛期で幼少を過ごした世代で、成長とともに一時期「卒業」しましたが、再びハマり出し、現在では往年の藤子アニメ作品を2人の甥と楽しんでおります。さて、今回の記事にありました「新・宇宙開拓史」についてですが、あいにく私はまだ観ておりません。旧作の「宇宙開拓史」は(確か)ビデオで観た記憶がありますが、どちらかといえば何度も読み返した原作漫画の方に思い入れがあります。「畳」を介して「日常(テレビ)の世界」と「非日常(映画)の世界」を繋ぐという設定や、のび太が劇中で「映画ヒーローのように活躍できる理由」については、極めて藤本氏的なアイデアとセンスを感じました。ですから、個人的に好きなドラ映画は「鉄人兵団」だったりしますが、歴代で最も“ドラ映画ofドラ映画”だった作品は「宇宙開拓史」だと認識してます。今回の記事を読んで、おおはたさんの落胆振りは共感できました。私は今回の映画を「生ハムを乗せたメロン」と解釈しました。「メロンだけでいい」という人には生ハムは不要なものですが、好きな人は「好き」なんでしょうね、ということです。リメイクというのはどんな作品でも好評を得ることは難しいと思います。リメイクには「リメイクする」ことの「意味(意義)」が付き纏いますから、「リメイクする意味を持たせるため」にリメイク作品を作ったとすれば、それこそ本末転倒な話です。(白黒作品の『カラー化』が意義の場合は言い訳が楽でしょうけど)「原作の良さを映像化する」ことに映像作品の意義があるとすれば、今回のリメイク作品もその部分に関してはブレて欲しくはなかったです。ですが、おおはたさんの記事を読んだ限りでは意義を見失っていた、若しくは「本来の意義」が二の次以下に成り下がった、という感が見受けられた上に、同じ会社が作っているという点においては寂しさも感じました。色々書きましたが、実は、本作を「スタンダード」とする今の子には本作は「面白かった」になる可能性はありますし、むしろ旧作を観たときには「古臭さ」ばかりが目に付くかもしれない、という予感もあります。しかし原作の素晴らしさは時代で色褪せることは無いと思いますので、新旧のどちらのアニメがきっかけでも「原作漫画」が今の子にも愛されれば、私はそれが一番嬉しいです。今回、初コメにも関わらず長々なコメント失礼致しました。今後もおおはたさんの日記楽しみにしております。 返信する お返事です (おおはた) 2009-03-21 19:27:36 毎年、ドラ映画の感想を書いていますが、今回は昨年に続き、コメント欄での反響が多くありました。 それだけ、『宇宙開拓史』は注目されている人が多かったと言う事なのかも知れません。皆様、コメントありがとうございます。遅くなりましたが、お返事です。◆Annabel Leeさん: > はっきり言って、小生もドラミは出す必要がないと思いました。モリーナも要らないというのも考えとしてはわかりますが、前作と全く同じ筋立てでやるのもどうかというのもわかるので、なかなか難しいですが。 ドラミは本当に無理矢理でした。登場理由がまたも「定期検診」というのも芸がなく、また「新魔界」と違って原作の弱い部分を改善したわけでもありませんし。> 長編ドラでは宇宙開拓史が一番好きというのは小生も同感ですが、小生が宇宙開拓史が好きなのはのび太たちがコーヤコーヤ星でのびのび遊ぶところで、のび太とギラーミンとの決闘などはむしろどうでもいいと思っていましたけどね。そのへんが小生とおおはたさんの感じ方の違いになったのかもしれません。 そうですね。長編作品で、どの部分に魅力を感じるかは人それぞれですから、Annabel Leeさんの受け取り方も分かります。旧作映画ではコーヤコーヤの日常がダイジェストになっていましたから、その部分を原作に沿って描いた場面は、悪くなかったと思います。のび太がロップル君達と過ごした日々があってこそ、別れの寂しさが際だつわけですから。 その「旧作映画で描かれなかった」点では決闘も同様なわけで、それだけに今回は期待しており、作品全体の中での決闘の扱いの悪さにガッカリしてしまったという訳です。 いずれにせよ、映画は「楽しめた者がち」だとすると、今回楽しめなかった私は損をしたのかも知れません。◆加嶋さん: 加嶋さんの感想は、前回のエントリをアップした後に拝見しました。 映画を観るまでは先入観を持たないように、どのサイトも感想も読むのを避けていました。 