連絡板_暮らしの雑記帖~今日の献立○△

猫に鰹節、人に座布団

元阿片宗爺の小話

表題に"新聞"はちと無理ですな。

主題:装備点検と無双

2014-04-18 10:20:31 | 徒然


----------------------------------------------------------------------------
 主題:装備点検と無双
 副題:愚者に褒められたるは知者一生の恥
 備考:板さんの習いに刃物と俎板は必要の当たり前~
----------------------------------------------------------------------------

 この三月程、正確には去年の秋の準備期間を含めると五ヶ月、吾人は”本来はいらぬ筈
の作業”で多忙であった。 つまり、”Deflation 状況における増税決定”と言う阿呆な
政治選択が為された故、想定される経済状況に対応する作業が発生した。興味の無い方に
は、何の事やらとなる語句を連ねれば「中長期(重工、鉱業等)を短期(電器、通信、精
密等)に換え国際状況の反映し易い銘柄の再選定、証券会社の再一本化」。 専業で無い
吾人は緑板を終日眺めている事も出来ぬ故、Swing を併用し、やっと望む形となった。一
時的に損きりが嵩んだが、二月遅れで自身の長期予定に適う修復を為せた。 こうして、
再度、投稿時間を持てる様になったのだが、”珈琲の香りと紫煙で霞んだ冬篭りの年”と
昨年の手帳にある走り書きを見ると、久し振りに若い頃を思い出し頬が緩む。

 さて、仮想空間で奇異に思える事の一つに”初学の者が向学の者乃至は先達を笑う”と
言う事がある。基礎となる書籍に親しみ共有すべき最低限の語彙を持ってから後に玄人に
意見を伺うと言う現実世界における【初学の嗜み】が、仮想空間の黎明期よりも益々軽視
されてきているのではなかろうかと。本当の権威と言うものを理解できない左巻きの人々
に教導された、”前世紀に予測された新しい型の文盲”が量産されているような感を抱く
のは吾人だけであろうか。「専門用語を使わずに平易な譬え、思考力を要求しない印象の
積み重ね」を求められた場合、”曼荼羅もどきの図”を用意でもしない限り予想される反
応は、脊髄反射の如き”裸踊りか束ねた棒”愛好者達で溢れかえる”投稿板”。定義され
た専門用語を使えば一語で済む話を、上記の如く説明要求された専門域の方々の困惑を推
考しない乃至は出来ないのか。 「素養のない者でも進学してしまう六三三制の弊害が極
まった末の構図」と、口がむずむずするHB01_O.であった。

仮想討論番組の意見投稿欄は、語彙等より本を読み思索してないのがまるわかりの、浅薄
な思考経路が透ける意見ばかりが目につく。門外漢の吾人ですら感心するほど、初学への
道標を懇切丁寧に御自身のHomePage/Blog へ提示して下さる諸学の先達を随所で見かける。
その方々の”息抜用短文投稿先”へ脊髄反射でしか反応しない”萌える人々”と言うのは、
いつの時代にもあった”ええじゃないかー”症候群に罹患しているのであろうか。身行は
別とし、”知”に対し対価を払い思索する習慣を身につける。初学の者が心する第一歩で
すわな。”息抜先”にて、玄人が自身の専門域に関する質問を門外漢相手に受け付ける必
要性はどこにもない。唯一、有り得るのは初心の嗜みを理解していない質問者を諭す”啓
蒙”ぐらいであろうか。 今世紀初頭の雀にも劣る”URL貼り”、前世紀90年代頃の
”書写修行”、門前にての”掃き掃除”の方が身につくものが多かろうにと眺めていたが、
今般、その極めとでも言う振る舞いを為す人物を目にし”江戸期における庄屋程の覚悟あ
るのかいな”と疑問を投げかけたくなった。

長くなるので前提条件となる”歴史的側面/宗教的背景/権利の行使目的”等々における
本邦と他国の差異は了解済みとして(ここまで言及せねばならぬ時代なのですわな)、

  【商人の為す其れと運動家の”お上への訴え”は総別内外表裏で意味が違う】

と言うのがある。結句は、枝葉(言葉使い)に噛み付くしかなき者は野奸にしか過ぎず、
獅子吼(急所を突いた論説)の前には屍(逃走)を晒すのみ。 吾人等は、英雄の誕生を
目撃しているのかもしれない。

過日、仮想空間商いに勤しむ太鼓修行者と経営者の『利益追求』より為された権利行使を
目撃し吾人は快哉を挙げたくなった。 昨今、傍の者に見えにくかった彼の者達の本質が
明らかになり、実に目出度い。 彼らの宗教『米国が~』(主題:豪腕没落記にみる権限
行使の優位性/主題:遊戯と芸の狭間/生死一大事血脈抄)によって形作られた教育に従
えば”正義”であって、傍の者に”腹切る覚悟、何、それ”と問う行為と同義とは微塵も
思い浮かばぬのであろう。 見事に”植民地言論人(愛国商売/長い物に~)”を体現し
ていますな。実に目出度い。個人の”幸福追求”に邁進する姿そのもの。後継への悪影響
なぞ知らぬとばかりの天晴れ。墨塗る主従(主題:大戦略提示下の行動と戦術のみに縋る
彷徨の紙一重)の御姿なり。江戸、明治期に生まれた言論人の覚悟なぞ、どこにも見受け
られない。”学術論争(切りあい)が出来ません宣言”ですな。ここで終ると味気ないの
で、詳しく述べると”教科書裁判(家永、検定、採択等々)”と同じく、秘書を生業とし
た人にはよく判る手法で”軸足をずらし傷を減らすの術”でありんす。馴染みの無い方に
説明すると
             【法廷で学術論争は出来ません】