「『ドラえもん』キャラの絵と声を使って宇宙開拓史のお芝居をやってた」と言う表現は、なるほどと思いました。「恐竜2006」以降の3作で、わさドラ映画の作風はある程度確立されてきましたが、『宇宙開拓史』である程度原作に沿いながらわさドラのキャラ付け・展開を入れたために、無理が生じてしまった部分があるでしょうね。>モリーナさん絡みの一連の話は、中途半端に「追加する」のではなく、「思いきって原作の内容を変える」くらいの比重でちょうど良かったのではないでしょうか?……と。 私もエントリ本文で少し触れましたが、今回の新設定は『新魔界』なみに作品の根幹に据えて、全体として新たな『宇宙開拓史』になっていたなら、そちらの方が納得できたと思います。 今回は、その気になって編集すればモリーナ絡みの部分をばっさりカットできそうなくらいに「継ぎ足し感」があり、そのちぐはぐさのために最後まで違和感がありました。◆ルチャ・ティグレさん:>同時上映だった怪物くん「怪物ランドへの招待」も、怪物大王、怪物王城、モンスター号などの圧倒的スケールと、ヒロシとの友情、とくにラストでの寂しそうなヒロシを思いやる怪物くんに心打たれて、>今でも一番好きな映画です。 「藤子アニメ2本立て」は、『宇宙開拓史』『怪物ランド』の1981年が最初でしたね。 今にして思えば、実に豪華な組み合わせでした。『怪物ランドへの招待』は短編の原作2本を思い切って再構成していますが、それで「友情」「親子」をテーマとした芯の通った1本のストーリーになり、こちらも見応えのある作品でした。>絶頂期に作られた作品をいくらリメイクしても、>絶対、それ以上の作品は生まれないと思います。 まさに、今回の新作に分が悪い点があるとすれば、それは原作・旧作映画共に完成度の高い名作であると言う事でしょう。 原作や旧作に不備な点があれば、そこを改良する見せ方があったでしょうね。個人的には「決闘シーンの初アニメ化」がそれにあたると期待していたのですが、それは残念な結果となってしまいました。>もしかしたら、今度の映画を観た小学4、5年生に>とったら最高傑作なのかもしれませんよ。 わかります。「いつ、その作品を観たか」という点は、子供時代には特に大きな意味を持つ事でしょう。 原作を知らず、まっさらな状態で今回の映画を観た子供に、感想を聞いてみたいと思っています。◆メカプリンさん: >旧作の「宇宙開拓史」は(確か)ビデオで観た記憶がありますが、どちらかといえば何度も読み返した原作漫画の方に思い入れがあります。 はじめまして。 私も、原作と旧作映画、どちらがより好きかとなると、やはり原作です。公開当時は、映画はそうそう何度も繰り返して観られるものではなく、テレビ放送以降は、我が家にビデオデッキが来るまでは観返す機会はありませんでした。 原作は、公開当時に買って貰ったカラーコミックス版を、それこそボロボロになるまで読み返しました。おかげで、現在手元にあるカラーコミックスは、最近になって買い直した2代目です。初代は表紙も取れてしまい、今は実家の物置で眠っています。>色々書きましたが、実は、本作を「スタンダード」とする今の子には本作は「面白かった」になる可能性はありますし、むしろ旧作を観たときには「古臭さ」ばかりが目に付くかもしれない、という予感もあります。 それは、当然考えられる事だと思います。 また、「古くささ」は感じるかも知れませんが、今回の新作をきっかけに、今まで観た事もない人も原作や旧作映画に手を出してくれれば、と言う気持ちもあります。 何度もリメイクされる作品には、時代によって変わっていく部分もあり、またスタッフが「以前の作品になかった新しい良さ」を加えようと考えるのも当然でしょう。その点で、個人的には今回の映画は残念な出来でしたが、今後のドラ映画においても、「より面白いものを作ろう」と言うチャレンジ精神は無くして欲しくないと思います。 返信する ギラーミン (hebitaro) 2009-03-26 20:58:42 子供のころに旧作を観たボクらの年代としては、新作にはどうしても厳しくなってしまいますよね…。で、ギラーミンひどかった。w負けたあとに不意打ちするなんて、ギラーミンじゃないですよ。そんな汚いヤツなら、そもそも一対一で決闘なんてしないし。で、やはりボクも思うんですが、モリーナいらなかった。w 返信する やはりダメです (おおはた) 2009-04-05 01:29:46 この映画には色々と気になった点がありましたが、やはり改めて振り返ると、ギラーミンのキャラ改悪だけはどうしても許せません。 一万歩くらい譲って今回のオリジナル要素をすべて認めたとしても、ギラーミンがあれではぶち壊しです。ガルタイトの連中は旧映画と違って原作に近いキャラクターデザインになっていただけに、中身が原作とかけ離れていた事は、かえすがえすも残念でした。 繰り返しになりますが、どうしてこんな事になってしまったのだろう、と思わざるを得ません。 返信する 新宇宙開拓史の矛盾点 (シュン) 2009-08-16 20:12:47 新宇宙開拓史をレンタルDVDで観賞した所管理人のおおはたさんの言う通り駄作でした。おおはたさんが挙げた矛盾点以外で挙げるとのび太達が毒水に入ったにもかかわらず何の変化もなかったこととのび太達がガルタイトの連中がいる所に逃げていることなどがありました。ここに挙げた矛盾点以外はおおはたさんと同じなので省略します。ドラ映画至上屈指の名作をこれ程の駄作に為るぐらい脚本も演出も酷かったです。 返信する 矛盾点 (おおはた) 2009-08-21 01:24:32 毒水のあたりは、結構捻ってアレンジしたなと、どちらかと言えば肯定的に捕らえていたのですが、その点は確かにおかしいですね。 レンタル開始されましたが、もう一度観直す気にはなれません。懐古と言われようと、このリメイクだけはどうしようもなかったと、今でも思っています。 返信する 初投稿させていただきます。 (丸) 2010-09-10 19:54:18 その文章から壮絶な落胆ぶりが良くわかりました。私自身も開拓史は一番好きなドラえもん作品なのですが、おおはたさんと違いがあるとすれば私は旧映画も今まで許せなかったという点です。子供のときに原作から入ったためかどうしてもあの小者化したギラーミンは許せなかったのです。そのため新開拓史で完全な原作再現がなされるのならわさドラを全肯定しても良いとすら思ってましたので。新開拓史を見た結果、私は旧映画版が普通に好きになりました。 返信する 原作と映画 (おおはた) 2010-09-12 10:29:10 はじめまして。 私の場合、コロコロ連載でなく映画の公開とほぼ同時に出たカラーコミックスで初めて原作に触れたため、原作と旧映画をほぼ同時に体験しました。そのせいか、「原作もアニメもそれぞれいい作品だ」とずっと思っていました。 しかし、旧映画のギラーミン、どうも存在感に欠ける点は残念です。だからこそ、新映画で決闘を始めたときは、「ついにこの場面が映像化されるのか」とワクワクしたのですが、それだけに中途半端に描かれた決闘と、ギラーミンの完全な小者化には心底がっかりさせられました。 原作にない展開を付け加えること自体には反対ではないのですが、そのために原作にある名場面を台無しにしていいと言うことは決してないと、今でも思っております。 その点、オリジナル作品だった今年の『人魚大海戦』の方が、原作がない分、ある意味安心して観られる作品だったと言えます。 来年の『鉄人兵団』は、原作も旧映画も甲乙付けがたい名作ですから、いまからどんな出来になるか、非常に心配です。心配しつつ、結局観に行くことになるのですが。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
はっきり言って、小生もドラミは出す必要がないと思いました。モリーナも要らないというのも考えとしてはわかりますが、前作と全く同じ筋立てでやるのもどうかというのもわかるので、なかなか難しいですが。
長編ドラでは宇宙開拓史が一番好きというのは小生も同感ですが、小生が宇宙開拓史が好きなのはのび太たちがコーヤコーヤ星でのびのび遊ぶところで、のび太とギラーミンとの決闘などはむしろどうでもいいと思っていましたけどね。そのへんが小生とおおはたさんの感じ方の違いになったのかもしれません。ガルタイト鉱業が川に毒を流しているのに、のびドラがその川に飛び込むのはさすがにどうかと思いましたが。
新シリーズ移行後の映画は、よく喋る、よく動くといった具合で、私も含めて「ドラの現役世代」を離れた年長者にはいささかリズムの速さがきつい作品という印象を持っていました。