つまり、『(支持者への)景気づけ、時間稼ぎ、論点すり替え』でしかなく、巷で良く見
る風景(問題矮小化乃至拡大希薄化)であります。『面識はありません、左様な指示は受
けておりません、その時節、どこそこに赴いておりません』これで延々、時間を浪費し相
対する側の”疲労を誘い(以下略)”。 一見、事実を述べているようでありますが、そ
の実、世間知があれば、児戯に等しい事を得意気に掲載してるのを見た時、正直、某大臣
が仲人をしたそうだが”青臭い”。一々、実力者が太鼓持ちや仮想空間瓦斯抜き宣伝屋に
面識を与える筈がなかろうて。それを殊更掲げて字数を稼ぐ様は、売文屋の鏡としか言え
ぬ。青少年への悪影響は言わずもがな。将来、襤褸が出た時、『秘書(部下、妻)の自身
を慮っての勇み足でありましょう、些か同義的責任を感じるものであります(訓戒を甘受
しますが法的監督責任は負いません)』で幕引き。太鼓持ちの末路を予感させ滑稽でしか
ない。それでも、”太鼓持ち道、宣伝屋稼業”を精進、経営するなら一言差し上げたい。
”時代遅れの悪手”。ここで言う時代遅れの文言が、最先端機器に触れる仮想空間界隈に
住まう彼等への皮肉を意図しているのは言うまでもないが、以下にその理由を述べる。

現在の政治、経済、国際環境は既に多くの学者の方々が予見し、そこに派生する衆愚への
対応をせまられる一群の人々の出現すら言及していたと言う事である。40年以上も前に
想定され、その英知が布石したものを想起してみて欲しい (吾人が、彼の弁論部出身の
人々に痺れる理由でもある)。多くの出版物があった。多くの資料、史料の編纂に人知れ
ず邁進し、世間には省みられずとも蓄積し後継に託さんと欲した人々がいた。小さな私塾
を営み時流を泳ぐ人々を横目に若芽を育んだ。如何に最先端の技術、それが生み出す機器
に触れようともこの”後継を育て託す努力”と言う、人間と言う生物に課せられた定めを
実践しているか否か。これが全ての答えである。彼の者達と弁論部出身の人々を比べて見
てほしい。端から枝葉と路傍の石(主題:民以食為天)に目を向けさせ擬態するに忙しか
ったのは誰で、折に触れ”自身の師を称え弟子を育てる姿”を見せていたのは誰なのか。

此度の事に当惑を覚えるとすれば、「素人臭味(主題:言多令事敗と辞世を詠ませる智謀
を待つ)」に対してであろうか。まことに日本版花畑の子達が作り出す虚像は判り易い。
捻りが無い。『It's a 6758』もとい軽薄短小。大名貸の子弟と奉公人に墨を贈る
日も近い。

---------- 再掲載 (11年前/誤字、脱字、冗長部そのまま

[78]HB01_Original 02/12/01 11:26 GduAnjuFzhAL
-------------------------------------------------------------------
 主題:釣師流浪一代記
 副題:懲りない包丁を忘れた板前達
 備考:~ 休日の遅い朝食を待つ間 その一 ~
-------------------------------------------------------------------

1) ボランティアも一種の目的団体である以上、組織体として合理を
  追及すべし、能わざる代表、執行部は職責を放棄してる一団という
  考え方がある。これは、何も吾人の意見ではなく、恐らく諸氏は、
  様々な未来学者、経済学者の書籍を思い浮かべ吾人の言わんとして
  いる事を汲み取って頂いてると思うが、如何? 実は、これらのよ
  うな公に対し有益をもたらすべき団体の討議のみならず、私に対し
  有益、つまり趣味の交流の際の議論・会話において守らねばならぬ
  様々な不成文の取決めがあるなどと、わざわざ書く事になるなどと
  は、思いもよらなかった。本来、余暇をどのように用いるかは、各
  個人の責任と判断に帰するものであるから、他者が口を鋏む余地は
  なく、当然にその結果としてのものを受け取り、其れ相応の正負な
  効果が日常に反映していくものと思う。然るに、それが他者との交
  わりの中で成立するものである場合は、自己の抑制と節度、他者と
  の協調なんぞが必要とされるのは至極当然の事である。其れが、釣
  りであって場所の取り合いに凌ぎを削る或は釣った魚の自慢話と道
  具の自慢など、どちらかという大の大人が微笑ましい程、童心に帰
  って賑やかに戯れる姿なんぞは、一見、どこに抑制と節度、他者の
  協調があるのだと思われるかもしれぬが、『ボランティア陽子危機
  一髪』などが成立しにくいように、『釣り馬鹿一代~死闘編』も無
  ければ『釣きち与平捕り物帳』も無いのである。あくまで、たがが
  外れて暴走するというのは何処かの時点で、余暇ではなく営利に変
  ってる場合であり、釣り道具の自慢が嵩じて火曜サスペンスのネタ
  になりましたと言っても洒落にならぬのである。

[79]HB01_Original 02/12/01 11:26 GduAnjuFzhAL

2) 前項で述べたボランティア、余暇の時間に他者に向かいて言って
  はならぬ成句がある。『ボランティア(余暇)なんだから、そんな
  に熱を入れるな』。これを、海外の団体の討議の席、否、国内でも
  歴史のある団体のそれで言ったら退席を求められると思うが、如何
  なものか。さらには、個々人の余暇の際に、同様の興ざめな事を言
  うものがあれば、少なくとも友人は一気に半減すると思うが、如何?
  まさか、こちらのサイトでそのような趣旨の発言を受け取るとは、
  予期していなかったと言えば語弊があるが、所属する同団体の構成
  メンバーから左様な言葉を受け取るとは哀しい限りであった。

---------- 終了