今回の『新宇宙開拓史』もこの路線を踏襲しており(従来よりさらにテンポアップしていた印象です)、ある程度は「事前の予想通り」の作品だったと考えています。
ただ、『魔界大冒険』がある程度は激しいアクションにも馴染む原作だったのと比べて、『宇宙開拓史』で同じことをやったのは失敗だったかなぁ……というのが、私の正直な思いです。
私のサイトに載せた感想で、【『ドラえもん』キャラの絵と声を使って宇宙開拓史のお芝居をやってた(ような違和感)】という言葉を使いましたが。
→http://animei.info/diary/anime/09-0315.htm
そもそも原作でF先生が意図しているテンポと、『新開拓史』の演出方針との間にはミスマッチがあった気がします。
“リメイク”というのは本来、そうした意図の違いを踏まえて新スタッフが自分なりに新たな味付けをし直す作業だと思います。(ザ50回転ズの「ゲゲゲの鬼太郎」が、原曲とは違う特徴を持ちながらもしっかりした楽曲になっているような感じです)
それなのに、『新開拓史』ではシナリオが原作と同じ場面設定・話の流れに拘りすぎており、結果として歯車が噛み合わないまま進んでしまったように見受けられました。
モリーナさん絡みの一連の話は、中途半端に「追加する」のではなく、「思いきって原作の内容を変える」くらいの比重でちょうど良かったのではないでしょうか?……と。
終わってしまったから何でも言えるだけなのかも知れませんが、この映画が何をやりたいのかは伝わってきただけに、適切な手順を踏みきれていなかったのが惜しかった気がします。
ゴチャゴチャした文章で、失礼しました。
昭和54年から59年までです。
多くの藤子ファンが、最も好きな劇場版ドラに、
「のび太の宇宙開拓史」を挙げますが、私も同じです。
私が、初めて劇場で長編映画を観たのもこの作品です。(東映まんがまつりは除く。)
同時上映だった怪物くん「怪物ランドへの招待」も、怪物大王、怪物王城、モンスター号などの圧倒的スケールと、ヒロシとの友情、とくにラストでの寂しそうなヒロシを思いやる怪物くんに心打たれて、
今でも一番好きな映画です。
この2作品が作られた昭和55年は、昨年からスタート
した「テレビまんが ドラえもん」の作画も安定し、
更に「テレビまんが 怪物くん」も始まり、
世間のドラブームとの相乗効果で、藤本先生や、テレビまんがに係わっていたスタッフも勢いに乗っており、また、時代もそれを求めていました。
よって、この時につくられた「のび太の宇宙開拓史」
は、原作、脚本、作画、音楽、キャスト...
どれをとってもパーフェクトなんです。
絶頂期に作られた作品をいくらリメイクしても、
絶対、それ以上の作品は生まれないと思います。
また、昭和55年の私は、丁度のび太や、ヒロシと
同じ年頃。
それを観た年齢も重要なんですね。
もしかしたら、今度の映画を観た小学4、5年生に
とったら最高傑作なのかもしれませんよ。
最後に、
挿入歌の「こころをゆらして」を聞くと、
今でも自然と涙が出てきます。
以前、藤子作品関連でサイト巡りをしていたときに、偶然貴サイトに辿り着き、以来、過去の記事なども拝見させて頂いております。
私は80年代の藤子アニメ全盛期で幼少を過ごした世代で、成長とともに一時期「卒業」しましたが、再びハマり出し、現在では往年の藤子アニメ作品を2人の甥と楽しんでおります。
さて、今回の記事にありました「新・宇宙開拓史」についてですが、あいにく私はまだ観ておりません。
旧作の「宇宙開拓史」は(確か)ビデオで観た記憶がありますが、どちらかといえば何度も読み返した原作漫画の方に思い入れがあります。
「畳」を介して「日常(テレビ)の世界」と「非日常(映画)の世界」を繋ぐという設定や、のび太が劇中で「映画ヒーローのように活躍できる理由」については、極めて藤本氏的なアイデアとセンスを感じました。
ですから、個人的に好きなドラ映画は「鉄人兵団」だったりしますが、歴代で最も“ドラ映画ofドラ映画”だった作品は「宇宙開拓史」だと認識してます。
今回の記事を読んで、おおはたさんの落胆振りは共感できました。
私は今回の映画を「生ハムを乗せたメロン」と解釈しました。
「メロンだけでいい」という人には生ハムは不要なものですが、好きな人は「好き」なんでしょうね、ということです。
リメイクというのはどんな作品でも好評を得ることは難しいと思います。
リメイクには「リメイクする」ことの「意味(意義)」が付き纏いますから、「リメイクする意味を持たせるため」にリメイク作品を作ったとすれば、それこそ本末転倒な話です。
(白黒作品の『カラー化』が意義の場合は言い訳が楽でしょうけど)
「原作の良さを映像化する」ことに映像作品の意義があるとすれば、今回のリメイク作品もその部分に関してはブレて欲しくはなかったです。
ですが、おおはたさんの記事を読んだ限りでは意義を見失っていた、若しくは「本来の意義」が二の次以下に成り下がった、という感が見受けられた上に、同じ会社が作っているという点においては寂しさも感じました。
色々書きましたが、実は、本作を「スタンダード」とする今の子には本作は「面白かった」になる可能性はありますし、むしろ旧作を観たときには「古臭さ」ばかりが目に付くかもしれない、という予感もあります。
しかし原作の素晴らしさは時代で色褪せることは無いと思いますので、新旧のどちらのアニメがきっかけでも「原作漫画」が今の子にも愛されれば、私はそれが一番嬉しいです。
今回、初コメにも関わらず長々なコメント失礼致しました。
今後もおおはたさんの日記楽しみにしております。
それだけ、『宇宙開拓史』は注目されている人が多かったと言う事なのかも知れません。皆様、コメントありがとうございます。遅くなりましたが、お返事です。
◆Annabel Leeさん:
> はっきり言って、小生もドラミは出す必要がないと思いました。モリーナも要らないというのも考えとしてはわかりますが、前作と全く同じ筋立てでやるのもどうかというのもわかるので、なかなか難しいですが。
ドラミは本当に無理矢理でした。登場理由がまたも「定期検診」というのも芸がなく、また「新魔界」と違って原作の弱い部分を改善したわけでもありませんし。
> 長編ドラでは宇宙開拓史が一番好きというのは小生も同感ですが、小生が宇宙開拓史が好きなのはのび太たちがコーヤコーヤ星でのびのび遊ぶところで、のび太とギラーミンとの決闘などはむしろどうでもいいと思っていましたけどね。そのへんが小生とおおはたさんの感じ方の違いになったのかもしれません。
そうですね。長編作品で、どの部分に魅力を感じるかは人それぞれですから、Annabel Leeさんの受け取り方も分かります。旧作映画ではコーヤコーヤの日常がダイジェストになっていましたから、その部分を原作に沿って描いた場面は、悪くなかったと思います。のび太がロップル君達と過ごした日々があってこそ、別れの寂しさが際だつわけですから。
その「旧作映画で描かれなかった」点では決闘も同様なわけで、それだけに今回は期待しており、作品全体の中での決闘の扱いの悪さにガッカリしてしまったという訳です。
いずれにせよ、映画は「楽しめた者がち」だとすると、今回楽しめなかった私は損をしたのかも知れません。
◆加嶋さん:
加嶋さんの感想は、前回のエントリをアップした後に拝見しました。
映画を観るまでは先入観を持たないように、どのサイトも感想も読むのを避けていました。
「『ドラえもん』キャラの絵と声を使って宇宙開拓史のお芝居をやってた」と言う表現は、なるほどと思いました。「恐竜2006」以降の3作で、わさドラ映画の作風はある程度確立されてきましたが、『宇宙開拓史』である程度原作に沿いながらわさドラのキャラ付け・展開を入れたために、無理が生じてしまった部分があるでしょうね。
>モリーナさん絡みの一連の話は、中途半端に「追加する」のではなく、「思いきって原作の内容を変える」くらいの比重でちょうど良かったのではないでしょうか?……と。
私もエントリ本文で少し触れましたが、今回の新設定は『新魔界』なみに作品の根幹に据えて、全体として新たな『宇宙開拓史』になっていたなら、そちらの方が納得できたと思います。
今回は、その気になって編集すればモリーナ絡みの部分をばっさりカットできそうなくらいに「継ぎ足し感」があり、そのちぐはぐさのために最後まで違和感がありました。
◆ルチャ・ティグレさん:
>同時上映だった怪物くん「怪物ランドへの招待」も、怪物大王、怪物王城、モンスター号などの圧倒的スケールと、ヒロシとの友情、とくにラストでの寂しそうなヒロシを思いやる怪物くんに心打たれて、
>今でも一番好きな映画です。
「藤子アニメ2本立て」は、『宇宙開拓史』『怪物ランド』の1981年が最初でしたね。
今にして思えば、実に豪華な組み合わせでした。『怪物ランドへの招待』は短編の原作2本を思い切って再構成していますが、それで「友情」「親子」をテーマとした芯の通った1本のストーリーになり、こちらも見応えのある作品でした。
>絶頂期に作られた作品をいくらリメイクしても、
>絶対、それ以上の作品は生まれないと思います。
まさに、今回の新作に分が悪い点があるとすれば、それは原作・旧作映画共に完成度の高い名作であると言う事でしょう。
原作や旧作に不備な点があれば、そこを改良する見せ方があったでしょうね。個人的には「決闘シーンの初アニメ化」がそれにあたると期待していたのですが、それは残念な結果となってしまいました。
>もしかしたら、今度の映画を観た小学4、5年生に
>とったら最高傑作なのかもしれませんよ。
わかります。「いつ、その作品を観たか」という点は、子供時代には特に大きな意味を持つ事でしょう。
原作を知らず、まっさらな状態で今回の映画を観た子供に、感想を聞いてみたいと思っています。
◆メカプリンさん:
>旧作の「宇宙開拓史」は(確か)ビデオで観た記憶がありますが、どちらかといえば何度も読み返した原作漫画の方に思い入れがあります。
はじめまして。
私も、原作と旧作映画、どちらがより好きかとなると、やはり原作です。公開当時は、映画はそうそう何度も繰り返して観られるものではなく、テレビ放送以降は、我が家にビデオデッキが来るまでは観返す機会はありませんでした。
原作は、公開当時に買って貰ったカラーコミックス版を、それこそボロボロになるまで読み返しました。おかげで、現在手元にあるカラーコミックスは、最近になって買い直した2代目です。初代は表紙も取れてしまい、今は実家の物置で眠っています。
>色々書きましたが、実は、本作を「スタンダード」とする今の子には本作は「面白かった」になる可能性はありますし、むしろ旧作を観たときには「古臭さ」ばかりが目に付くかもしれない、という予感もあります。
それは、当然考えられる事だと思います。
また、「古くささ」は感じるかも知れませんが、今回の新作をきっかけに、今まで観た事もない人も原作や旧作映画に手を出してくれれば、と言う気持ちもあります。
何度もリメイクされる作品には、時代によって変わっていく部分もあり、またスタッフが「以前の作品になかった新しい良さ」を加えようと考えるのも当然でしょう。その点で、個人的には今回の映画は残念な出来でしたが、今後のドラ映画においても、「より面白いものを作ろう」と言うチャレンジ精神は無くして欲しくないと思います。
で、ギラーミンひどかった。w
負けたあとに不意打ちするなんて、ギラーミンじゃないですよ。
そんな汚いヤツなら、そもそも一対一で決闘なんてしないし。
で、やはりボクも思うんですが、モリーナいらなかった。w
一万歩くらい譲って今回のオリジナル要素をすべて認めたとしても、ギラーミンがあれではぶち壊しです。ガルタイトの連中は旧映画と違って原作に近いキャラクターデザインになっていただけに、中身が原作とかけ離れていた事は、かえすがえすも残念でした。
繰り返しになりますが、どうしてこんな事になってしまったのだろう、と思わざるを得ません。
おおはたさんが挙げた矛盾点以外で挙げるとのび太達が毒水に入ったにもかかわらず何の変化もなかったこととのび太達がガルタイトの連中がいる所に逃げていることなどがありました。
ここに挙げた矛盾点以外はおおはたさんと同じなので省略します。ドラ映画至上屈指の名作をこれ程の駄作に為るぐらい脚本も演出も酷かったです。
レンタル開始されましたが、もう一度観直す気にはなれません。懐古と言われようと、このリメイクだけはどうしようもなかったと、今でも思っています。
私自身も開拓史は一番好きなドラえもん作品なのですが、おおはたさんと違いがあるとすれば私は旧映画も
今まで許せなかったという点です。
子供のときに原作から入ったためかどうしてもあの小者化したギラーミンは許せなかったのです。
そのため新開拓史で完全な原作再現がなされるのなら
わさドラを全肯定しても良いとすら思ってましたので。
新開拓史を見た結果、私は旧映画版が普通に好きになりました。